第二話 死闘、生死を別つ
「……先ずは小手調べだ」
「―――ッ!」
開幕の初手にへヴィな一撃がジャックに向かって降り下ろされる。先手を打つはゴリアテ、柄の先端に黒鉄の鉄球を有するモーニングスターによる一撃はまさに怒りの鉄槌が如し。尤も、彼はそれを難なく後方やや高めに跳躍することで回避した。
「喰らいなッ!」
追撃と言わんばかりに、ヘラは鎖鎌を空中のジャックに向けて放った。鎖が喧しい音を立てながら標的に向かう。ジャックは迫る鎖鎌の刃を、左手で抜いた近接戦闘用のダガーで弾きつつ右手で投擲用の両刃のナイフを三本ほど指に挟んで放る。解き放たれた三つのナイフは回転し、弧を描いてヘラに迫っていく。弾かれた鎖鎌を回収している彼女では避けるのが一瞬遅れるだろう。だが、その一瞬が命取りとなるのだ。
ジャックは着地すると、すぐさま加速魔術を己に無詠唱―――つまり、呪文の詠唱を行わず無言で―――掛ける。それによって自身の移動速度を二倍にし、鈍重なゴリアテを無視して弾丸の如くヘラに接近した。先程放った三本の刃は牽制にすぎない。だが、牽制とは言え当たればそれなりの手傷を負う羽目になるだろう。そこに追撃を加え、回避不能な四重の斬撃による包囲網を構築するのが狙いだった。
「させるか!」
しかし、そう甘くはないのが世の常である。放たれたナイフは尽く撃ち落とされてしまっていた。それを成したのは、ロクスレイのクロスボウによる目にも止まらぬ速射による狙撃。『ボルト』と呼ばれるタイプの矢を模して造られた魔力の矢が、一直線に標的へと向かうナイフを横から弾いたのだ。
「チッ―――!」
本来、クロスボウは装填に時間が掛かるため、一分間に発射できるのは二発が限度であるという。しかし、それはあくまで普通のクロスボウにおいての話に過ぎなかった。何故なら、ロクスレイが用いるクロスボウは矢を必要としないのだ。それは魔術や魔力を用いた兵器―――魔動兵器の一つ、魔動式機械弓という代物である。それが発射する矢は使用者の魔力を利用して形成された、光矢とも形容される魔力で構築された矢であった。。故に装填にも魔術を用いているため、ハンドルは必要としなかった。
「続けて一つ、二つ、三つ―――そこだ」
そして、その魔力の矢一発が形成されるまで僅か一秒。装填にコンマ一秒、トリガーを引いてから発射までにコンマ四秒。つまり発射までに掛かる時間は計一・五秒である。この場合、全三発を射るまでに掛かるのは僅か四・五秒。彼の腕前を持ってすれば、更に追加で投げられた曲線軌道のナイフ四本を撃ち落とす等容易いことだったであろう。
「はぁッ!」
一撃必殺の斬撃を確実に当てる為の必中の策を封じられたジャックだが、それでも彼はダガーを降り下ろす。一度振り上げた刃を止めることはできない。間合いに入れば殺るか殺られるかの二択のみ。それしか彼の思考にはなかった。
「ぐッ!?流石はジャック、やるねぇッ」
甲高い金属音が闇に響く。縦の斬撃を受け止めたのは、女の左手に握られた、分銅の代わりに鎖に連結されている―――銀色に輝く小型の王冠のようなメイスヘッド付きの―――グリップ兼棍棒だった。その長さ、五十センチ程。
「くッ―――!」
彼はヘラの手に鎌が戻ってくるより先に大地を蹴り、後方に跳躍して間合いを取る。その後に空いた右手で外套の下からダガーではなく、より斬り合うのに適した武装―――サクスと呼ばれる三十センチ程で厚みのある片刃の短剣を取り出した。そして左手にはソードブレイカー―――相手の刃を受け止め、へし折るための凹凸が峰にある防御用の短剣―――を装備する。
「はっ!逃がすものかよ」
そこにロクスレイが矢を五本射る。ジャックはまず、一射目をソードブレイカーの峰にある凹凸に絡めて破壊し、二射目はサクスの刃を左斜め上側に振り抜いて破壊した。どちらも、いや彼が所持するほとんどの短剣には魔力を阻害する術式が組み込まれている。故にエネルギー体たる魔力で構築された矢に物理的に干渉可能なのである。
「お望み通り、貴様を優先してやるッ!」
三射目も彼はサクスで、今度は右斜め下に払って矢を弾く。四射目はソードブレイカーで絡めて後方に放り、五射目は体を捻って回避した。ジャックはそこから一直線に狙撃手目掛けて突撃する。距離にして約十メートル、移動速度を倍にした彼からすれば一瞬のことだった。目の前には、慌ててバックステップにて間合いを離そうとするロクスレイがいた。そしてクロスボウをこちらに向けて、その引き金を引こうとする。しかし―――。
「この距離だと―――こちらの方が速いッ!」
ジャックは彼が矢を射る前に左手の短剣―――その刃の腹で射線を反らし、右足に魔力を集中させる。そして、それを圧縮して腹部を蹴り飛ばしつつ衝撃波を体内に放ったのだ。
「ふぐッ!?」
直撃したロクスレイは倉庫の壁を突き破り、積み上げられた錆びだらけのドラム缶の山に当たる。山が崩れ、茶色に蝕まれた赤と緑のドラム缶が彼の体を強打した。ジャックは直ちに追撃を掛けるために倉庫から飛び出そうとする。
「ヌゥッ!」
されど、それを遮るは居間の戦士。ジャックに追い付いたゴリアテが、その背後でモーニングスターをまるで野球のバットの如く振るう。咄嗟にジャックは振り向き様に自身の背に魔術を行使、魔力で構成された光の障壁を展開し威力を殺した。しかし、だからといって放たれた攻撃を無効に出来る訳でもなく、彼は約三メートル吹き飛び、そこからさらにコンクリートの地面を何度かバウンドし大地に叩き付けられた。
「―――かはっ!?」
幸い怪我もダメージも無い。だが、その衝撃で息が詰まって悶え、立ち上がるのに十数秒程掛けてしまった。故に生じたその隙を、逃す彼らではなかった。ゴリアテはモーニングスターによって大地を砕き、
生じた破片を左手の掌打一発で以て弾く。
「ぐ……させるか」
腕力と風圧で飛ぶ瓦礫の散弾、ジャックは外套の内より抜き放った投擲用ダガー四本を曲線軌道で放って迎え撃つ。回転しながらアーチを描いて飛ぶ四つの短剣が、不揃いな土塊を切り刻んで粉塵へと帰す。だが、所詮は目くらましのこけおどし。本命はジャックに迎撃という手を取らせて、足止めをすることにあったのだ。
「ハッ!腑抜けたもんだねぇ、ジャック?昔のあんたなら、今頃あたしら全員殺せてただろうにさ……ああ、何てもったいないんだろう」
「……気を抜くな。奴の切れ味は、何ら落ちてはいない」
「どうだか。あんたも心底失望しただろうさ、そうだろ―――ロクスレイ?」
鎖鎌を回収し終えたヘラは嘲笑を浮かべて倉庫から闇夜に躍り出て、殴り飛ばした張本人は鉄槌を撫でながらゆっくりと獲物へと歩み寄る。一方のロクスレイはグロッキー状態ながらもドラム缶の山から起き上がり、毒を吐く。
「ッ………流石は次期冠位候補、委員会に俺の始末を任されただけはあるな」
「やってくれたなジャック、さっきの蹴りは効いたぜ。御丁寧に『重衝波蹴』をかましてくるとはな」
重衝波蹴。それは先程の蹴りのことで、脚部に魔力を集中させ、それを圧縮して蹴りと同時に衝撃波に変換し、体内に放つというものである。それに使われる波動を放つ技術は、組織独自に運用する戦闘術の一つ、『第二種徒手暗殺術』に含まれる代表的かつ基礎的な技である。それらは体内の臓物や骨格に直接ダメージを与えるため、如何なる鎧をもってしてもその衝撃は防ぎようがない。
「チッ、何話し込んでんのさ!井戸端会議はあの世で好きなだけやりなよジャックゥッ!!」
「ッ!」
戦闘狂のヘラは業を煮やして五メートル程飛び上がり、ジャックに対して鎖鎌を落下の勢いを利用しつつ振り下ろした。彼は刀身の短い左のソードブレイカーではそれを受け止められぬと判断し、咄嗟にマントの内にしまうと直ちに右手のサクスを両手で確と握りしめ、湾曲した刃を鎌にぶつける。重なり合う白銀の輝き、飛び散るは火花。
「くッ―――相変わらず鬱陶しい奴だな、ヘラ!」
「しぶとくしつこくがあたしのモットーだって知ってんだろ?」
互いに押し合い、その果てに間合いを離し―――瞬時に斬撃の応酬へと移る。白鉄の弧と弧が暗夜を滑り、橙色の破片を散らす。片や斬り合いの最中にナイフを投じて直線を描けば、片や鎖鎌を振り回して円を刻む。周囲の地面にに散らばって刺さった刃物は十字の墓標が如く。そんな即席の虚構の墓場の中、死神は二人きりの円舞を踊る。
「あんたは一体何本隠し持ちゃ気が済むのさ、ジャック!!」
「決まっている―――標的の命、尽きるまでだッ!!」
おおよそ暗殺者らしからぬ派手な攻防が続くが、これが彼等組織のアサシンの戦い方である。正確には、自身を迎え討たんとする実力者との戦いではこのような応酬が見られるだろう。だが、一対多の形式自体は彼等にとってイレギュラーとなる。本来組織の暗殺者は対象を一対一の状況に持ち込んだ上で各個で仕留める戦法を基本としており、連携して殺しに及ぶことは滅多にないのだ。。
例えば、護衛に囲まれたらその包囲を抜け出すことを重視し、迅速に撤退するだろう。故に修得し、鍛えるのは一対一の対人戦で必勝する戦い方と、確実な隠密行動の技術。逆に言うなれば、このような状況での戦い方や連携の取り方などはあまり鍛えられていないという事でもある。ここまで勝負が長引いているのには、そういう事情も絡んでいた。
そして彼らとて、普段からこのような武器を暗殺に用いているわけではない。ロクスレイとジャックを除く二名は特にそうだ。例えば、ヘラは俊敏さやしなやかな肉体を利用した絞め技や、人知れず毒物を混入させての毒殺がメインである。ゴリアテであれば暗殺実行時に膨張する筋肉が生み出す怪力を用いた、地蔵背負いによる自殺偽装の絞殺を得意とする。鎌もメイスも、二人にとっては強敵を仕留めるための切り札だったのだ。
「いただきッ!」
再度の鍔迫り合う彼ら。そんな中で拮抗していた状況を変えたのは、ヘラが持つ鎖鎌のメイス型分銅だった。左手に握られた鈍器による腹部への打撃、それを避けようと後方へ飛び退くジャック。空中に跳んだ彼を追撃するは、ロクスレイが放つ魔力の矢。飛来したのは一発のみ。されど先程までと違い、少し太くて長い―――構成する魔力を高密度にした物だった。
ジャックは咄嗟に左手で、外套の下から投擲用ナイフを四本取り出し、迎撃を兼ねて放つ。一直線に宙を駆け抜けるナイフの、その内の一本が矢と衝突して魔力が弾け、衝撃波が走る。大気が戦慄き、空中のジャックを意図も容易く吹き飛ばした。まさに宙を舞う紙切れのように。彼はコンクリートの地を二回転しつつも体勢を整えようとした。しかし、その先に待ち構えるは、鉄槌をバットの如く構えたゴリアテだった。
「さらばだ……ジャック」
今まさに振り抜かんと、引かれたメイスが小刻みに震える。数瞬の後にはモーニングスターが銀の軌跡を描いて憐れな獲物に叩き付けられるだろう。
「ッ―――」
そこでジャックは咄嗟に、右手のサクスを手首のスナップを効かせて放る。左手で外套の内から、投擲用ナイフを取り出すよりは速いとの無意識下による決断だろうか。これにより彼はメインウェポンを一時的に喪失した。だが、放たれた刃渡り三十センチの小刀は見事に仮面を貫通し、ゴリアテの左目を潰していた。
「ぐぅぁッ!?」
痛みに耐え兼ね、一瞬だけ巨漢は動きを止める。その刹那の間にジャックは無詠唱による加速魔術を二重に行使、自身の行動に関する速度を四倍速に引き上げた。そしてやや遅れて迫る鉄球を加速した思考がスローモーションで捉え、それを足場にしてさらに飛び上がる。
「―――何ッ!?」
髑髏の眼窩が紅に輝き、軌跡を描いて天へと伸びる。巨人の戦士の視線がそれをなぞって空を見上げれば、頭上でくるりと月面宙返りをする影一つ。それによってジャックはゴリアテの頭上を通過し、後ろから首に手を回してしがみつく。そして彼は左手を突き刺さったサクスの柄に掛けて、右手で予備のダガーをマントの内から取り出して逆手で握り締め―――対象のさだめを告げる。
「許せ、ゴリアテ」
その一瞬だけ、ジャックは何の躊躇いも見せなかった。彼はサクスを左に、ダガーをゴリアテの喉元に押し付けてながら右に滑らせる。左目の回りはさらに抉られて肉片が飛び散り、刹那に二ヶ所から吹き出すは赤い噴水。上がる鮮血は霧雨のように、白い仮面に赤く小さな斑点を無数に描く。
「カハッ―――!?」
「―――本当に良い奴だったよ、お前は」
無表情な仮面の下に悲しみを隠し、彼はポツリと呟いた。努めて無感情な囁き声で漏らした言葉は、彼なりの友へ贈る弔辞だったのだろうか。ジャックはやがてその大きな背を蹴って飛び退き、音もなく着地する。ゴリアテは痛みに顔を歪めた後、断末魔の絶叫とともによろめきながら地に伏していく。
「見……ご、とだ……我が、友よ―――」
倒れた男はゆっくりと瞳を閉じる。荒かった息遣いも消えていき、二メートル程に膨れていた巨体が凡そ百八十センチ程まで萎んでいく。そうして遂には静かに、呆気なく永久の眠りへと旅立った。これがゴリアテの最期だった。
「よ、よくもゴリアテを殺ってくれたねぇ!許さないよ―――ジャァァァック!!」
仲間を殺された事に怒りを爆発させたのか、ヘラが顔を歪めて怨嗟の叫びを挙げつつジャックに襲い掛かる。空中に飛び上がって鎖鎌とメイス型分銅を連結し―――百センチの鎌と五十センチのメイス型分銅、合わせて一本の鎌へと変えて振り下ろさんとした。それに合わせて、ジャックは外套の中から一つの黒き鉄球を取り出して地面に叩きつける。炸裂するはメタリックブラックの球体―――その名も閃光鉄球。瞬間、辺りに広がるは眩い光。
「くっ!?小癪なんだよッ!」
それに彼女は舌打ちをしつつ眼を瞑る。視界を閉じた中でもヘラは何とかジャックに狙いを定め、上空からの唐竹割りを断行した―――が、しかし。
「手応えが………まさかっ!?」
光が徐々に止み、ヘラが眼を開くとそこには誰もいなかった。彼女の百五十センチ程の鎌が切り裂いたのは、何も無い虚空であった。ジャックは閃光鉄球の破裂と同時に跳躍し両者の包囲を突破、戦線を離脱していたのだ。
「チッ………面倒だがさっさと追うぞ。ここで仕留めれば、我々も冠位入り出来るかもしれんからな」
後方より魔術仕掛けのクロスボウを肩に担いだロクスレイが、殺意にその身を焦がすヘラに声を掛ける。彼女は鎌を一度頭上で回転させた後、肩に担いで苛立ちに声を荒げて言葉を返す。
「言われなくてもわかってる!待ってな、ジャック……ゴリアテの仇は討たせてもらうよ」
そうして二人は彼を追うために飛び上がる。空気中に棚引く魔力を感知しそれを追う。彼らの行く手に広がるは不夜の摩天楼、そして黒紫の雲が掛かった満月だった。
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『やはり殺したか。しかもかつての友人を。気にかけてくれた、数少ない仲間を』
『死にたくなかった、だから殺した。それ以外に道はなかった』
『本当にそうか?最早『殺し』に正当性の保障は無いというのに』
『当然だ、これは仕方のないことだ。生きている以上、死にたくないと思うのは』
『どうかな。あの場で殺されていたら、もう殺しに手を染めないで済んだのにな』
『それは………違う、俺が殺される事は解決策にはならない。俺は、俺は―――』
『いや、そうだろ?誰も殺したくないんだったら、背信者になったあの時点で殺されるべきだったのだ。もう終わりにしようぜ?殺したくないならさ』
『だが……俺は………』
『―――死にたくもない、と。つくづく我が儘な奴だよ俺は。どっちかしかないのさ。死ぬか殺すかの二択、それしか道はない。誰も殺せないなら死んでしまえ。そうすればこの『狂気』も消える』
夜闇の中、月光に照らされたシルエットは押し黙る―――いや、そもそも彼は最初から静寂の中にいた。ここはビル街、コンクリートの木々の間を吹き抜ける風の音以外何一つ聞こえぬ空中の逃走路。そんな沈黙の中、喧しいのは彼の頭の中に響く自問自答―――或いは自問他答の声のみ。
『―――じゃあいっそのこと殺せ、皆殺してしまえ。死ねないのなら、死ぬ勇気すらないのなら。どうせもう戻れないんだ、生きる為に邪魔者を殺せ。分かっているだろ?どんな生物だって、生きる為に他の生物を犠牲にしてんだ。今更散々殺っておいて、何を躊躇う必要がある?』
『だけど俺は、誰も殺したくない。されど死にたくもない』
『けれど死を回避するには殺すしかなく、それを避ければ俺が殺される。ほら、堂々巡りだろ?永遠に続く地獄の回廊なのさ、俺達が居る場所は』
「どうしろと言うんだ、俺に………いや。どうしたら良いのか、分からないんだ。俺には、もう何も」
脳裏に飛び交う異なる己との対話を打ち切り、男は屍の仮面の中で声を絞り出す。もう彼には何もかもが分からなかった。殺す事が嫌で逃げ出したジャックに待っていたのは、更なる殺人の連鎖だったのだ。生きる為の無意味な殺戮という行為を、それ自体から逃避するために行わなければならないのは―――矛盾という名の滑稽な不条理であろう。
2024.9.17 前回の修正を受け、文体を修正。