第15話 気になる夢を見ている時に起こされる時ほどイラつく事はない
「おかしい……」
少女の掠れた声が聞こえる。絶望した表情で天井を仰いでいる。隣にいる少年も悲しそうな表情をしていた。
「そんな……どうして……?」
長身の黒い長髪の女性も悲痛な面持ちで悔しそうに噛み締めて言う。辺りには重い空気が漂う。現場は凄惨なものだった。
「どうして来ないんじゃ……?」
沢山のスイーツがショーウィンドウの中を彩らせていた。美しい光景だったが、店内には店員4人以外に人は居なかった。
つまり、お客様がいないのだ。
「何言ってんだお前、客が来たら接客をしなきゃいけないだろうが」
「何言ってんだお前」
女の子が客席に座る男の頭目掛けてメニュー表を使って叩いた。なぜこのような恐々になったのか、少し時間を遡ること1日前───
*
「ククク……!遂に完成じゃ!ガッデスハーブのパウンドケーキ!」
錬金術によって作られたパウンドケーキ。見た目は表面は狐色、切り込みを入れると中は黄金色に近い黄色だった。一体どこにハーブ要素があるのかわからない。もしかして錬金術でハーブを消したのか?
「ご試食願おうか」
ライラが俺達それぞれに一切れずつケーキが乗った皿を渡す。まず涎を垂らしまくりながら皿を見つめるアリーシアが最初に先陣を切った。
「いただきま〜……」
頂きますと言いながらすぐ口に運んだアリーシアは言葉を最後まで言い終える前にケーキを咀嚼し、飲み込んだ。一口食べ終えた後、彼女はというと──
「はふぅ……」
何やらスッキリした顔をしていた。表情に落ち着きが見られる。悩み事が全部消えて無敵状態、そんな安心しきった顔だった。
「ユートピアはここにある……!」
「ケーキ一切れ食ったくらいでそんなんなる?」
俺は半信半疑でアリーシアを見る。ふと隣を見てみるとタマリもケーキ一切れを丸々一口パクりと食べた。もぐもぐと咀嚼しながら美味しそうに食べ、飲み込んだタマリの表情は──
「夜、眠れない時にアリーシアが一緒に添い寝してくれて大きい胸の枕を使わせてくれた時くらい落ち着く……」
「タマリ君、その大きい胸の枕についての話をもう少しかなり正確にありのまま話してくれないかい。俺の分のケーキあげるからさ」
「ポーションを使わざるを得ない状況を引き起こしてやろうか?サビター」
俺はタマリのおっぱい枕の話を聞きたかったがライラが戦闘用に使うと思われる鋭利な杖をただパチパチと叩きながら本気の殺意で俺を睨みながら言っていたので俺は大人しく食べることにした。
俺はフォークでケーキを刺して持ち上げる。匂いを嗅いでみると鼻を爽やかな葉の匂いが駆け抜けた。蓄膿症が一瞬で消え去るかのような良い匂いだ。
俺はたまらず口に運ぶ。パウンドケーキのふわふわとした食感にハーブのスーッとしたクールな香りが口の中に広がる。そして先ほどと同様に鼻の中を通っていく。日がなストレスで追い詰められていた俺の肩の荷を下ろされて木陰のハンモックに横になって風に揺られているかのような、そんな心地良さだった。
「で、どうじゃ?味は?何点じゃ?」
ライラがそわそわしながら俺の感想を心待ちにする。
「10点中100点満点だぜオイ。お前って奴は、どうしてこうも美味いモンを作れるんだよ……」
ライラの終わってる性格を除けば錬金術やスイーツを作ることにおいては文句の言いようがない。俺は素直に感じた言葉を述べる。ライラはそれを聞くと「やったー!」と両手を上げて万歳して喜んだ。
「ならば!早速量産して店頭に並べよう。念の為もっと増産しておこう!」
ライラはそう言ってタマリと共に再びキッチンへと戻る。奴等が仕込みをしている間に、俺とアリーシアは店内の清掃を始めた。一応それくらいしておかないとライラにお叱りを受けそうだと思ったからだ。
そして次の日、俺達は迫る客の雪崩を待ち構えていた。既に店のドアの前の看板は開店中と表示させており、仁王立ちして警戒していた。
「あのぅ、そんなに張り切らなくても良いのでは?」
アリーシアが笑いながら言う。全く、コイツは何も分かっていない。
「お前は知らないから良いだろう。奴等は、いわば腹を空かせた獣共だ。店にあるものを食らいつくし、店員の事などお構いなし。欲望の赴くままに甘味を平らげる恐るべき害獣だよ」
「お客さんに対して言っちゃいけない事を言いましたよこの方は!?」
アリーシアは俺にそう言って軽蔑する。ふん、そうやって偽善の言葉を吐けるのも今のうちだ。モンスター共が来たら、俺達は荒波に揉まれて搾りカスになるだろう。
「あり?おかしいのう。いつもならこの時間帯にすでにゾロゾロ店に入ってる頃なんじゃが」
ライラが店のドアを開けて外を確認した。開店した当初はすぐ客が入っていたものだが、今日は誰一人として入っては来なかった。
「もう飽きられたんじゃねぇの?」
「そんなわけあるかい!様子見してるだけじゃろうて!多分!」
「だっておかしいだろ。開店当初はクッソやかましかったのに今はこんなに静かだ。流行ってのは案外早く過ぎるのかもな」
「ち、違うわ!そんなことないわ!」
ライラは頑なに信じなかった。俺はそんな奴にはもう何を言っても聞かないと思い、肩を上下に動かした後「はいそうですか」と言ってアリーシアに声をかける。
「アリーシア、客来たら呼んでくれ」
「あ、あのサビターさん?一体何処に……」
「昼寝するわ。多分来ないし」
「えっ!?ちょっと!?サビターさん!?」
昼寝宣言をした俺に対してあたふた慌てふためくアリーシアを尻目に、俺は軽く睡眠を取ろうと休憩室へと入った。俺はベッドの上に横になり、目を瞑って眠りの態勢に入る。意外にも早く俺は眠くなり、意識が徐々になくなっていった。
*
夢を見ていた。20年前の、まだ俺が若かった頃のことだ。俺が本気でウィルヒルを救えると思っていた、バカなガキだった時だ。
目が覚めると、俺はテントの中に居た。簡易ベッドで横になり、俺はベッドから起き上がって外に出る。
「サビター、お前寝過ぎ。サボってんじゃねーよ」
俺が外に出て開口一番に非難してきたのはナックルだ。今現在よりもスラッとしていて、細い体型をしていた。しかし筋肉はしっかりついている。
「いい加減覚えてくれ。俺は寝ないと傷が癒えない体質なんだよ」
「お前まだ自分が不死身だって思ってんのか。お前はただ運がいいだけだ」
ナックルは否定的な意見だったが、この時俺は本当に寝ることで戦いでできた身体がの傷が治ると思い込んでいた。スピリチュアルな考え方をしていたものだ、と我ながら滑稽に思う。
「起きたかサビター。エングラン領侵攻の作戦会議をする。お前も参加しろ」
今度はジョニーが来た。この頃の奴はまだ俺と同様、髭が生えておらず、頬骨も浮き出ていない、若さ溢れる青年だった。ジョニーが居るだけで軍の女性隊員の士気が一気に上がるほどだ。中には喜んでいる男もいたが。
あの時、ウィルヒル王国は当時マッドギアと戦争をしていた。マッドギアの圧倒的な科学技術の前に、剣士隊や魔法隊は追い込まれていた。兵力、技術力共に追い込まれた王国の上層部の奴等は、冒険者達を軍隊として徴兵した。
俺達もその一人だった。だが他の金の亡者の傭兵とは違って、俺とジョニーはウィルヒル王国を守る戦争に参加するために、仲間を集めて愚連隊紛いのニーニルハインツ・ギルドを結成した。若さと腕っぷしだけは一丁前の俺達はあっという間に前線に駆り出された。
「ああ、今行く」
俺は欠伸と伸びをしてジョニーに着いて行く。周りは酷いものだった。負傷して身体を動かさず、苦痛に喘いでいる兵士や、癒し魔法を使い続けて疲弊し、やつれている魔法隊の人間がちらほらと見えた。
15の時にギルドを結成して戦争に参加してから5年が経過したが、痛みや空腹に耐性はついても、仲間が傷付いたり死んだりするのを見るのは、あまり慣れないものだ。
「癒しよ!癒しよ!癒しよ!」
作戦会議室のテントに行こうとした時、近くで一心不乱に半狂乱に魔法の呪文を唱えている女が居た。白く青ざめて倒れている男の胸に手を当てて声を枯らして涙を流しながら叫んでいた。
「…どうした、サビター」
「いや……」
俺がなんでもない風に装って言ったが、ジョニーは俺の目線と雰囲気を察してか、「ああ……」と納得したような声でを出す。
「彼女は魔法隊の一人だ。そして倒れている彼は、剣士隊の人間だ。彼女達は恋仲だった。だが剣士隊の彼がマッドギアの奴等に重傷を負わされ、そして中級魔法しか使えなかった彼女は魔法の効力を持たず、彼が死ぬ所を目の前で見てしまった。心が壊れても仕方ない」
「気の毒だが、戦場じゃ仲間が死ぬのは当たり前のことだ」
ナックルは悲しげに呟き、ジョニーは俯きながら作戦会議室のテントの入り口を開ける。
俺はテントの中に入らず、向きを女のいる方に変えた。
「サビター、入らないのか?」
「少し待ってろ」
俺は女の方に向けて歩いて近づく。
「おい」
俺は女に声をかける。だが聞こえていないのか、癒しよ、癒しよ、と呪文を唱えるばかりだ。このまま無駄に魔力を消費すれば、身体に負担がかかり、最悪死んでしまう。
「癒しよ!癒しよ!癒し──」
パァン!と甲高い音を鳴らして俺は彼女の頬を平手で叩いた。彼女は俺に叩かれて一瞬呆けるが、直ぐに意識を取り戻し、俺を見た。
「その男はもう死んでいる。助からない」
俺は状況を理解してもらうために簡潔に伝えた。だが彼女は首を横に振り、
「……し、死んでないです。ちゃんと呪文を唱え続ければ、目を覚ましてくれるはずなんです……!」
自分自身に言い聞かせるように彼女は言い繕う。
「なら何故まだその男は肌は青白くなり冷たくなって倒れている?」
「それは……」
「お前が未熟だからだ。死人を生き返らせることが出来る人間は稀だ。お前には出来ない」
俺が淡々と言うと女は立ち上がり、俺を睨み、
「そんなこと!!そんなこと分かってます!!!」
と叫んだ。俺の胸に掴み掛かり、服を力一杯握って引っ張り、今までの悲しみや怒り、鬱憤を晴らすかのような形相だった。
「私が無力だった事も、私の胸の中であの人が血を流して冷たくなっていく瞬間も!私は、何もできない……!」
女は俺の服の襟を離し、ズルズルと力なく地面に膝を着く。
彼女は涙を流していた。力があれば救えた、救うことができたはずだという後悔の念の為と共に心が毒されて行く。
「お前は無力じゃない」
俺は女の肩に手を置き、ただ一言、それだけ言った。生半可な言葉では彼女は挫折と後悔から立ち上がることができない。そして俺は学がない。気の利いたことは言ってやらない。
「立て、周りを見ろ」
俺は女の腕を掴み、半ば無理やり立ち上がらせる。俺は女に周りの人間達を見るよう言った。怪我をして苦しんでいる兵士達。魔法を過剰に使い、摩耗している魔法隊達。そして心を病み、自身を傷つける者達。様々な痛みと悲しみを抱く人間達がいる事を俺は教えた。
「苦しんでいる人がいる。悲しんでいる人がいる。お前のその魔法を必要としている人間がいる。今お前が出来る事は二つだ。このまま死んだ恋人と共に泣いて止まるか、恋人に別れを告げ、今お前が誰かに出来る事をするか、選ぶのはお前だ」
俺はそう言い、彼女の返事を待つ。俺は彼女に何かを強制する資格はない。ただ選択肢を提示することしかできない。ここで選ぶ事ができない人間は戦場にいても何も出来る事はない。
「……私、まだここで出来る事があります。だから、もう行きます」
涙を手で拭い、口元をキュッと締め、決意を固め、目に光が戻った。
「…そうか。なら"聖女"のキルラの元に行け。最近アイツもこの戦線に派遣された。アイツの元でなら負傷者を手当てしながら上級魔法を教わる事が出来る」
彼女が立ち直った事を確認した俺はジョニー達の元に戻る。ジョニーとナックルは無表情だったが、何処か笑っているような表情だった。
「あ、あの!」
女が俺に向かって声をかける。
「貴方のお名前は!?」
女は俺の名を求めた。同じ戦場で苦楽を共にする同志、もしかしたら彼女の世話になる日が来るかもしれないとも思い、俺は名前を教える。
「俺はサビター。お前は?」
「私の名前は──」
女は俺に確かに名前を言った。言ったはずなのに名前が分からない。何かに掻き消されているような、ノイズが走っていて分からない。彼女は、一体……
「サビターさん!」
聞き慣れた声がする。聞き慣れた声の主が俺の肩を掴んで揺さぶっている。
「サビターさん、起きてください!大変なことになってるんですよ!」
俺はまだ眠りにつきたかったのにこの女はそれを許してくれない。
「うるせぇな。揺らすな。普段お前が乳を大胆に揺らすのが趣味なのは知ってるが、限度ってものがあるだろ……」
「や、やめてください!好きでこんなになったわけじゃないですよ!」
「はは、ライラが聞いたらブチギレて両乳掴んで引っ張ってきそうだな」
「そんなことより!お店の外が大変なんですよ!」
俺はなおも俺の肩を揺さぶるアリーシアに無理やり起こされ、休憩室から出た。
ライラとタマリが頭を抱えていた。いくら客が来ないからってそこまで落ち込むことないだろ、と思いつつ、俺は店の外を見てみると、
「テメェ!今なんつった!?」
「あ〜?耳が聞こえねぇのか?メガネかけた女は外したほうが可愛いってなんべんも言ってんだろぉ!?」
「はっ!なんも分かってねぇなテメェはァ!眼鏡をかけてる方が知的に見えて内面の美しさが倍増されんだろ!素人が口挟むんじゃねぇ!」
何やら口論が火種となって屈強な男達が喧嘩沙汰になるまで発展していた。
「いいぞ!やっちまえ!」
「眼鏡っ子こそ最強!」
「眼鏡かけたギャルもいいよな」
「分かる」
そして野次馬達が男共の喧嘩を囃し立てていた。
「なんだ、アレ」
「知らん。バカがバカをやっておるだけじゃ」
ライラはため息を吐きながら店の外を眺めている。俺はあまりの治安の悪さに辟易していた。俺はポーション作りはおろか、寝ることすら許されないというのか。