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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第四話 「五月雨に濡れるなかれ」
52/67

【9】




***




「うわあ。外、暗くなってきたなぁ……」


 下駄箱の前で外の空を見上げて、稔はひとりごちた。

 辞書を持ち帰るのが面倒で、教室で宿題を片付けていたのだが、思ったより時間がかかってしまった。午後一時を過ぎている。

 さっき降り出した雨はまだ降り続いている。強い雨ではないが、なかなか止みそうにない。


「腹減ったし、早く帰ろ」


 傘をさして校門に向かう。近くまで来た時、校門前にビニール傘を差した人が立っているのに気づいた。


(私服? 誰だろ)


 誰かを待っているのだろうかと、何気なくそちらに目をやった稔は、その人の前に小さな黒い影が立っているのを見てギクリとして足を止めた。

 小さい——とても小さい子供。ぼんやりとして輪郭がはっきりしないが、恐らく女の子だ。おかっぱ頭に、ぐっしょり触れたワンピースのようなものを着ている。


『……め……め……』


 何か言っている。稔はごくりと息を飲んだ。


「あれ?」


 声がして、はっと顔を上げる。校門前に立っている人物が目を丸くして稔を見ていた。


「もしかして、君、見えてる?」


 稔は小柄な青年と目を合わせて「え?」と呟いた。

 青年はすっと視線を流して黒い影を示した。


(この人も、見えている?)


 稔はごくっと喉を鳴らした。


「大丈夫。悪いものじゃないよ」


 青年はそう言って微笑んだ。


「し、知っている子、ですか?」


 稔は掠れた声で尋ねた。青年は少しも怖がっている様子がない。黒い影もそこに佇んでいるだけで、何かしてきそうな気配はなかった。


「いいや。あの子のことは知らない」


 青年はきっぱり否定した。


「友達がここで部活のコーチをしててさ。もうすぐ終わるだろうから待ってるんだ」


 青年はそう言って傘の柄を握り直した。目印なのか、緑の色テーブが巻かれている。


「そしたら、こんなのがいてさ」

「……よく見るんですか?」


 いきなりこんなものを見てしまったにしては、青年は随分落ち着いている。稔だったら、人を待っている時にこんなものが現れたらとても冷静ではいられない。出来ることがあるとしたら、そそくさと逃げることだけだ。


『……め……め……の……め、なの……』


 黒い影はずっと何かを呟いている。


「いや、他の霊を見たことはないよ」


 平然と答える青年に、稔は何か違和感を覚えた。これが霊を見たことのない人間の反応だろうか。信じず否定するのでもなく、淡々と受け入れている。淡々と、し過ぎている。

 稔が、今まで感じたことのない寒気に背中を震わせた。その時、


「上条!』


 ぱしゃぱしゃと水を跳ねる足音がして、空手部のコーチである町山が駆け寄ってきた。


「あれ? 君は……」


 稔に気づいた町山は首を傾げてから青年に食ってかかった。


「おい上条。生徒に変な真似していないだろうな」

「人聞きが悪いな」


 町山に背中を叩かれて、上条と呼ばれた青年は苦笑いを浮かべた。


「ごめんな。怪しい奴に話しかけられても無視していいから」

「おい」


 町山は稔に軽く謝って、上条と共に歩き出した。

 稔ははっと息を飲んだ。今までただ立っているだけだった黒い影が動いて、町山のズボンを掴んだのだ。


『め……め……の……め……なの……』


 町山は何も気づかない。上条はちらりと足元を見て、何事もなかったかのように町山の隣を歩いた。

 しばらく歩いたところで、黒い影はすうっと消えた。

 連れ立って歩み去っていく二人の後ろ姿を眺めて、稔はその場に立ち尽くした。


(なんなんだ、あれ)


 小さな女の子の霊だった。上条という男は霊を見ても、その霊が友人の足に縋っても平然としていた。

 完璧だ。いないものとして無反応を貫く態度が。

 稔も、見えている者としてあの態度を目指すべきかもしれない。だが、あまりにも霊に対して無感情ではないかという不思議な憤りが稔の胸に渦巻いていた。

 霊に同情するわけではないが、黒い小さな女の子は懸命に何かを訴えていたのに。


(め……って、何だ? 何を訴えたかったんだ?)


 稔は帰り道を歩きながら首を傾げた。




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