優しい道標
しばらく下を向いてぶつぶつ言っていたユリウス様だったが、立ち上がりキッと私を睨みつけた。
「まだ…届かないのか…」
「?…はい??」
「…っく!もういい!婚約は決定事項だ!お前に拒否権はない!!!」
「貴方達にピアノを教えたのを誰かお忘れですか?リュークがあそこまでピアノの腕を上げたのは誰のおかげか、侯爵様達はきっとよく覚えて居てくださると思うのですけれど。」
「うるさい!だいたいリュークはリュークって呼べるなら、俺の事もユリウスでいいだろ!
もういい!絶対にはいって言わせるからな!今日は帰る!」
そう言って、これまた律儀に出された紅茶を一飲みして帰っていった。来た時と同じように、家中の人間に見送られながら。
私は見送ることもせず、ただその場でボーッとすることしか出来なかった。嵐のように過ぎていった時間。一体何が起きたのか、頭の処理が追いつかない。
とりあえず一息つきながら状況を整理しようと、再びソファーに座り侍女に新しいお茶を持って来させる事にした。
一体なぜこんな事に…。
すると、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。
「私だよ。入ってもいいかな?」
父の声だった。
「どうぞ。」
返事をすると、父がゆっくりと入ってきた。いつも通りの穏やかな表情からは、感情が読み取れない。
そうだ。私は自分の事ばかり考えていたが、この話は我が家にとっては願ったり叶ったりの申し出だ。なのに正当な理由もなく私が嫌だと言うのは、もしかしなくてもよく無かった。
それに今更ながら、ユリウス、いいや、侯爵家に対してかなーり失礼なことをしてしまったのでは?そんな事よく考えなくても誰でもわかるはずなのに、私はなんて事をしてしまったんだ…!そしてそんな私を父は怒りに来たんだな…。やってしまった…。
後悔の念に苛まれなが頭を抱える私に、父は優しく話し始めてくれた。
「そんなに難しく考えなくてもいいんだよ。元々我が家は今より力を付ける必要もないし、付けたいとも思わないしね。だから侯爵家と繋がりができようが出来まいが、何も困ることはないんだ。」
侍女が用意したお茶を運んできた。「疲れたでしょ?飲みなさい。」と、父が言ってくれたのでお言葉に甘えてお茶を口に含む。いつの間にかカラカラに乾いていた口が潤い、少し気持ちが落ち着いてきた。
その姿を見届けると、それでね、と父が続けた。
「君が嫌ならこの話は断ってもいいんだ。侯爵様とは、直接じゃないが仕事をしたことがあるけれど、とても親切でいい人だ。嫌だと言っているのに無理やりどうこうする人じゃないよ。それに家はピアノの件では借りもあるみたいだしね?」
「それは、そうですけど…」
「それに僕としては、出来れば子ども達には本当に好きな人と結ばれて欲しいとも思っているんだ。ウィルだってそうだろう?」
ウィルとはお兄様のことだ。確かにお兄様、学園で出会ったご令嬢の方とお付き合いをし、婚姻を結んだ。とても幸せそうで眩しくて、私にもいつかあんな人が現れたらいいななんて思ったんだっけ。
「何も気にせず、嫌なら断ればいい。断ったって、両家には何の影響もないし、今まで通りなだけだよ。ただ断ることはいつでも出来るから、すこし彼と向き合ってみて、よく考えてからでもいいんじゃないかな?」
お父様もお母様も、アリスの決断を応援するから、困った事があればいつでも相談しておいで。そう言って笑って、父は出て行った。
再び一人になった客間で、紅茶に映る浮かない顔の自分と目が合った。
何の影響もないなんて嘘。侯爵家からの婚姻の願い出を、伯爵家が断ったとなればそれなりに噂も立つ。私自身への今後の縁談に影響があるのは自業自得だとして、きっと家にも少なからず影響があるはずだ。
それでも父は、何の影響もないと言い切ってくれた。好きにしたらいいと言ってくれた。私が家のことではなく、自分の気持ちで考えて決断ができるように。そんな父の優しさに、堪えていたものが溢れてきた。
きっと父はこの時気が付いていたのかもしれない。私自身も気が付いていない、私の思いに。
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