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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第四話 「五月雨に濡れるなかれ」
51/67

【8】




***




 あいつは無事に不味い水を飲めただろうか、と石森は部活中にふと文司のことを考えた。

 さんざん世話になっておいてなんだが、やはりあの不味さはもう二度と味わいたくない。しかも、石森はこれまで霊に取り憑かれた当人になったことはない。その自分ですら逃げ出したくなるほど不味いのだから、実際に取り憑かれた人間が飲むといったいどれだけ不味いのだろう。想像するだけでぞっとする。


 霊と同じかそれ以上に恐れられる聖水ってどうなんだ。と思いつつ、窓の方に目をやろうとした石森は、じっと窓の外を見ている町山の姿に気がついた。

 今にも雨が降り出しそうな空を、暗い目で睨んでいる。

 あまりにも強い目つきに石森が思わず首を傾げた時、町山がぱっと振り向いて目が合った。


「石森くん。どうしたんだい?」


 いつもの柔和な表情に戻った町山が微笑む。


「あ……いえ、あの」


 石森が言い淀んだその時、ぱたた、と窓を叩く雨の音が耳に届いた。


「ああ。降り出したね」


 町山が窓を見やる。やはり暗い目つきで睨みつけるように。


「雨、嫌いなんですか」


 石森は思わず尋ねた。


「嫌いだよ」


 町山は硬い声で答えた。


「雨は嫌いなんだ。嫌な思い出があってね」


 雨が好きだという人間はあまり多くないだろうが、町山の様子ではまるで憎しみまで抱いているように見える。


「昔、熱を出して死にかけたからですか?」


 確かそんな話をしていた。しかし、雨に打たれて風邪をひいたからといって、普通、雨曇りの空を睨むほど恨んだりするだろうか。


「いや、はは……それも嫌いな理由の一つだけど」


 町山は少し口ごもってから、ふっと息を吐いて言った。


「俺が子供の頃、妹が死んだんだ。雨の日に、殺された」


 予想外の言葉に面食らう石森の前で、町山は遠くを見るように目を細めた。


「土砂降りの雨の日には、どうしても思い出してしまうんだ」


 居たたまれなくなった石森は慌てて目を伏せた。気まずい。


(殺された、って……)


 どういうことだろう。


(通り魔に襲われたとか?)


 そう考えた石森の脳裏に「土砂降り男」のことが思い浮かんだ。

 しかし、すぐにそれは関係ないだろうと思い直した。土砂降り男の被害者は今のところ男だけだし、少女を殴り殺すような残虐な事件があったらもっと騒がれているはずだ。


 でも、何か引っかかる。通り魔。土砂降り。妹。

 妹。幼い女の子。


「……あ、の……妹さんって、いくつで……」


 口ごもりながら尋ねた石森に、町山はぱちりと目を瞬かせて答えた。


「年が離れていてね。妹が二歳で死んだ時、俺は十五歳だった」


(二歳……)


 石森はどくどく鳴る心臓に、胸元を押さえた。文司が見た小さな女の子の霊。石森が見た小さな拳。

 考えすぎだとは思うが、そういえば、石森が黒い頭を見たのはこの道場だった。あれと、文司が見た霊とは違う霊なのだろうか。


「ごめんな。こんな話をして。忘れてくれ」


 町山はそう言ったが、石森は結局部活が終わる時間まで頭の中であれこれ考えてしまって、もやもやした気分を打ち払うことが出来なかった。




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