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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第三話 「土の中」
40/67

【12】

 ***






「……梨波ちゃんといった」


 ハンドルを握って、奈村がぽつぽつと語り出した。


「今から十年前、私がまだ宮城電器で働いていた時だ。あの子は万引きをして、私がそれを捕まえた」


 助手席に座った大透と、後部座席の稔と文司は黙って耳を傾ける。


「あの子は、どうも自宅に居場所がなかったようだった。虐待されているとかではなく、母親とも父親とも馬が合わないようで、あちこちで万引きを繰り返してはその度に親を呼ばれて叱られて……」


 夜道を緑城小へ向かって車を走らせながら、奈村は当時を思い出すように目を細め、眉を歪めた。


「あの子は、全部親が悪いと言っていたが……親の方はあの子を持て余していたんだろう。万引きだけではなくて、虫の死骸を他人の家の郵便受けに入れたりしていて、かなり忌み嫌われていたようだ。友達も、いなかったろう」


 聞いていた稔達も眉を歪めた。仮説が裏付けられていくが、やはりいい気分はしない。


「そんな事情で、孤独だった。私は、万引きなんかするのは寂しいからなんじゃないかと思ってね。きつく叱ることはせず、あの子が親や周りの人間を悪く言う長い話を聞いてやった。きちんと話を聞いてやって、その上で諭してやれば、心を入れ替えてくれるんじゃないかと思ってね。……それが間違いだった」


 奈村の声が低くなった。

 きっと、奈村は幼い子供であっても、まっすぐ向き合えば理解してもらえると思ったのだろう。

 だが、それは、甘い認識だった。


「あの子は毎日、店に現れては私につきまとうようになった。どんなに宥めても説得しても聞いてくれなくて、私が少しきつく窘めると泣いたり悲鳴を上げたり辺りのものを壊したり……とにかく、手がつけられなくて……社長は私をバックヤードの仕事を割り振ったりしてくれたが、私が店にいなければ暴れて騒いで、他の店員に噛みついたり……店に迷惑がかかるので、私は退職した」


 大の男を退職に追い込むまで執拗につきまとって迷惑をかけたのか。十歳の女の子が。

 それはどれだけ酷い暴れようだったのだろう。とても、想像がつかない。奈村だけではなく、他の大人達でも説得は出来なかったのか。

 奈村が退職するまでに、宮城の父親や他の従業員達が何も手を下さなかった訳はない。どれだけ言い聞かされても、梨波という少女は奈村につきまとい続けたのだ。


「社長はまた戻ってきてくれと言ってくれたが、ちょうど知り合いから紹介されて議員事務所に勤めることになった。議員事務所は斗越町にあったから、子供の足では毎日来たり出来ないだろうと安心したんだ。だけど……」


 梨波は諦めなかった。宮城電器に勤めている間に、帰宅する奈村をつけて家をつきとめていたらしい。奈村がいない昼間、家に押し掛けてくるようになったという。


「家には妻がいたんだが、呼び鈴を鳴らして勝手に上がり込んで、妻を殴ったり蹴ったりしたらしい。当時、妻は妊娠中だったから、そのことを知った私はさすがに頭にきてね。家から追い出して、二度と来るなと言った。妻にも、絶対に鍵を開けるなと」


 聞けば聞くほど厭な話だ。稔は後部座席でそっと溜め息を吐き出した。


「そうしたら、郵便受けに虫の死骸を入れられるようになった。それがどんどんエスカレートしていって、子猫の死骸まで……私の家だけではなく、近所の家でも、庭に繋いでいた飼い犬に石を投げられて怪我をさせられたりして」


 ここまで奈村が語った過去は、稔達の想像と一致している。

 稔は、どこかでまさかと思っていた。そんなことをする女の子がいるなんて、なかなか信じられなかった。

 だけど、奈村は苦々しい口調で語り続ける。


「事情を知った宮城社長が心配してくれてね。妻の出産が終わるまで、社長の家にいていいと、住まわせてくれた。

 私は小野森議員に気に入られて、秘書のような立場になっていたこともあって、子供が産まれたらもっと事務所の近くに引っ越そうと決めた。そうすれば、あの子から離れられると思ってね。

 そして、みくりが生まれた」


 張り詰めていた奈村の横顔が、ふっと僅かに緩んだ。


「私にも妻にも手が届かなくなったあの子は、万引きや動物虐待を繰り返しては、私にやれと命令されたと訴えて騒いでいたらしい。だが、誰も信じなかったよ」


 それは当然だろう。

 それ以前は「親が悪い」と訴えていたものが、「奈村が悪い」に変わったのだ。奈村が、自分の思い通りにならなかったからか。


「誰も相手にしなかったからか、あの子の行動はエスカレートする一方で、野良猫を殺したり余所の飼い犬に煉瓦をぶつけたり、油を掛けて火をつけたこともあったらしい。

 さすがに、近所の人々も怒ってね……何度もあの子を捕まえて、警察も呼んだ。だが、あの子は捕まって咎められると、私が悪いと喚いて暴れて……それがあんまり異常なもので、警察もあの子の両親に医者にかかることを勧めたらしい」


 緑城小が見えてきた。道が細くなって通学路に出る。奈村は一度言葉を切って、唾を飲み込んだ。


「そして、あの日が来た……宮城社長の家で、妻は生まれたばかりのみくりをベビーベッドに寝かせて、自分もソファで寝ていたそうだ。お手伝いさんに起こされて、みくりの様子を見に行くと、どうやって入り込んだのか、あの子がみくりの首を絞めようとしていた」


 恐ろしい話だ。もしも、ほんの少しでも遅れていたらと、背筋が薄ら寒くなる。


「妻は大声で叫んだ。それで宮城社長の奥さんも駆けつけて、あの子は逃げ出した。

 もう放ってはおけないと、皆であの子の両親の元に行き、我々の見ている前で病院に収容してもらおうとした。だがその矢先、あの子が死んだ。電車に跳ねられたんだ」


 校門は閉まっているので、グランドの方へ車を回し、適当な位置に駐車する。


「それを聞いた時、一瞬、自殺かと思った。でも、違った。現場には近くの民家から盗んできた植木鉢やら煉瓦やらが落ちていて、どうも置き石をしようとしていたらしい。

 電車をひっくり返して、それも私のせいだと言うつもりだったのか……とにかく、自分が逃げ遅れて轢かれてしまったと思われた」


 想像を絶する話に、稔達は誰も口を挟むことが出来なかった。

 車を停めた後も、奈村はハンドルを握ったまま前を向いていた。


「……忘れてしまおうと思った。だが、奇妙なことばかり起きて……家のあちこちに土が落ちていたり、子供のおもちゃがバラバラに壊れたり、変な声が聞こえたり……妻はずっと怖がっていた」


 死んだ後も、梨波は奈村に執着し、つきまとい続けたのだ。

 妄執が、梨波の魂をこの世にとどめ、奈村とその家族を恐怖の底に突き落とした。


「みくりには怖い思いをさせたくなくて、何も言わなかった。何も気づかれないようにしようとした。

 だが、小学校に入った頃から、みくりが夢遊病のようになって、夜中に叫んだり暴れたりするようになった。そして、私を人殺しだと罵るようなった」


 奈村がふーっと深く重い息を吐いた。頭を落とし、ハンドルに額を擦り付ける。


「……あの子は、生きている間は誰にも信じてもらえなかったが、死んでから、私の娘には私が悪いと信じさせることが出来たようだ」


 奈村が無条件に愛を注ぐ存在であるみくりのことが、梨波には許せないのかもしれない。

 取り憑いて、恐怖を味わわせ、親子の間を引き裂こうとした。


「……みくりを救うためには、もう私があの子のところに行ってやるしかないのかと……」


 不穏な呟きを漏らした後、奈村は顔を上げて車から降りた。校門の周りをぐるりと周り、闇に沈む裏山に足を踏み入れた。


 大透の家から持ってきた懐中電灯を手に、稔達も奈村の後を追った。


「みくり!」


 なだらかな斜面を登りながら、奈村が娘の名を呼ぶ。


「みくり!どこだ!?」


 夜の空気に、土と木の匂いが漂っている。湿った森の匂いだ。


「みくりを返せ!お前の狙いは私なんだろ!」


 懐中電灯の明かりを動かして辺りを探していた大透が、「あ」と声を上げた。

 木々の間に、ぐたりと倒れているパジャマ姿のみくりが見えた。


「みくり!」


 奈村が駆け寄って娘の体を抱き起こす。泥のついた頬を拭い、必死に呼びかける。


「みくり!しっかりしろ!」


 稔もそちらへ駆け寄ろうとして、ーーー漂ってくる厭な匂いに足を止めた。


 あの匂いだ。湿っていて、生々しく、何かが腐ったような、土の匂い。

 匂いとともに、厭な気配が、奈村のすぐ側ーーー足下の地面から漂ってくる。


「奈村さん!」


 稔が叫ぶのと同時に、奈村の片足が突然地面に沈み込んだ。


「!?」


 膝まで埋まった足を見下ろした奈村は、穴の底から這い出てその足にしがみついてニタリと笑う少女の顔を目にした。






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