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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第二話 「鏡の顔」
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【4】




「師匠、昨日は急に早退しちゃって、心配したんですよ」



 三時間目の終わりと同時に姿を見せた(みのる)に、開口一番、文司(ふみかず)が言った。



「そういや、昨日、怪我した生徒は……」


「悪いけど、その話はしないでくれ」



 何が原因なの知らないが、南校舎の怪異には絶対に関わらないことを稔は決意していた。しばらくは南校舎の方も見ないように、窓から目を逸らして授業を受ける。そうすれば、もうあんな怖いものは見なくて済むだろうし、そもそも稔には何の関係もないことなのだから、高等部の生徒がどうなろうとしったこっちゃない。



「その話をしたくないってことは、やっぱなんか霊がかんけいしてんのか?もしかして、昨日なんか見たのか?」



 大透(ともゆき)がデジカメを構えながら言う。無駄に勘がいい友人に、稔はイライラと答えた。



「俺が知ったことじゃない。いいか。俺の前で二度とその話をすんなよ」



 大透と文司は顔を見合わせて肩をすくめた。



(俺には関係ないことだ)



 稔は自分に言い聞かせた。





 ***





 震えがなかなか止まらない。


 学校にはいたくなくて、思わず飛び出してきてしまったが、晴れた空の下にいても胸にくすぶる不安は消えてくれなかった。



(あれは、いったい何だったんだ?)



 先程から、同じ問いを何度も繰り返しているが、答えは出てこない。


 高遠(たかとお)の後ろの鏡。本来なら、高遠の後頭部が映るはずのその鏡に映っていたもの……


 藤蒔(ふじまき)はぶるるっと頭を振り、その映像を振り払った。



(気のせいだ)



 自分にそう言い聞かせるのだが、震えはいっこうに止まらない。真っ青になって肩を震わせている藤蒔を見て、道行く人が不思議そうに振り返る。ズキズキと痛む右手の甲が、余計に藤蒔を混乱させていた。



(早く帰ろう)



 信号が赤に変わる。藤蒔は足を止めて深呼吸した。目の前を車が行き過ぎる。


 その時、誰かに背中を強く押され、藤蒔は車道に倒れ込んだ。


 倒れ込む瞬間、身をよじって背後を見た藤蒔は、ビルの鏡張りの柱に映った自分の姿を目にした。


 それだけだ。誰もいない。誰もいない。だけど、確かに誰かに背中を押された。


 クラクションの音がした。


 振り向いた藤蒔の眼前に、車のヘッドライトがあった。





 ***




「今度は藤蒔が怪我したってよ!」



 放課後、帰り支度をしていた稔のところに、大透が息を切らして駆け込んできた。



「今、職員室の前で先生達が話してんの聞いちまった……」



 大透はわずかに顔を曇らせた。



「車に撥ねられたんだって。命に別状はないけれど、あいつ、サッカー部だろ……」



 怪我の程度によっては、スポーツ選手としての生命が絶たれる可能性もある。


 教室に残っていたのは稔と文司だけだが、大透が聞いた話はすぐに学校中に広がるだろうと思われた。三日続けて生徒が大怪我したのだ。



「それがさ、怪我した三人とも高等部一年檜組の生徒なんだって。それでよ、倉井」



 ここで大透は声を低めた。



「その三人は、高遠 信行(たかとお のぶゆき)って生徒をいじめていたらしい」


「あ、俺もその噂、ちらっと聞きました。高等部じゃ崇りだって騒がれてるみたいですよ」



(いじめ、か……)



 稔の脳裏に、霊の溜まり場と化したあのトイレが浮かび上がった。では、あそこでいじめられていた彼が、高遠 信行か。



「たぶん、倉井は俺と同じこと考えてるな」



 ニヤニヤ笑いながら、大透は言う。



「三人が怪我した時、高遠はちゃんと教室にいたとクラスメイトが証言している。じゃあ高遠は無実じゃん、と考えるのは素人の浅はかさ。ずばり、高遠は生霊を飛ばして憎い奴らを襲っていたのだ!」



 声高らかに言ってのける大透の頭をはたいて、稔は教室を出た。



「樫塚、その馬鹿に構ってるといつまでたっても帰れないぞ」


「待ってくださいよ師匠」



 文司と、頭を押さえた大透が慌ててついてくる。



「でも倉井だって、高遠ってのが、あの時トイレでいじめられてた奴だって思ってんだろ?生霊はともなく、呪いぐらいはかけそうな奴だったじゃん」



 後ろ頭をさすりながら、大透が言い募る。



「生霊だろうが、呪いだろうが、俺には関係ない!」



 階段を降りながら、稔は言い返した。



「でも、本当にそうなら、呪いなんてやめさせた方が……」



 文司までそんなことを言い出したので、稔は踊り場で立ち止まって二人を睨みつけた。



「高遠がいじめっこを呪ってたってんなら、それはもう終わったんだ。三人とも大怪我したんだから。この後、高遠が何してどうなろうが俺には……」



 関係ない。と言おうとした時、体が浮いた。


 足が、床から離れている。そのままゆっくりと、体が傾いでいく。



(え?)



 一瞬、稔は何が起きたのかわからなかった。


 ただ、背中に何か違和感があった。


 誰かに背中を押されて、階段から突き落とされたのだ。


 そのことに気づいたのは、階段を転がり落ち、床に頭を打ち付けて気を失う、一瞬前のことだった。





 ***






 鏡に映る自分の顔が、ひどく困惑している。


 偶然がここまで重なるものだろうか。と、鏡の向こうに問いかける。


 偶然でなければなんだというのだ。高遠には、皆が噂しているように藤蒔を呪ったりした覚えは欠片もない。


 だが、心のどこかでいい気味だと思っている自分の存在は認めざるを得なかった。


 藤蒔はサッカーが出来なくなるかもしれないという。かつて、一度でもそんな目に遭えばいいと望んだことを恥じて後悔する自分と、ざまあみろとせせら笑う自分がいる。どっちが本当の自分なのだろう。


 笑っている方ではあってほしくなかった。自分がそこまで落ちた人間だとは思いたくなかった。この痛みの方が、本物であると信じたかった。



 ピチャンッ



 突然上がった水音に驚いて、高遠は振り返った。


 背後にはトイレの個室が並ぶ。戸は全部開いている。間違いない。誰もいない。


 トイレの中を見渡した高遠は、辺りが暗くなり始めているのに気付いた。六時間目が終わってすぐトイレに駆け込んで、だいぶ時間が経ってしまったらしい。



(昼休みに藤蒔が早退して、五時間目の終わりにあいつが跳ねられたって知らせが来た)



 高遠は、あの時藤蒔が見せた恐怖の表情を思い出した。



(藤蒔は、何を見てあんなに怯えたんだろう。ここには僕しかいなかったのに)



 辺りは静まり返っていた。生徒はほとんど下校してしまったらしく、いつもなら教室の方から響く歓声がしない。


 自分もそろそろ下校しようと、高遠は出口の戸に手を掛けた。



(——?)



 戸が、開かなかった。いつもならスッと開くはずの戸が、どんなに力を込めて押してもびくともしない。



「そんな、なんで……」



 高遠は狼狽えた。ほとんど体当たりのようにしてぶつかってみても、戸は動かない。



「どうして……」



 ……くっ……くっ……くっ



 背後で、笑い声がした。押し殺した笑い声。


 高遠は、背中にじっとりと汗をかくのを感じた。


 誰も、いないはずだ。この中には、自分以外、誰も……



 くっ……くっ……くっ……くっ……



 ゆっくりと、高遠は振り返った。


 その笑い声は、確かに壁に張り付いた鏡から聞こえていた。






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