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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第四話 「五月雨に濡れるなかれ」
48/67

【5】




***



 教室に入ってきたクラスメイトに席の前に仁王立ちになられて「おはよう」と言うより先に「俺に何か取り憑いてるか!?」と尋ねられて、稔はすっかり嫌になってしまった。今日はもう帰りたい。


「朝っぱらからなんだよ?」


 教室に入ってくるなり爽やかさの欠片もない質問を繰り出してきた石森を睨んで、稔は口を尖らせた。


「なに? 取り憑かれるようなことしたのか?」


 稔の背後からお馴染みのオカルトマニアが首を突っ込んでくる。


 石森は眉根を寄せて稔の反応を窺っていたが、やがてふうっと息を吐いて肩の力を抜いた。


「……悪い。昨日、ちょっと変なもん見ちゃって」


 稔は一応石森の全身を眺めてみたが、特に何も見えない。もちろん、稔にもすべてものが見える訳ではないが、石森からは何も嫌な気配も感じないし大丈夫だろう。

 そう伝えると石森は安堵したようだったが、すぐにまた顔を引き締めた。


「じゃあ、樫塚を見てくれないか? あいつ、何かに取り憑かれてないか?」

「いや、なんでだよ?」

「俺じゃなかったら樫塚かもしれないんだよ!」


 本日も休みの親友を案じて、石森は力説した。


「昨日、黒い頭を見たんだよ。……たぶん、小さな子供の。それで思い出したんだけど、樫塚の見舞いに行った時に窓にちらっと子供の手みたいなのが見えた気がしたんだよ。一瞬だし、気のせいだと思ってたけど」


 大透が見を乗り出してきて稔の肩を掴んだ。


「でも、倉井が何も気づいていないんだから、何もいなかったんだろ」

「いや、俺だって何もかもに気づく訳じゃないからな」


 本物の霊能力者でもないのに、そこまで過信されても困る。

 そこで本鈴が鳴って担任が教室に入ってきたため、石森は渋々自分の席に向かっていった。


(小さな子供……?)


 稔は首を傾げて思い返したが、文司の部屋でおかしなものを見た記憶はない。文司も怪我をして痛々しいとは思ったが、何かに取り憑かれているようには見えなかった。もちろん、稔は霊能力者ではないので、稔に見えていないだけということはあるかもしれないが。


(やだなぁ。石森の気のせいでありますように)


 絶対関わりたくねぇと思いながら、稔は祈った。




***



 雨の音が耳を打って、文司は目を開けた。

 部屋の中は薄暗くなっている。首を横に向けて枕元の時計を見ると、すでに時刻は夕方だった。


(暑い……)


 だいぶ汗を掻いてしまったようだ。文司は布団をよけて上半身を起こした。顔を触ってみるが、熱は引いた気がする。

 殴られた箇所が腫れ上がっていたため、昨日も一昨日も風呂に入れていないのだ。しかし、そろそろシャワーぐらい浴びてもいいだろうか。

 ずっと布団に入っていたし、少しすっきりしたい。文司はふーっと息を吐いてベッドから出た。


(明日は学校行けそうだな)


 土曜日だし、半日授業だ。多少、熱っぽくても行こうと心に決める。

 欠伸をしながら階下に降りると、居間は真っ暗だった。昨日までは母が仕事を休んで付いていたが、今日は食事の用意だけして普通に出勤した。早めに帰ると言っていたが、どうだろう。

 居間を通り過ぎて洗面所に向かい、風呂場の電気を点けた。

 パジャマを脱ごうとした時、ぴちゃん、と水音がした。


 ボタンを外そうとした手を止めて、文司は振り向いた。風呂場の磨り硝子戸は閉まっている。


 風呂に水は入っていないはずなのに、シャワーがきちんと締まっていないのだろうか。

 しかし、その後は水音が聞こえない。

 文司は手を伸ばして風呂の扉を開けた。


 文司の家の風呂桶は白い。戸の正面には鏡と壁に据え付けられた三段の棚がある。濡れて汚れると掃除が大変なので、シャンプーやら石鹸やらは洗面所の棚に籠に入れて置いてあって、使い終えたら水気を拭いて籠に戻すことになっている。

 だから、風呂場には何も置いていない。

 シャンプーやリンスのボトルがずらずらと並んで、戸の取っ手にはタオルが何枚も重なってだらりと下がって、吸盤付きのフックにはスポンジやら花柄のシャンプーハットやらがぐしゃぐしゃと掛けられている。そんなのは、見たことがない。

 薄いブルーの風呂桶に、たっぷりお湯が溜まっている。湯気が鏡を曇らせていた。

 ぴちゃん。水音が鳴った。

 風呂桶に、うつ伏せに浮かんだ人形——人形、だろう。小さな、ワンピースを着た、子供の、人形が。


 うつ伏せに湯船に浮かんだ人形が、不意にぐあっ、と勢いよく体を起こした。起き上がった、のではなく、引き上げられた、ように。


「……っひ、っ!」


 文司は短く叫んで後ずさった。洗面台にぶつかって、腰に痛みが走る。


「は……っ、っ」


 どくどくと、心臓が鳴る。目の前の開け放した戸から見える風呂場は、いつもの何もない風呂場だ。今さっき目にしたごちゃごちゃしたタオルやボトルはどこにもない。正面の鏡にも曇りがない。


 文司はごくりと息を飲み込むと、恐る恐る風呂場の中を覗き込んだ。


 白い風呂桶は空だった。






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