【3】
大透曰く客室という広い和室に布団が四つ敷かれていた。友達の家、というより旅館のようだ。
「洋室もあるんだけど、ちょっと狭いんだよな」と説明した大透に「ベッドの方が良かった?」と聞かれたが、稔達はふるふると無言で首を横に振った。少なくとも客室が二部屋以上あるらしい豪邸に泊めてもらえるだけでも貴重な経験だ。
お手伝いさんらしき女性がおにぎりとお菓子の載った盆を持ってきてくれた。備え付けの和テーブルの上には電気ポットとお茶セットが用意されており、夜更かし準備は万端だ。
「どうする?百物語でもする?」
「絶対嫌だ」
大透の提案を即座に却下して、稔は持ってきた鞄から宿題を取り出した。
「せっかく樫塚がいるんだから、さっさと片付けて明日からの連休満喫しようぜ」
「賛成」
石森も同意する。持つべきものは学年一の秀才の友人である。
「えー、もう、みんな真面目だなぁ」
大透は口を尖らせてぶーぶー言っていたが、特に抵抗もせず自身も宿題を取り出したあたり、稔達と同じく文司に教えてもらうつもりだったのだろう。
「知ってるか、最近の学校では宿題がないところもあるんだぜ」
「うちの学校で宿題がなくなるのは五十年後ぐらいだろうな」
「授業にタブレット使うようになるのは百年後くらいかな」
「千年後にはオンライン授業になっているかもしれない」
軽口を叩きながらも、四人は真面目に宿題を片付けていった。
***
何か、妙な感覚で稔は目を覚ました。
体が重い。というより、重たい膜をふっと体に掛けられたような感覚だ。
(……なんだ?)
寝返りを打って不快な重みを振り払おうとしたが、体がうまく動かない。
小さく呻いてもがくが、肩より下が動かせない。
稔は目を開けて横を見た。こちらに背を向けて眠っている文司が見える。文司の向こうには石森が眠っていて、反対側には大透がいる。三人の立てる健やかな寝息が耳に届いた。
稔は穏やかな寝息を聞きながら心を落ち着けた。体の力を抜いて、自分も眠ろうと試みる。
だが、力を抜こうとした体はぎしりと軋み、額にじわりと滲んだ汗が一筋、頬に流れる。いつの間にか、息も荒くなっていた。
ふうふう、と呼吸を繰り返しながら、稔は嫌な予感を感じた。体は動かない。首だけはなんとか動かせるが、声は出せなかった。
(くそ……なんなんだ)
荒くなる呼吸をなんとか落ち着かせようと、大きく息を吸い込んだ。
その時だった。
稔の眼前に、ぬっと人の顔が現れた。
稔は一瞬、息を止めて目を見開いた。
鼻が付きそうなくらい至近距離に、人の顔。小さな女の子の顔だった。半開きになった口とぽっかりと開いた目が、真っ黒だ。
ころ され た
しゅー、しゅー、と、空気が漏れるような声が聞こえた。
わ たし ころさ れ たの
あのおと こに こ ろされた
ぎりぎりと締め付けられるように、稔の頭が痛んだ。本能的に、これは聞いてはいけない声だと稔は察した。これ以上、聞いてはいけない。
だが、眼前にある顔から目を逸らせない。目を閉じることもできない。
わ たし わたし ころ された
ころ わたし され ころされわたし
わたしねえわたし ねえ ねえ わたし
わたしわたしがわたしころされたわたしわたしわたしわたしわたわたしわたしわたしわたしわたわたしわ
耳障りな声が稔の頭に渦巻く。いけない。これ以上はいけない。焦燥感が稔の背中を震わせるが、何も出来ない。
稔が絶望しかけた、その時、
「っ!?」
突如、猛烈に生臭い空気が鼻に突き刺さって、稔は咄嗟に目をつぶって鼻を抑えた。
生臭く、同時に土臭い。
(獣臭い?)
動物園で嗅ぐ臭いを何十倍にも強くしたような臭いだった。吐き気がこみ上げて、稔は上半身を起こしてえずいた。
「うぇっ……」
気持ち悪い。鼻と口を抑えて胸からこみ上げる吐き気をやり過ごす。
「……倉井?どした」
稔が起き上がった拍子に目を覚ましたのか、大透がぼんやりした顔で尋ねてきた。
「……な、んでも、ない」
「ん?」
「大丈夫だ。寝てくれ」
大透は首を傾げていたが、稔が大丈夫だと繰り返すと大人しく布団にもぐった。
稔は荒い息を時間をかけて落ち着けて、深く息を吐いた。息が落ち着いてくると、今度は手が震え出した。
(何だったんだ……)
至近距離過ぎてよくわからなかったが、稔を覗き込んだのは女の子の顔だった。女の子。
稔の脳裏に、庭で見た女の子の姿がよみがえった。
背中がぶるっと震えた。
庭で見た際に、稔が「見えている」と気付き、ここまでやって来たのか。
ころされた
そう訴えていた。
(……俺には何も出来ない。どっか行ってくれ)
稔はぎゅっと目をつぶって懇願した。
***
がたり、と音がした。
奈村は目を覚まして、すぐに身を起こした。
寝室を出て、子供部屋の前に立つ。首から下げている鍵を使って扉を開けると、ぐにゃりと折れ曲がるように床に倒れる娘の姿があった。
「みくり!」
駆け寄って抱き起すと、みくりはうつろな目でぶつぶつと何事か呟いている。
「みくり、起きなさい!」
「ぐぅぅ……ぐぅ〜……ううぅ」
みくりは九歳の女の子とは思えない獣のような唸り声を上げる。部屋中に、獣臭い空気が漂っていて、奈村は顔をしかめた。
「あなた……」
戸口に妻の潔子が立って心細そうに奈村を呼ぶ。
「大丈夫だ、寝てなさい」
「……ねぇ、やっぱり、あの子がまだあなたの周りにいるのよ」
「何を言ってる!」
奈村は声を荒らげた。
「そんな馬鹿なことがあるわけないだろ!」
「だって、あの男の子が言ってたじゃない」
潔子は泣きそうに顔を歪ませる。
奈村ははあ、と息を吐いた。
「偶然だよ、たまたま似た子がいたんだろ」
「私、怖い」
潔子は身を震わせて訴える。奈村はみくりを抱き上げてベッドに戻しながら言った。
「大丈夫だ。あの子はもういない」
奈村の言葉には、自分自身にも言い聞かせる響きが含まれていた。
九年も前の話だ。あんな出来事、いい加減に忘れてしまいたい。
「大丈夫だ。みくりも落ち着いた。もう寝なさい。私は少し様子を見てから戻るから」
みくりは目を閉じて寝息を立てている。発作は治まったようだ。
潔子はまだ不安そうにしていたが、奈村の言うことを聞いて寝室に戻って行った。
子供部屋のベッドの横に腰掛け、娘の寝顔を見守りながら、奈村は深い溜め息を吐いた。




