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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第三話 「土の中」
35/67

【7】

 ***




「奈村さんが人殺しだなんて思えない」


 一通り稔の話を聞いた後で、大透ははっきりと述べた。


「でも、倉井が見たのと、みくりが言っている女の子の霊は同じだと思う」

「だよな……」

「パーティーの時に、倉井の話を聞いて皆の顔色が変わったことを思うと、その女の子のことを大人達は知っているんだろうな。俺のおやじとおふくろに聞くのが一番手っ取り早いけど、今日は仕事で帰ってこねぇし」


 大透の部屋で話していると、お手伝いさんがお茶を持ってきてくれた。


「あ、そうだ。岩槻さん、奈村さんがうちで働いていた時のこと、何か知らない?」


 大透が話しかけると、岩槻というらしいお手伝いさんはぱちりと目を瞬いた。


「奈村さま、ですか?私はお仕事の方はさっぱり……奈村さまの奥様でしたら、一時、この家に住んでおられましたよ」


 思いがけないことを言われて、大透は「えっ?」と目を丸くした。


「みくりさんを妊娠中で……確か、奈村さまが宮城電器を辞めて小野森議員の秘書になられたばかりの頃だったかしら?奈村さまが秘書として忙しくしておられて、奥様一人にしておくのが心配だということでこの家でお預かりしていたのですよ」

「てことは、十……九、年前か?俺、覚えてないや」

「大透さんもまだ三つでしたもの。ああ、でも、あの時は恐ろしかったですねぇ」


 岩槻はふと眉を曇らせた。


「いえね。みくりさんが生まれてしばらくして、この家でベビーベッドに寝かせていた時に、忍び込んできた子供が赤ちゃんのみくりさんに危害を加えようとして……」

「えっ?」


 大透は驚いて岩槻の顔を見上げた。稔も絶句した。


「庭から入り込んだらしくて……夏だったから窓を開けていたんですね。奥様がちょっと目を離した隙に……幸い、すぐに見つけられたので何もなかったんですが。そうそう、思い出しました。大透さんが「赤ちゃんをみたい」というので、奥様に会わせていいか聞きにいったんですよ。それで奥様が赤ちゃんの様子を見に行って……すごい悲鳴を上げられて」


 稔は大透と顔を見合わせた。

 その子供、とは、あの女の子ではないのか。


「それで、どうなったの?」

「さあ……なんだか近所でも評判の良くない子だったらしくて。すいませせん、大透さん。その頃、私は母の具合が思わしくなくて、四つ駅離れた実家から通っていたので、あまり詳しく知らなくて。その後すぐにお暇をいただきましたし」


 岩槻は一度辞め、二年後に実母が亡くなってから再び働き始めたのだという。


「ですから、その頃の騒動のことはよく知らないんです」

「そっか。ありがとう」


 大透は退室する岩槻に礼を言った。


「その子がまだ生きている時にみくりを襲ったんなら、その直後に亡くなって、それで何かしらみくりや奈村さんを恨んでるってこと?」


 大透が首を捻った。


「いや、ちょっと待てよ。どう見ても十歳前後の女の子が、赤ちゃんを襲おうとするほど大人の男性を憎むもんか?」


 稔は信じられなかった。

 何も、子供はみんな無垢な天使だなんてお花畑なことを思っている訳ではないが、十歳の少女が他人の家に侵入してまでして赤ん坊を傷つけようとするだなんてーーーそれほどに人を憎むだなんて俄には信じがたい。

 あの人の良さそうな奈村が、何をやらかせば十歳の少女にそれほど憎まれると言うのだ。


「奈村さんが女の子に恨まれるような何かをしたって可能性はーーー俺は考えたくない」


 天井を見上げて、大透は言った。


「はっきり確かなことがわかるまでは、俺は身近な生きてる人間を信じる」


 大透がきっぱりと言うので、稔も頷いた。稔は奈村のことは何も知らないが、あの女の子ーーーあの霊からはもの凄く厭なものを感じる。はっきり言って関わりたくない。まず、あの匂いが厭だ。湿って腐った、土の匂い。

 それと、時々は獣の臭いもする。犬の吠え声のような声も聞こえたし、犬が何か関係あるのだろうか。


「よし、奈村さんにはっきり聞こう」


 稔が頭を悩ませていると、大透があっさりと言った。


「何言ってんだ?」


 稔は呆れて口を開けた。「十歳前後の女の子の霊に恨まれる心当たりはありますか?」とでも訊くつもりか?いくらこちらが中学生でも激怒されておかしくない。


「だって、ここであーだこーだ言ってたって何もわかんないだろ」

「そりゃそうだけどよ」


 この異様な思い切りの良さはどうにかならないのだろうか、と、稔は肩を落とした。

 その時、大透の携帯がぴこん、と受信を告げた。「お、樫塚だ」と呟いて液晶を確認した大透の眉が曇る。


「どうした?」

「樫塚から……」


 携帯の画面を見せられて、稔は困惑した。文司の「これ、どういうこと?」「床」というコメントの下に、水槽をみつめる稔の写真が添付されている。


「床?」


 何が言いたいのかわからず、稔は怪訝に目を細めた。

 写真は今日の昼間に大透が撮って文司に送ったものだ。水槽を見つめる稔を少し離れたところから撮った一枚で、稔の全身が収まっている。


「床がなんだよ?」


 大透も首を傾げながら文司に返信を送った。すると、間髪入れずに「床が無い。屋内のはずだろ?」と返ってくる。


 稔と大透はもう一度じっくりと画面を見つめて、ほぼ同時に顔を上げて目を見合わせた。


 薄暗い屋内の写真だから気づかなかったが、文司の言う通り、床が、無い。


 水族館の床は、壁と同じ青い床だった。だけど、写真の床は真っ黒い。水槽の明かりに照らされた壁とは明らかに違う。そこに立つ稔の足はその黒い土を踏みしめている。

 そう、床が無くなって、写真の中の稔は剥き出しの地面に立っている。


「なんで……」


 大透が呆然と呟いた。稔はぞくっと背筋が寒くなって、思わず腕を擦った。


(土……土の匂いといい、何か意味があるのか)


 殺されて、埋められた。


 あの霊はそう訴えていた。土の匂いもする。では、埋められたというのは本当なのだろうか。それに、奈村が関わっているのか。


「連休明けたら、奈村さんの事務所に行って訊いてみる。その前に、九年前に行方不明の女子児童がいなかったか調べてみるかな……」


 大透が口に手を当てて思案していた。勝手にしろとも協力するとも言えず、稔は黙り込むしかなかった。





 ***




 方々手を尽くして探したが、小学生の女児を預かってくれるという尼寺は見つからなかった。両親のことを思えば会いに行ける距離であってほしかったが、と小野森は嘆息した。

 だが、その中で一つ、有益な情報を得ることも出来た。


「その近くに緑橋神社という神社はありませんか?」


 ある。確かに、隣町にその名の神社があった。


「そこの宮司が、本物の祓う力を持っていると噂に聞いたことがあります。ただ、非常な変わり者とも聞きましたが」


 遠く離れた尼寺を探すより先に、その神社を訪ねてみるべきかもしれない。小野森は明日、自らその神社を訪ねることを決め、その旨を妻に伝えてから寝室に入った。


 何か異様な気配を感じた。


 小野森は油断無く室内を見渡した。目には何も変わったものは映らない。しかし、確かに何かがいる。ここにいるべきではないものが。


「これ以上、奈村を苦しめるな。死んでもまだ、自分の過ちがわからんのか!」


 何もない空間に向かって一喝すると、窓の側の空気が不自然に揺れた。

 姿は見えないが、じっとりと睨まれている気配を感じる。恨みと執着心で歪んだ魂が現世に留まり、なんの罪もない親子を脅かし続けていることを、小野森は許せなかった。


「お前はかわいそうな子供などではない。何かしでかす度に親のせいにし、次には何も関係のない奈村のせいにして、己れを被害者だとがなり立て、その行いにふさわしい死に方をしたではないか!」


 土の匂いが鼻に刺さった。


「最後まで人に迷惑をかけ、死後も何も反省しておらん!お前に奈村とみくりを傷つける権利はない!大人しく黄泉に還れ!」


 どおんっ、と、大きな音が鳴り、床が突き上げられるように揺れた。


 小野森は少しも狼狽えず、窓辺に向かって突進した。


「お前の思い通りになるものなど無い!この世から立ち去れっ!!」


 小野森は力強く声を響かせ、澱んだ気配に向かって手を伸ばした。





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