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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第一話 「白い手」
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【6】




 満面の笑顔の大透(ともゆき)が校門で待ちかまえているのを目にした途端、回れ右をして帰りたくなった(みのる)だったが、「クラスメイトが笑顔だったから」という早退理由は誰にも認めてもらえないだろうと思い直して前に進んだ。


「なんか用かよ」


 一昨日にも同じような朝の始まり方をした気がするなと考えながら稔が尋ねると、大透は笑顔をさらにキラキラさせて後ろ手に持っていた一枚の紙を目の前に掲げて見せた。


「じゃーん」


 稔は眉を顰めて広げられた紙を眺めた。四十人ほどの名前と連絡先が書かれた一覧だ。


「なんだよこれ」

「聞いて驚け!八年前の一年杉組の生徒名簿だ!」


 稔が目を丸くすると、大透は焦れたように言い募った。


竹原昌一(たけはら しょういち)のクラスメイトだよ!」


 ほら!と一覧を指差す。確かに、竹原昌一の名前がそこにあった。

 稔はさっと目を動かして一覧の名前を確認した。そこに兄の名前がないのを確かめてほっと息を吐く。


「どっから手に入れたんだよ、こんなもん」

「俺の手に掛かればちょろいもんよ」


 胸を張る大透に、稔は法に触れることをしていないだろうなと疑わしい気分になった。


「こいつらに片っ端から電話して竹原昌一について訊けば、誰か何か覚えてるだろ」

「えー…」


 大透の提案に、稔は気が進まないと正直に顔に出した。見も知らない中学生から八年も前に死んだクラスメイトについて訊かれていい気分のする人間はいないだろう。


「でも、これしか方法がねぇだろ?樫塚のためだよ」


 大透が真顔で言う。稔は言い返せずに口を噤んだ。


「安心しろって。電話は俺がかけるから。倉井は悪霊と対決する時のために力を蓄えておけよ」

「しねぇよ、そんなこと!」


 そんなことするぐらいなら片っ端から電話をかけまくる方が遥かにマシだ。


「まあとにかく、放課後を楽しみにしてな」


 大透はうきうきした様子で紙を鞄に仕舞い、校門を潜った。稔も仕方が無く後に続く。

 後ろから走ってきた道着姿の一団が、稔と大透を追い越していった。空手部の朝練らしい。通り過ぎざまに、最後尾を走っていた石森が何か不安そうに眉をしかめたのに稔は気付いた。


「そういや、石森って樫塚の親友なんだってな。小学校から一緒だってさ。なんか正反対のタイプに思えるけど」


 空手部の一団を見送って、大透が言った。


「しかも、あの二人の小学校って緑王館だぜ。石森はともかく、樫塚なんかよく生き残れたよな」


 近隣で悪名高い小学校の名前を出して大透が苦笑いをする。稔は幼稚園の途中で隣町に移ったから詳しくは知らないが、緑王館というのは陰で「犯罪者予備軍養成所」とまで呼ばれるほどの小学校だ。学級崩壊とイジメの巣窟と言われており、卒業生の多くが不良か引きこもりになることから「裏進学率100%」などという不名誉な評判を立てられている。内大砂は受験はないが、補導歴のある生徒には面接が行われることになっている。それでなくとも、緑王館から規律に厳しい内大砂に入る子供は滅多にいない。


「緑王館出身の樫塚が学年一の秀才なんだから、皆びっくりしてたよな」


 大透が言うのに稔も頷く。上級生から文司を庇っていた石森の姿を思い出す。学級崩壊の温床と呼ばれる緑王館の教室で、あの二人はああやって支え合ってきたのだろうか。


「でも、親友って言うより、石森が樫塚を守ってたっぽいよな。樫塚ってカッコつけてるけど実は気ぃ弱そうだし、石森は面倒見良さそうだしな」


 同じことを考えたのか、大透がそう言って頭を掻いた。




 ***




 体育館の隅にうずくまってうつらうつらしていた文司は、石森に揺り起こされて重い瞼を上げた。


「あ……石森…、朝練終わったの?」


 微笑んで言ったつもりだったのだが思った以上に声に力が入らず、弱々しさを強調する結果になってしまった。石森が深刻そうに顔を歪めたのを見て、慌てて言い直す。


「大丈夫だって。眠いだけだから。…それより、早く着替えてこいよ。ホームルーム始まっちゃうよ」


 他の空手部員が部室に引き上げていくのを目で示してそう言うと、石森は「すぐ来るから待ってろ」と言い置いて部室の方へ駆けていった。

 文司ははーっと長い息を吐いて背後の壁に後頭部を擦り付けた。石森に心配させてしまうことはわかっていたが、一人で教室にいる気にならず見学と称して体育館に居座った。今はどうしても石森から離れたくなかった。


 今朝の、おぞましい感触を思い出して、文司はぞっとして自らをかき抱いた。背中がざわざわとする。あれは、なんだったのだろう。夢だと思い込もうとしても、はっきりと触れてしまった感触がそれを妨げる。文司は手に残る感触を振り払いたくてズボンで手汗を拭った。


 わかっている。気のせいだとか夢だとかではもう誤魔化せない。あの日、図書室に入った日から、おかしなことが続いている。図書室に霊がいるという噂は本当だったのか。しかし、何故自分だけが取り憑かれたのだろう。


(霊感のある振りなんかしたから、怒ったのかな……)


 文司は弱々しい自嘲の笑みを浮かべた。原因といったらそれしか思い浮かばない。だとしたら、自業自得だ。中学に入ってまで、あんな真似をするべきではなかったのだ。ここは緑王館とは違うのだからと、心配する石森にはっきり「大丈夫」だと言えば良かったのだ。自分が弱いせいで、緑王館を脱出した今でさえ、石森に迷惑と心配をかけている。自分さえいなければ、石森はもっと自由で楽しい学校生活を送れたろうに。中学だって、わざわざ厳しい内大砂に来ることもなかったのに。このあたりの学区で緑王館出身者がいない学校なんて内大砂ぐらいしかなかったから、文司は最初から内大砂を志望していた。そんな文司に、石森は「俺も内大砂に行く」と言った。文司は嬉しかった。緑王館からは出たかったが、一人で石森のいない学校に通うのは不安だったのだ。

だから、胸の奥から沸き上がってくる罪悪感に気付かない振りをした。そんな自分がどうしようもなく嫌になる。


(俺なんて、いっそ……)


 文司の意識がゆっくりと暗い方へ落ちていきかかったその時、左腕をぎゅっと掴まれる感覚で文司は我に返った。

 感覚は一瞬だった。痛みもない。不思議と、右腕を掴まれた時のような恐怖も感じなかった。

 ふと、文司は先日見た夢を思い出した。こっちへ来てと右腕を引かれる。それに抗うように掴まれる左腕。


(どういうことなんだろう……)


 文司は息を吐いて壁にもたれ掛かった。何が起きているのか考えなければならないことはわかっていた。

 だが、今の文司には何かを考えることがひどく億劫になってしまっていた。






 様子のおかしい文司が気になって、石森は急いで道着を脱ぎワイシャツを羽織った。本人は大丈夫だと口にするが、文司の大丈夫があてにならないことを石森は良く知っていた。小学校の時だって、いつでも微笑みながら「大丈夫」と繰り返していた。

 物思いに耽りながら着替えていると、違うクラスの部員が「なぁ」と話しかけてきた。


「さっき話してた奴、樫塚とかいう奴だろ?秀才って噂の」


 石森は眉をひそめて相手を見た。


「なんで見学してたんだ?あいつ、空手部に入る気なの?」

「いや、違うけど……」


 相手の口調に馬鹿にしているような響きが滲んでいるのに気付いて、石森は不快さを感じながら答えた。


「違うならいいけどさ。あんなひょろいがり勉が練習についてこれるわけねぇし。つーか、あんな暗そうな奴が運動部なんかに入ったらイジメられそうだよな」

「…………」


 石森は不愉快さを隠さずに相手を睨んだ。何が「暗そう」だ。文司のことを何も知らない癖に、決めつけるように話す相手に腹が立った。


「つーか、なんか性格悪そうじゃね?カッコつけてっし」


 バンッと音を立ててロッカーを閉めた石森は、上着を肩に背負って無言で部室を出た。皆が目を丸くしていたが知ったことか。どいつもこいつも。


 緑王館での六年間は文司にとっては地獄だった。石森は一年生からずっとそれを見てきた。文司は何も悪いことはしていない。ただ、一番賢くて、一番大人しかっただけだ。それだけの理由で、周囲は文司を寄ってたかって虐め尽くした。正義感の強い石森はそれを見る度に止めに入って、一緒に殴られたものだ。その度に文司は申し訳なさそうに眉を下げて石森に礼を言った。


 元々大人しい性格の文司が、イジメのせいでだんだん人と目を合わせなくなっていくのを、石森は忸怩たる思いで見ていた。でも、どんなに虐められても、文司は不登校にはならなかった。芯は強い奴なのだと、石森はいつまで経ってもそれを見抜けない連中が文司のことを馬鹿にするのが許せなかった。


 だから、あんな連中、自業自得なんだ。


 石森は体育館の隅にうずくまったままの文司に声をかけようと顔を上げた。開きかけた口からは言葉が出てこなかった。力尽きたように顔を俯かせて座り込む文司。その姿を覆うように、ぼんやりした煙のようなものがまとわりついていた。

 文司の顔を覗き込もうとしているのか、煙の塊がぞろりと動いた。よく見れば、それは長い髪が揺れ動くのに似ていた。


「樫塚!」


 咄嗟に、石森は文司に駆け寄ってその腕を掴んでいた。文司は一瞬ぎくりとしたように顔を強ばらせたが、石森の姿を確かめるとほっとしたように微笑んだ。


「あ…、何?」

「いや……なんでもない」


 石森は文司を立ち上がらせて目を凝らした。煙のような何かは消えていた。


「石森?」


 文司が首を傾げる。石森は口を開きかけたが、思い直して言葉を飲み込んだ。あれはいったいなんなんだ。文司の身に、何が起こっているのだ。嫌な予感が石森の全身を貫いていた。このままだと、取り返しがつかないことが起こる気がする。


「石森?」


 不安そうに眉を下げる文司になんでもないと笑って見せながら、石森は自らのうちに沸き上がってくる不安と焦燥を抑えきれずにいた。





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