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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第四話 「五月雨に濡れるなかれ」
44/67

【1】




 雨の音しか聞こえない。


 自分の体の冷たさにびっくりする。上の歯と下の歯ががちがちぶつかり合って痛い。

 雨のひと筋ひと筋が皮膚に突き通ってくるようだ。寒い。寒くてたまらない。


 あまりにも寒いから動けないのだ。目の前にうつ伏せになった小さな妹の体が水に浮かんでいても、手がかじかんで抱き上げることが出来ない。


 背の高い男に見下ろされていても、こいつが妹を殺したとわかっていても、捕まえることが出来ない。


 雨のせいだ。


 雨さえ、降っていなければ。



***



「樫塚、173センチ!」


 おおー、と歓声が上がる。


 この御時世に身長を読み上げるとか、個人情報的にどうなんだと思いつつ、みのるも「おお」と声をあげた。

 長身であることは一目瞭然だが、はっきりと数値で示されればやはり感嘆を覚える。男なら皆、羨ましいと思うはずだ。

 中学一年の春で170センチ越えだ。これから訪れる成長期にどれだけ伸びるだろう。

 しかし、読み上げられた当人は目立ちたくないのか、そそくさと列に戻ってくる。


「……うう、またバスケ部に勧誘される……」


 体育座りで出来るだけ体を縮こめて、そう嘆く。長身には長身の苦労があるらしい。


「樫塚は身長でも学年一位だなぁ!」


 文司ふみかずの心情を知ってか知らずか、身長を測っている体育教師が余計なことを言う。高身長の上に成績は学年一位で、さらにはその辺のアイドルが裸足で逃げ出すほどの美形だ。言いたくなる気持ちもわかるが、文司はさらにぎゅううと縮こまり、一番に測定を終えていた石森が嫌そうな顔をした。


「次! 倉井!」


 呼ばれて立ち上がるものの、この順番は嫌だなぁと稔は心の中でぼやいた。


「倉井、154センチ!」


 中学一年の春だ。これぐらいが平均だろう。

 なのに何故、「ああ……」とでも言いたげな憐れみな視線を向けられなければならないのだ。特にそこの、列の最後尾から二番目で気の毒そうな顔をしているお前だ! お前は俺より身長低いだろうが!

 と、倉井くらいみのるは心で吠えて、クラスで一番小柄な宮城みやぎ大透ともゆきを睨みつけておいた。



***


「俺、カ行じゃなくて良かったー。173センチの後に146センチはキツイわ」


 身長測定を終えて廊下に出た生徒達の中で、大透が口を尖らせてぼやいた。


「クラスで二番目に背が高い橋下が165センチ、三番目に高い石森が162センチ。世はまさに樫塚一強時代だな」

「どんな時代だよ」


 大透の軽口を適当にあしらいつつ、稔は渡り廊下の窓から空を見上げた。今日も天気はすっきりしない曇り空だ。

 このところ、雨が多い。


「もうそろそろ梅雨入りかな?」

「まだちょっと早いんじゃねぇ?」


 稔の肩越しに窓の外を見て、大透が首を傾げた。


「梅雨は六月かな。五月に降る雨ってなんて言ったっけ?」

「五月雨、だよ」


 後ろを歩いていた文司が答えた。


「まあ、正確には陰暦の五月のことだから、梅雨のことでいいんだよ」

「なんだ、そうか。五月雨っていうから、五月に降る雨なのかと思った」


 紛らわしいなぁ、と大透が文句を垂れる。稔も似たような思い違いをしていたので、敢えて口を挟まなかった。


「来週の頭には六月になるし、そろそろ梅雨入りでしょうね」


 文司が言いながら憂鬱そうに顔を曇らせた。どうやら、雨が嫌いらしい。まあ、好きな男子は滅多にいないだろうが。


「あ、そういやさ。この前の雨の日に波ヶ城高の生徒が通り魔に遭ったって話知ってる?」


 教室に入ると、大透が思い出したように話題を変えた。四日前の土砂降りの雨が降った日に、同じ市内の高校の男子生徒が帰宅途中に突然男に殴られて怪我をしたという事件があったのだ。


「犯人捕まってないから、小学校ではまだ集団下校なんだって。怖いよなー」

「おかしな奴がうろついてると思ったら不気味だよな」


 稔も頷いた。




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