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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第四話 「五月雨に濡れるなかれ」
49/67

【6】



***




 とても浴室に入る気になれなくて、文司は部屋に戻るなり頭から布団を被った。


「石森は部活中だよな。師匠……は、携帯持ってないんだ。じゃあ、宮城」


 震える手で番号を呼び出し、クラスメイトに電話をかける。とにかく、友達の声でも聞かないとやっていられない。


「なんだったんだよ、あれ……」


 湯船に浮いていた小さな体。よく出来た人形——などではない。子供だ。それも、二歳か三歳くらいの、幼児。

 幼児に取り憑かれるような心当たりはない。この家は元々、文司の祖父母が建てた家で、彼らが亡くなってから引っ越してきたのだ。幼児が住んでいたことなどない。


(あれ……? でも)


 文司はふと思い出した。土砂降りの雨の中に見えた小さな影を。


(そうだ。殴られる直前、小さな子供の影を見て……)


 その時、文司の耳にざああーと雨の音が聞こえた。

 雨か、と何気なく思いかけて、はっと気がついた。

 頭から布団を被っているのに、なんで雨の音がこんなにはっきり聞こえる?

 雨の音はすぐ近くから聞こえていた。耳に押し当てた、携帯の中から。

 ざああーと、呼び出し音の代わりに、雨の音が聞こえる。


「……っ!」


 文司は携帯を耳から離して、咄嗟に枕の下に押し込んだ。


「……なんなんだよっ」


 シーツに顔を押し付けて呻きながら、文司は明日は必ず学校に行くと心に決めた。




***




 今日も雨が降りそうな曇り空だ。

 校門に向かって歩きながら、町山は空をじっと見上げた。

 雨は嫌いだ。

 頭が痛くて、気分が悪くなる。

 雨は、嫌いだ。雨さえ、降っていなければ。


「町山」


 声をかけられて、空を見上げていた町山ははっと顔を前に向けた。校門の横に立っていた青年が、町山に向かって手を振っている。


「なんだお前、また来たのか」


 町山は笑顔になって青年に駆け寄った。青年は手に持ったビニール傘で駆け寄ってきた町山の腰を軽く叩いた。そのお返しに、町山は彼の腹に軽く拳を入れる。


「卑怯だぞ、空手野郎」

「得物使う方が卑怯だろうが」


 軽く小突きあってけたけた笑い合う。気の置けない友人同士のやりとりの後、町山は「何か用があったか?」と尋ねた。


「別に。俺のバイト先から駅に行く途中だからさ、つい。ちょうど終わる時間だし」

「お前、ちゃんと家庭教師できてるのか?」

「お前こそ。純真な中高生に余計なこと教えてねぇだろうな、コーチ様よぉ」


 軽口を叩きながら、町山は青年と並び立って駅の方へ歩み出した。


「そういや上条」

「ん?」

「こないだの土砂降りの日、俺、家に帰ったらびしょ濡れだったんだけど、お前は大丈夫だったか?」


 尋ねてから、町山は首を傾げた。


「ていうか、どこで別れたんだっけ? 途中までお前と一緒に帰っていたよな?」


 親友の上条とは高校の時からの仲だ。小柄な上条は見かけによらず剛胆で、腕っ節は強いのに柔和な性格の町山はいつも尻を叩かれていた。

 町山には時折ぼんやりしていて何をしていたか忘れてしまったり、いつの間にか時が過ぎていたりするという悪癖があるのだが、しっかり者の上条が「昨日は俺と一緒に帰っただろう? 忘れたのか?」などと逐一思い出させてくれるので大いに助かっていた。

 特に、雨の日はついぼんやりしてしまう。


 不意に寒気がして、町山はテーピングを巻いた手をさすった。指先が冷たい。


「お前、傘を持っていないから走って帰るって言って別れたろ。雨がひどくなってきたから。忘れたのかよ」


 しょうがないな、とでも言いたげに上条が笑う。そうか、そうだったな。と町山は納得した。確かにそう言って走り出した記憶がある。


「しっかりしろよ」

「悪い悪い」


 町山は照れ隠しに頭を掻いた。


「寒くなってきたな。早く帰ろう」


 そう言うと、上条はちょっと首を傾げて町山の足下に目を落とした。


「どうした?」

「いや、なんでもない」


 上条はすっと目を細めて微笑んだ。

 町山は、ふと何かに引っ張られたような気がして足下を見た。だが、そこには何もない。


「早く、帰ろう」


 気のせいだ。一瞬だけの違和感をそう片付けて、町山は灰色の空を見上げた。




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