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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第二話 「鏡の顔」
25/67

【3】




 翌日も、学校中が事件の話題で持ちきりだった。



「そいつ、命に別状はないんだけど、鼻が折れて顔面がひっでー有様なんだってよ」


「犯人って、うちの学校の人間なのかな?」


「自分でやった可能性もあるって聞いた」



 どこへ行ってもそんな会話が耳に入る。これだけの事件で、さらに警察までやってきたのだから、皆が騒ぐのも無理はない。



「犯人、うちの学校の生徒なのかな?俺としては、犯人はたちの悪い悪霊で、この後、倉井に除霊されるという展開を期待してるんだけど」


「やめろよ、そういうこと考えるの」



 大透(ともゆき)の軽口に、(みのる)は暗い声を出した。見える以外は何も出来ないと言っているのに、いつまでも妙な期待を抱かないでほしい。


 それに、関係ないとは思うが、事件があったと思しき時間に稔は嫌なものを見ている。

 稔の脳裏に高等部のある南校舎に消えていったいくつもの影が思い浮かぶ。大透に言うと大喜びするだろうから絶対に言わないが。



(ま、俺には関係ないんだから、変に首突っ込まなきゃ平気だろ)


「でもな、倉井。いつ悪霊に襲われるのかわからない世の中なんだから、お前も修行とかしてこう……お札とか式神とかをバババッと……」



 大透のたわごとは無視して、稔は席を立った。



「どこ行くんだよ」


「資料室。生物の教材を取りに」


「お前って、どうしてそう雑用を押し付けられるんだろうな」



 やれやれと言って立ち上がりかけた大透に、稔はこう言った。



「ついてくんな」




 ***




 本当のことを言うと、南校舎には出来れば近寄りたくないのだが、どうにも教師に頼まれると断れない性格が災いしている。



(資料室に行くだけだ。大丈夫)



 そう思っていたのだが、南校舎に一歩足を踏み入れるなり、稔は泣きたくなった。


 廊下のそこここに得体の知れない影が氾濫している。どうやらここは、一夜にして心霊スポットに変わってしまったらしい。


 教室の前を通ると、何事もないように笑いさざめく生徒達と行き会う。



(よく平気だな、こいつら)



 見えないとはいえ、これだけ霊が溢れていたら少しは何か感じそうなものだ。



(しかし、なんだってこんなに集まって来たんだ?)



 何か原因があるはずだと考えかけて、稔はぶんぶん頭を振った。



(余計なことを考えるなっ!俺には関係ない!)



 足早に廊下を渡って、曲がり角まで来た時、稔はうっと呻いて足を止めた。


 こちら側の廊下には人影がない。あるのは被服室、トイレ、技術室。ここを通って突き当りの階段を登れば、資料室に行ける。


 だが、目の前のトイレから、とてつもなく嫌な気配が漂っている。つい先日、大透と入ったトイレである。


 稔はごくっと唾を飲んだ。そろそろと近づいていき、音を立てないよう、そっとトイレの戸を開ける。そして、一瞬で閉めた。


 ちらっと見ただけだが、トイレの中が真っ黒に見えるほど、大量の影が寄り集まっているのがわかった。


 稔は一目散に駆け出した。階段を駆け上がって、資料室に飛び込み、窓を開けて身を乗り出した。



(見なきゃよかった……)



 稔は窓枠にもたれかかって、額の汗を拭った。


 下を見ると、高等部の生徒達が楽しそうに通り過ぎるところだった。



(自分の校舎で何が起きているかも知らないで……)



 のんきそうな連中に、つい腹が立って、稔は窓の下を睨みつけた。


 その時、ふと、稔は気づいた。すぐ下の階の窓が開いていて、窓枠で赤い花がゆらゆらしている。


 同時だった。稔が、ああ植木鉢だ。と気づくのと、それが窓枠から落ちるのとは。



「危ないっ!」



 稔が叫んだ。だが、次の瞬間、植木鉢は下を歩いていた生徒の頭にぶつかり、派手な音を立てて砕け散った。


 悲鳴が上がった。


 倒れた生徒の周りに人が集まる。先生を呼んで来いと、誰かが叫んでいる。


 稔はその場にへたり込んだ。見たくないものを見てしまった。


 ほんの一瞬、だがはっきりと。


 植木鉢を押しやる、細く小さな黒い手を。




 ***




 水を出しっぱなしにしていたことに気づいて、高遠(たかとお)は慌てて蛇口を捻った。


 ふうっと息を吐く。それから、顔を上げて鏡を見る。



(一昨日は新井、昨日は久我下)



 二日続けて、クラスメイトが怪我をした。しかも……


 勢いよく戸を開けて、誰かが入ってきた。振り向いた高遠の胸ぐらを有無を言わさず掴み上げたのは、顔を真っ青にした藤蒔(ふじまき)だった。



「テメェがやりやがったのか!」



 なんのことを言われているのかはよくわかった。



「ち、違う。僕じゃ……」


「いいかっ。俺はあいつらと違って、テメェなんかにやられたりしねぇからな!」



 大声を出してはいるが、彼は怖がっているのだと高遠にはわかった。怪我をした二人は、いつも藤蒔にくっついている。


 その二人を襲ったのは高遠であると、噂が立っている。その二人と藤蒔が高遠をいじめていたことを、クラス中が知っていたからだ。


 そして、今日は藤蒔の番に違いないと、藤蒔と高遠には朝からクラス中の視線が突き刺さっていた。



(僕にそんなことが出来たら、真っ先にお前を襲ってるよ)



 心の中で、高遠は呟いた。



「何とかいいやがれ、このっ」



 藤蒔が拳を振り上げた。思わず目をつぶった高遠だったが、悲鳴を上げて飛び離れたのは藤蒔の方だった。


 見ると、藤蒔の右手の甲が、カミソリでもあてられたようにスッパリ切れている。



「何しやがった、今?」



 薄気味悪いものをみるように、藤蒔は顔を歪めた。彼は高遠をきっと睨んだ。次の瞬間、その顔に今度は濃厚な恐怖が浮かんだ。



「あ……うあ……」



 わなわなと震え出す。



「?」



 何が起きたのかもわからず、高遠は立ち尽くした。



「うわあああああああああああっ」



 絶叫して、藤蒔はトイレから飛び出した。取り残された高遠は訳もわからずに藤蒔の走り去った後を眺めていた。



 自分の後ろにある鏡に映った四歳ぐらいの男の子の顔が、にやりと笑ったことに高遠は気づかなかった。






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