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神は夢見る

作者: 石乃にし

 君だけでもどうか、どうか生き延びてくれ。

一番の親友から最期に託された言葉。けれど、残念ながらその願いを叶える可能性は望み薄だ。じきに僕は死ぬだろう。とうの昔に空っぽになった胃。体は傷だらけで満身創痍。そして、とどめを刺すかのように、かんかんと照り付ける太陽。頼りにできるような身内も家も無い。これで生き延びられるほうがおかしい。

 だんだんと意識が遠のいていく。約十五年。短い人生だった。脳裏に蘇るのは、僕が手にかけてきた人々の命乞いをしてくる眼。そんなものばかりで、惜しむものも何もなく、心残りも親友の言葉だけだ。

ふとどこからか、地を踏む音が聞こえた。

 力を振り絞ってゆっくりと目を開けると、長い髪の何者かがそこにいた。人の形を成してはいる。けれど直感が、目の前の何者かは人でないと告げている。


「君は、何か思うことは無いかい?」


何者かが、そう問いかけてきた。思うことといえばただ一つ。


「叶うことなら、生き延びたい……」


生き延びてくれと言われた。訳も分からないまま、あの施設から飛び出してきて、知る限り生き残っているのは僕しかいないのだ。


「そうかい。それなら……」


強く願うことだ、と何者かは笑って言った。生きていたいと強く願えば良い。きっと神は君の願いを叶えるだろう、と。初対面のはずなのに、どこか懐かしさを感じる微笑みで。謎の安心感を覚えた僕は、何者かの腕に自分の体を預けたのだった。



目が覚めた。どうやら僕はまだ生きているらしい。あったはずの傷は癒えているのか、痛みが消えている。手をついて体を起こすと、僕が横になっていたのは、ふかふかの毛布とベッドであったことに気づく。こんな贅沢な寝床についたのは生まれて初めてだ。横には、あの何かが立っている。


「気分はどうかな」

「生きていることが不思議で、それ以外は何も。それより、あなたは一体何者なんだ。人の形をしているけれども人ではないのだろう」


何かは、目を見開いた。それから嬉しそうに微笑んだ。


「分かるのかい。私が人ではないと」

「ああ、何となくだけど」


人にしてはあまりに容姿が整っていて、男なのか女なのか見分けがつかない。長い金髪は、腰の下まで伸びている。藤色の瞳なんて初めて見た。まるで宝石のようで、物好きに差し出せば高値で売れそうだ。服装は貴族のように見える。動けばひらりとはためくマントが特徴的だ。


「私の存在を人間にも分かりやすいように言うとすれば……そうだな、神とでも言おうか」


神。僕は生まれてこのかた、その存在を信じたことは一度たりとも無い。


「神なんているものか」

「いるさ。ここに」

「死神だろう」


どう見ても胡散臭い。死にかけのところを助けて、死ぬまで奴隷のごとく働かせる魂胆か。押し売りの良心でもって治した治療代を稼げ、と。


「君は目が覚めても生きてるけれどね」

「じゃあ、悪魔だ。僕を太らせた後に食べる気か?」


狐が小動物を太らせてから食べようとする童話を読んだことがある。結末は覚えていない。


「随分と警戒するねぇ。大体の人間は、神を目の前にすると、願いを言ってくるものだけど。こんなに警戒されるのは初めてだよ。とても新鮮だ。まあ、安心してくれ。私は悪魔じゃあ無い。悪いようにはしないさ」


悪いようにはしない。何度も聞いてきた台詞だ。それで、悪いようにはしなかった奴などいなかった。僕は、この手のことに関しては詳しいという自負がある。


「信用できないな。僕のいた施設の職員のお上か?」

「私が人ではないという設定は何処にいったんだい?」

「あの施設のやることなすこと、全てが悪魔的だった。職員がお前に魂でも売って契約していたのだろう」

「悲劇的な物語だね」

「馬鹿にしているな?」

「神の存在を疑って馬鹿にしているのは、君だろう? 見知らぬ存在を疑うことは仕方がないさ。しかし、疑心暗鬼になりすぎるのもどうかと思うね」


本当に、こいつは神だというのか。地上の日々を天の上から見ていたうえで、助けることもなく傍観していた存在が本当に実在していたと。


「…助けるのが遅すぎだ」

「ヒーローは遅れてやってくるものさ」


「それが遅すぎたと言っているんだ。ヒーロー失格だ。何人の仲間が死んでいった? どれだけの痛みを覚えてきた? お前は知らないだろう」

「それを言われると、私もちょっと辛いね」


神の表情が陰りを見せる。今までの演技がかったような表情とは明らかに違うものだ。言い過ぎたか、とも思ったが、いやこれで良いのだと言い聞かせる。本当に神だとするならば、言いたい不満が山のようにあるのだから。まだまだ言ってやるぞ、と意気込んだ時、部屋のドアが開いた。見れば、これまた人ではない何者かが姿を見せた。ここは、神の住処なのだろうか。


「お、坊主の目が覚めたか」


筋骨隆々でいかにも男という見た目をしてはいるが、人ではない。肩まで伸びた白髪と浅黒い肌。何もかもが俺を拾ったやつとは違っているが、瞳の色だけは同じ藤色だ。こいつは間違いなく戦闘能力に長けている、とすぐに感じ取れた。それほどの雰囲気を漂わせている。


「よお、坊主。助かって良かったなあ。まあ、ラプラスにしてみれば、全然状況は良くないんだがな」

「僕を拾ったやつのことは、ラプラスと呼べばいいのか」


ラプラスはただ微笑んで頷いた。


「なんだ、まだ名乗ってもいなかったのか。俺のことは、インクルシオと呼んでくれ。坊主のことはなんて呼べばいい?」

「red11と。職員からは、意味のある名ではないと聞いている」


俗に言う識別番号というものだ。あの施設に入れば名を失い、代わりに識別番号が与えられた。


「じゃあ、私が名を与えよう」


ラプラスはしばらく考えた後、うむ、と頷いた。


「君は今からサルースと名乗ればいい」


サルース。不思議としっくりくる。


「人間っていうのは難儀だよねえ。何もかも名前を付けなければ認識すらままならない。神は、真名を大事にするけれど、それは人間がいるからこそなんだ。私たちを信じてくれる人間がいなければ、神は実体を失う。存在は消えないまま、依り代だけが無くなってしまう」


ラプラスの言わんとしていることは分からなくもない。でも難しくて、全てを理解できているとは思えなかった。


「依り代が無くなったら何が残るんだ。魂か?」

「それはどうだろうね。私にも分からないなぁ」


はぐらかされているように感じた。インクルシオの顔を見る限り、何か知っていそうである。


「それでラプラスはいつまで俺の神域に居座るつもりなんだ? まさか、ずっとここに居るつもりではないだろうな。それに、坊主のこともただ拾ってきただけで、後のことは何も考えてないんだろ」

「あー、それねえ。私の力が回復したら、視察も兼ねて人の世に降りるよ。次の世界を造る参考にするためにね」

「そんなに力を失って、回復する充てがあるのかよ。まあ良い。気の済むまでここにいろ」


かくして俺は、神たちと生活を共にすることとなった。



 拾われて、ただ自堕落に贅沢な生活を享受するわけにもいかないと思い、手伝いをすると申し出たが断られた。神の使いである天使が、何から何まで世話をしてくれるという。それでも居候の僕が何もしないでいるのは、あまりに暇で落ち着かない。手伝いをすることは叶わなかったが、本を読んだり、チェスをしたり、インクルシオに剣の稽古をつけて貰ったりして過ごしていた。思っていた通り、インクルシオは強かった。今のところ全敗である。まったく敵わない。聞けば、戦いを司る神だという。一生インクルシオには勝てないのだろうな、と悟った。毎回ぼろ負けするのに、インクルシオは僕を褒める。強い相手に認められて嬉しい気持ちもあるが、負けてばかりでいるのは悔しい。

 今は、午後のお茶を嗜む時間だそうだ。神というのは飲み食いしなくても存在を保てるそうだが、食の楽しみがないと飽きるのだという。贅沢な話だ。僕は今まで、生き延びるための食しか知らなかった。施設の外には、知らない世界が広がっていることに薄々気づいていたが、ここまでだとは思わなかった。


「神って結局何なんだ」


お茶を一口飲んでみる。少し苦いが、香りが鼻から抜けていった。心が満たされるとはこのことか。


「神にはそれぞれ担うべき役割がある。私の役割は世界を創ること。つまり、創造神というわけさ」

「つまり、僕の生きていた世界も創ったってことで合っているか?」


自分ではどうしようもない運命に流されるだけの日々。あの世界を造ったやつが、いま目の前にいる。

蘇る。あの辛かった日々を。死んでいった仲間たちの縋るような眼を。忘れたくとも、脳裏にこびりついて離れない。怒りが沸き上がる。


「……あんたのせいだ。あんたのせいだ! 何もかも全部、全部、全部!」


僕が声を荒げても、ラプラスは涼しい顔をしたままだ。それが余計に俺の神経を逆なでした。


「仲間が痛い思いをしたのも、死んでいったことも、あんたが世界を創ったせいだろう!」


ガチャンと音をたてて、お茶の入っていたカップが地に落ちて砕け散った。あとで叱責されるかもしれないが、僕はそれを気に留めずにラプラスを見据える。僕の人生に与えられた理不尽が許せなかった。


「君に怪我は無いかい」


返ってきた言葉はそんなものだった。


「……は?」

「カップが割れただろう。君に怪我は無いかい」

「無い、と思う……」

「それは良かった。……それぞれの世界を統べる神たちから、似たようなことを言われたよ」


そういうと、ラプラスは椅子から腰を上げ、俺に背を向けた。今、ラプラスはどんな顔をしているのか。


「それでも私は世界を作らなければいけない。私とはそういう存在だから。役目を見失ってしまうと、神は存在が揺らぐ。すると、私の創ったものはどうなると思う?」

「どうなるって聞かれても……」


難しいことはよく分からない。でもそれは、自分がそう思いたいだけだ。本当は、頭の隅のどこかで分かりかけている自分がいる。どうか、違っていてくれ。そう願いながら、僕は思っていることを口に出す。


「……世界も揺らぐ?」

「正解。よく分かったね」


ラプラスはくるりとこちらを振り返って、微笑んだ。腹の底が知れない微笑みに、背筋がぞわっとする。その表情から世界が揺らぐとは、荒廃が進むことを意味するのだと察した。


「私が私であるために、私は役目を行わなくてはいけない。それぞれの世界の安定のために」


聞いたことのない、真面目な声音ではっきりと述べた。直後、ぱりんと何かが割れる音が聞こえた。あたりを見回しても何かが割れたような形跡は、俺が先ほど割ってしまったカップの他には見当たらない。それでも、確かに聞いたのだ。割れたような音は、空耳だったとでも言うのだろうか。


「今、何か割れたような音がしなかったか?」


尋ねると、ラプラスは目を見開いた。


「驚いたな。君には私の心の音が聞こえると言うのかい」

「よく分からんが、心臓の音とは違うんだろ。脈打つような音には聞こえなかった」

「そうだね。人に似せた臓器があるうえに、厄介なことに心まである。人と違うのは、心臓の中に異空間があって、それぞれの神を象徴するような精神世界が広がっていることだ。私には、硝子のようなものでできた花がどこまでも広がっているらしいよ。確かめたことが無いから本当のところは知らないんだけれどね」


硝子でできた花畑を思い浮かべた。どこまでも冷たくて儚い。空はどこまでも灰汁を煮詰めたように曇っている。陽の光があればきらきらと輝くはずの硝子の花は、曇り空のもとで散る日を待っている。まるで見たことがあるように、想像できる。そんなはずは無いのに。

心の中の硝子が割れるっていうのはつまり、悲しい思いや辛い思いをしたということなんだろうか。きっと、このことを聞いてもラプラスは答えずにはぐらかすのだろう。急に、ラプラスの孤独を感じた。


「……あんたが幸せになれる世界を創ろうと思ったことはないのか?」


自分でも、自分が何を言っているのか分からない。不意に出た言葉だった。


「私が?」

「そう。おとぎ話みたいな魔法が使えて、あんたが幸せになれる世界だ」

「色んな世界で数え切れないほどの人が不幸を被った。願いが叶うことなく死んでいった。その世界を創った私が幸せになるなんて、赦されないだろう」

「見届けてきた分だけ、あんたも傷ついているんだ」

「そうかな」

「そうなんだ」


こいつは自分で気付いていない。でも、俺には想像できる。心の花がたくさん散っているところを。俺が聞く前から、もう幾度となく割れ続けているのだ、きっと。今まで、地を這って生きている俺たちばかりが辛いのだと思っていた。どうやらその考えは改めないといけないらしい。人には想像もつかないほど長い時を彷徨って人を見守る。けれど、人には理解をされない。それが神という生き方なのだとしたら、あまりにも寂しい。悲しい。


「たまには神だって夢を見たって良いと思うんだ」

「ははっ、君はやっぱり面白いね。運命の神が生き延びさせただけのことはある」

「運命の神?」

「ああ。死神が仕えている主人だ。運命を握っているからって、いつも偉そうにふんぞり返っている、いけ好かないやつさ。君はあいつに気に入られている。きっと長生きできるよ」

「神に長生きできると言われると、軽く千年は超えそうで不気味だ」

「君が望むなら、運命の神はそうするだろうね」


そこまで聞いて、上手いこと話が逸らされたことに気づいた。僕はラプラスを思い切り睨みつける。


「あんた、話を逸らしたな?」

「なんのことやら」

「白々しいな。あんたの幸せについて話していたはずだ。それがどうして僕の寿命の話になっている」


こちらは真面目に聞いているのに、ラプラスは、あはは、と声をたてて笑った。こいつはよく笑う。こんなに笑っていて、表情筋が疲れないものか。


「君は優しいね」


優しい。それはいけないことだ。そんな訳はないのに、優しさは捨てろ、という職員の声がすぐ傍で聞こえる気がした。優しさは捨てろ、心はいらない。ずっとそう言われて僕は育ってきた。僕が誰かに優しいと言われるなんて、あってはならないことだ。駄目なことだ。常に非情であれ。心を殺せ。薄情であれ。施設にあった本を読んで心を動かされるたびに、叱責を受けていた。あれも一種の訓練だったのだ。


「……僕は優しくなんかない」

「優しいよ」

「違う」


やめろ。そんな慈愛に満ちた目で僕を見るな。思い出せ。僕の役割を。やるべきことを。僕は兵器だ。敵の殲滅だ。


「僕は何もかもを奪って壊す存在だ。人の命、未来、生きていくための場所。優しい奴にはできない」

「それはその施設の方針、作られた人格だ。兵器としての君だ。本来の君は優しいのさ。葛藤していただろう」


僕のことなど何も知りもしない癖に、どうしてそんなことが言えるのか。僕は、泣いて乞われても容赦なく命を切り捨てる。そんな人間だ。もしも本当に死後の世界があるならば、間違いなく地獄に落ちるだろう。

 しかし、ラプラスの真っすぐな眼を前にすると、これ以上は嘘をつけないと思った。


「僕は……辛かったのかもしれない。どれも僕の望むことではなかったかもしれない。それが本当かどうか今はまだ分からない」


正直に思っていることを告げると、ラプラスはにっこりと笑った。そして僕の頭に手を伸ばした。反射的に僕はその手を強く払いのけた。ラプラスはただ黙って、払いのけられた手を見つめている。


「ああ、そうか。殴られたり、叩かれたりすると思ったんだね。悪かった。そんなに怯えないで。私は君に決して危害を加えない。ただ、撫でたかっただけなんだ」


撫でる。その行為に何の意味があるのだろう。僕はその行動そのものを知ってはいるけれど、撫でられたことは無いし、僕が誰かを撫でたことも無い。


「撫でてもいいかな」


黙ってただ頷いた。再度、ラプラスの手のひらが僕の頭に伸ばされる。それでも恐怖があった。握り拳を固く握りしめて、目をぎゅっと瞑った。受けた衝撃はごくごく弱くて優しいものだった。


「痛かったかい?」

「いや」


この行為の意味は分からない。けれども、心が僅かに暖かくなったような気がした。



 力が回復するまで、とラプラスは言っていたが、それがどれ位の時間なのかは、聞いていない。少なくとも、一か月が経過したが、まだここを出る準備は整っていないらしい。神の持つ力とは。それすらも知らされていない僕には、回復するまでにあとどれ程の時間を要するのかなど、知る由もない。

 キンッと冷たい音を立てて、僕の手から剣が滑り落ちた。またもや僕の負けである。毎日のように中庭でインクルシオと手合わせをしているが、勝てた試しがない。これが、神の力なのだろうか。


「神の力とは何なんだ」

「気になるか? にしても、坊主は強いな」

「今日もあんたには勝てなかった」

「そりゃあそうさ。何てたって俺は、戦いを司る軍神だからな。人間相手に負けちゃあお終いだ。そうなった暁には、あんたに引導をわたさなきゃならないな」

「軍神……」


人間にも、軍神の使いと呼ばれた英雄がいた。僕の一番の親友だった。彼は抵抗むなしく、真っ先に始末された。英雄でも逃げられなかった。


「まあ、部屋の中に戻ってから話をしようや」


 中庭から戻ると、インクルシオの天使たちが茶の用意を済ましてくれていた。インクルシオとその天使たちとは毎日顔を合わせるが、ラプラスとは久しく会っていない。ひとつ屋根の下で生活をしているはずなのだが、顔を合わせることがないのは、、ずっと部屋に籠っているからである。ドアをノックしても反応が無い。ドアを破壊して押し入ろうとしたが、インクルシオに止められた。何故だと尋ねても、インクルシオは何も答えなかった。

 今日の茶は紅茶だという。俺が生活していた世界では、紅茶と一口に言っても産地によって名前が変わるのだそうだ。俺の世界のことを教わる度、実に俺が世間知らずであったかを思い知らされる。


「で、神の力について知りたいって?」

「おおよそ、ラプラスがずっと閉じ籠っているのとも関係があるのだろう?」

「まあな」


さて、どこから話したものか、とインクルシオは呟いた。

 神にはそれぞれ役割がある。それは神自身が望んでいないことであったとしても、遂行しなければならない。その支えとなるのが、人々の祈りと、神として生まれ落ちた時に与えられた神域であるという。そして、役割を果たすために使うのが神の力なのだ、とインクルシオは説明した。


「人々の祈りが少なくなったり、神域を失ったりすると神の力が弱まる。一定以上弱まると、世界の理から弾かれるんだ」

「それじゃあ、今のラプラスは世界の理から弾かれる手前ということか?」

「そういうことだ」

「そしたら、世界が崩れてしまうのでは?」

「神の代替わりをすれば、問題ないんだが……」


あいつは、代替わりをしたがらない、とインクルシオは言う。何故と問えば、創造の神は嫌われやすいからだと返答された。ラプラスが神域を失ったのも、神々から嫌われたことが発端となっている。


「だから今のラプラスは何とか力を繋ぎとめるために部屋に籠っているというわけだ」


あんまりだ、と思った。


「そんな面倒なこと辞めてしまえば良いのに」

「役割を投げ出すことはできない。役割から逃れようとすれば、人間でいう心臓の辺りが燃えるような痛みに襲われる。痛むだけで、神は死ねないからな」


あいつは優しすぎるんだ、とインクルシオは独り言のような小ささで呟いた。優しさが過ぎるあまり、過酷な神の運命を誰にも負わせたくない。代替わりをできない。


「代替わりを終えずに世界の理から弾かれることはないのか?」


多分ないのだろうな、と思いつつも僕は聞いた。


「代替わりを終えるまでは祖なる神から力の供給がされるからな。ラプラスはその供給さえも拒んでいるみたいだから、何がしたいのか俺にもよく分からん。それでもラプラスは長続きした方なんだ。創造神は嫌われやすくてな。代替わりが激しいんだ。あいつも早く代替わりを済ませれば、全ての苦しみから解放されるのに」


理不尽だ、とインクルシオは言った。でもその苦しみを代わってやれないと苦しんでいるのはインクルシオだ。なぜ誰も彼もが苦しみを味わなければならないのか。人より強い力をもった神々であるのに。

 何か話をしたい。そう思って僕が語りはじめたのは、施設でのことだった。

 俺は施設で兵器として育てられた。親に捨てられ、他に身内の無いものが、唯一お国のために役立つことができる場所なのだと言われて。僕たちは強かった。敵国の領土を奪う作戦が成功すると称賛され、親友のように英雄と呼ばれる者もいた。全てが順調だった。ある日、戦争に負けるまでは。負けてしまうと、職員たちの目が変わった。僕たちを失敗だったと言い、敵国に手に渡らないよう最初から無かったものとして処理を決行した。そして、あの施設は爆破された。満身創痍で命からかがら逃げ切ったのが僕である。勝手に期待をしておきながら、この幕引きはあまりにも酷い。理不尽だ、と思った。こんな理不尽な目に遭っているのはあの施設にいた僕たちだけだと。

 僕はそんなようなことを、ぽつぽつと話した。上手く話すのは難しくて、たどたどしい部分もあったが、インクルシオは黙って耳を傾けてくれていた。


「僕たちの生きていた世界を造った存在まで理不尽な目に遭っているとは思わなかった」


逆に、どの存在が理不尽な目に遭わずに過ごすことができているというのだろうか。


「一つだけ聞きたい」

「何だ?」

「僕が目覚める前に治療をしてくれたのは、ラプラスなのか?」


ラプラスに拾われてから、目覚めるまで。どれほどの時間が経っていたのかは分からない。けれども、人の持つ自然治癒だけではあれ程までに回復するのは難しいだろう。そうとなれば、治したのはラプラスしかいない。そう考えたのだった。


「そうだ。あんまり力が残っていないんだから、坊主を救いたいんなら俺がやるって言ったんだが、自分で治すって言って聞かなくってな」


あいつがあんなに意固地になるなんて滅多にないから、それ以上は食い下がれなかった、とインクルシオは語った。その様子には鬼気迫るものがあったと。


「そんで坊主を見てピンときた。あんたにゃ、神になる器がある。きっと、前世には何らかの神をしていたんじゃないかってな」


インクルシオは茶の最後の一滴を飲み干した。


「それじゃあ……」

「あんたに悠久の時を生きる覚悟と嫌われる覚悟があれば、俺から言うことは何も無いさ」



 ラプラスの部屋のドアを叩くのは何日ぶりだろうか。以前とは違って、反応があった。ガチャリとドアが開いて出てきたのは、すっかりやせ細ったラプラスだった。それなのに、やあ久しぶりだね、だなんて笑っている。こいつのこういうところが僕は気に入らない。苦しみを一人で全て抱えようとしてしまうのは、あの施設の一番の親友とよく似ている。

 部屋は何も無いがらんどうだった。今までどうやって過ごしていたのかを推測することすらできない。多分、ラプラスのことだから、知られるわけにはいくまいとでも思っているのだろう。どうしてだか、読み取れてしまう。

 僕を招き入れると、全ての力を使い果たしたかのように、へにゃりと床に座りこんだ。


「君は前に聞いたことがあったね。依り代が無くなったら神はどうなるかって。今にわかるだろう」


こんな形で知りたくはなかった。違う。こんな結末を望んでなどいない。僕を救ってくれた、ただ唯一の存在。

なぜ。どうして。僕を置いていこうとするのか。


「待ってくれ」

「君の願いでも、こればっかりは無理かな。代わりといってはなんだけど、私から君に最後の贈り物という名の呪いをあげよう」


ラプラスの手が僕の手を取った。これ以上ないというくらい優しいまなざしで、僕の手の甲を見つめている。


「本当は君の意思を聞くべきなんだけれど、私にはその勇気が無いんだ。許してくれ」


僕の手を口元まで寄せたところまで見て、恥ずかしくなって目を逸らした。こんな時なのにラプラスはふふっと笑う。柔らかいものが手の甲に触れた。それから、あたたかいものが流れ込んでくる。これは多分、力だ。神の力だ。ラプラスは最後の力を振り絞って僕を神にしようとしている。これから何千年の時を彷徨うことを強いられるだろう。どんなに辛くなっても、人の世を見守らなければいけないのだろう。


「ひどいなラプラスは」


それでも、ラプラスがこれを望むというのならば、許してやろうと決めた。


「僕を助けることなんかに力を使わなくたって良かったのに。運命の神に好かれてるなんて嘘までついた」

「インクルシオが余計なことを……。でも運命の神の話は嘘じゃないさ。今世でもこうして出会えたんだから」


今世でも、と言ったその意味を僕は測りかねた。


「いつまでも一緒だ」


その言葉を最後に、ラプラスは光の粒となって消えた。つう、と冷たいものが頬を伝うのを感じた。どうやら僕は泣いているらしい。そんな感情はとうに失っていると思っていた。一番の親友や、仲間の死を見届けてもなお、泣くことのできなかったこの僕が。そんな僕が、泣いていた。悲しみを自覚すると、涙はとめどなくこぼれてきて、止められない。

 何もないがらんどうの部屋で、僕は気の済むまで、一人静かに泣いていた。



 僕が神になって初めて造った世界は、おとぎ話に出てくるようなものだった。魔法が使えて、色々な種族が共存している。それは、いつの日が僕が願った世界だ。

天使が世話を焼いてくれる神域での居心地も悪くは無いが、僕はおとぎ話みたいな世界がお気に入りで、よく人に紛れて居座っている。世界が安定しないという神からのお小言を言われる続ける毎日も、この世界にいる間は気が少し楽になる。

神になると、ラプラスが言っていたように、見た目も体の構造も変わった。瞳は、優しさを意味する藤の花の色に。髪はラプラスの色を引き継いだのか黒髪から金髪になった。しばらくは、自分が自分でなくなったようで落ち着かないものだった。それも、数百年過ぎた今では、特に気にならなくなっている。

今日も僕はおとぎ話みたいな世界をあてもなくうろついている。またいつかどこかの世界の理に加わるであろうあいつが現れるのを夢見ながら。









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