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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第二話 「鏡の顔」
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【2】



「なんだ師匠。雑用なんて、言ってくれれば俺も手伝ったのに」



 大きな世界地図を抱えて戻ってきた(みのる)に、文司(ふみかず)が不満そうに言う。

 この男、図書室の一件以来気取った態度が崩れっぱなしだ。気さくになったといえば聞こえはいいが、はたからは「おかしくなった」と言われていることの方が多い。



「樫塚、師匠の動向には常に注目していなければ、すごいものを見逃すことになるぞ」



 大透(ともゆき)が余計なことを言う。稔は無言で大透を蹴りつけた。これ以上、金魚の糞が増えるのはごめんである。


 ちょうどその時、教師が入ってきたので、大透の抗議は聞かずにすんだ。



(やれやれ)



 稔は頬杖をついて窓の外に目をやった。世界史は定年間近の老教諭が一人で喋るだけだから、教室はほとんどの生徒が睡魔と戦う戦場と化す。稔もいつもは机に突っ伏す誘惑と戦うのだが、今日はなんとなく窓の方に目がいく。


 よく晴れた、のどかな日だ。


 その明るい風景に似つかわしくないものが、窓を横切った。しかも、一つではない。


 ぼんやりした影のようなものが、四方八方から集まってきて、南校舎の壁に吸い込まれていく。


 稔は顔をひきつらせた。



(……見なかったことにしよう)



 窓から目を逸らして、世界地図と教師の話に耳を傾ける。老教諭のとつとつとした語りに集中するうち、稔は浅い眠りに引き込まれていった。






 稔は廊下を歩いていた。


 ひどく静かだ。なのに、どこかざわざわと落ち着かない。



(ここにいちゃだめだ)



 稔はびっしょり汗をかいていた。動悸が早まる。何かが、何かが後をついてくる。



(いやだ。俺に構わないでくれ)



 うまく息が出来ない。暑くて苦しくて、目の前の景色が歪む。


 稔は目をつぶって頭を振り、しっかりしろと自分に言い聞かせた。そして再び目を開ける。誰かが経っていた。こちらに背を向けて。



「宮城」



 ほっとすると思いきや、自分でも驚いたことにこみ上げてきたのは強い恐怖だった。足が震えそうになる。


 気を取り直して一歩踏み出し、大透の方に手を置こうとしたが、寸前で手が止まる。稔の中で警告音が鳴り響いていた。だめだ。逃げろ。逃げろ。


 ゆっくりと、大透が振り向いた。


 稔は目を閉じて駆け出した。見てはいけない。


 廊下の曲がり角まで来た時、誰かとぶつかった。中等部の制服。とても背が高い。


 ああ、樫塚だ。と、顔も見ていないのに、稔にはわかった。


 顔。


 どくん、と、心臓が跳ねた。だめだ。


 ぐっと腕を掴まれる。


 稔は悲鳴を上げてその手を振り払った。そして、近くの扉に逃げ込んだ。


 そこは男子便所だった。先客がいた。稔の視界には少年の足元から肩までが見える。洗面台に向かっている。


 これ以上、視線を上げてはいけない。顔を、見てはいけない。


 見えないはずなのに、稔には少年が食い入るように鏡を見つめているのがわかった。



(そんなふうに鏡を見ちゃいけない)



 その時、少年がゆっくりとこちらを振り向いた。稔は頭を抱えてぎゅっと目を閉じた。



(いやだっ!見たくないっ!)



 がくん、と体が揺れた。





「おい、倉井」



 大透と文司が、稔を見下ろしていた。そこは教室だった。生徒達が興奮した様子で騒いでいる。



「やっと起きたか」



 大透が呆れたように言う。



「夢……か」



 稔はほーっと息を吐いた。制服が汗で濡れている。授業はとっくに終わって、放課後になっていた。



「なんで、みんな帰ってないんだ?」



 教室の中にはほとんどの生徒が残っている。大透が興奮した様子で稔の頭を叩いた。



「お前が寝てる間にすごいことがあったんだよ。殺人事件」


「死んじゃいないよ」



 文司が冷静に突っ込む。



「高等部の生徒が体育倉庫で血まみれになっていたのを、バスケ部の連中が見つけたそうです」


「寝起きから嫌な話を聞かせてくれるな」



 稔は二人を睨みつけた。せっかく怖い夢から逃れてきたのに、現実でもそんな物騒な事件が起こっていたとは。



「それがさ、体育倉庫の鏡に何度も頭を打ちつけられたみたいなんだって」


「鏡……」



 稔の胸がざわついた。



「それで、今日は急きょ部活停止。生徒は速やかに完全下校」


「ま、みんな帰ってませんけどね」



 生徒達は突然起こった怪事件に興奮しっぱなしのようだ。誰ひとり、下校する気配を見せない。



「でも、外部から人が入ってきたとは思えませんよね。うちの学校、門は簡単に乗り越えられない高さだし、高等部の体育館に行くまでには中等部の職員室の前を通らなくちゃいけないし」



 文司が首を捻りながら言う通り、中等部と高等部の校舎をぐるりと囲む塀は上部に鉄柵が付いており、外部からの侵入を拒むつくりになっている。



「じゃあ、内部の人間の犯行か」



 ふむ、と大透が頷く。



「……調べよう、とか言うなよ」


「言わねぇよ。霊じゃなくて生きた人間相手じゃ危ねぇじゃん。殺されたり怪我したら大変だろ」



 稔の言葉に、大透はあっさりとそう言う。


 オカルトマニアで稔になんだかんだと絡んでくる割には、こういう冷静なところがあるからよくわからない。稔が霊感で活躍するところは見たいが、稔を危ない目に遭わせてまでは見たいわけではないらしい。



「お前ら!いつまで残ってる!帰りなさい!」



 見まわりをしているのだろう、生活指導の勝俣が教室の戸を開けるなり怒鳴った。



「なるべく一人で帰らないように!ほら、校門まではクラス全員で行きなさい!」



 学校一の迫力ボイスで追い立てられてはこれ以上粘るわけにはいかない。皆、慌てて鞄を手に持って教室を出た。最後の一人が教室を出るまで勝俣は睨みを聞かせていた。おそらく、他の教室もすべてあの調子で見まわるのだろう。


 文司は石森に駆け寄って一緒に教室を出ていった。稔も大透と肩を並べて玄関へ向かう。


 嫌な夢を見たことは、稔の頭からすっかり忘れ去られていた。





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