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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第一話 「白い手」
22/67

【21】


 ***




「うっ、う……うぉえええええええぇぇぇ……っ」


 (みのる)の隣りで、呻き声と共に文司(ふみかず)が畳に倒れ込んだ。

 顔色は先程よりもいっそう青く、半端に開いた口から苦しげな息と呻きが絶えず漏れ続ける。イケメンのこんな有様は見たくなかった。

 さりとて、稔自身も文司の方ばかり気にしている余裕なんてないのだ。


「ぐぇ……おぇぇぇぇ……」


 喉奥から込み上がってくる空気を吐き出して、稔は半分ほど減った500mlのペットボトルの底を畳に叩きつけた。


(だから、ここに来るのは嫌だったんだ……っ!)


 半分畳に倒れた状態の文司が、蒼白な表情で稔を見上げ、何か問いたげな目の色を浮かべる。


 耐えろ。俺は八年前に僅か五歳でこの拷問に耐えたんだ。


 声には出さずに、文司に向けて頷いてやった。飲むしかないのだ。飲み干すしか。


「倉井は知っているだろうが、これはただの水だぞ」


 黒田がにやにやと顎を撫でて言う。


「うちの神社の湧水だ。氏子がよく汲みに来る。お前達は悪い霊の空気を吸って体の中が穢れているから、清い水がまずく感じるんだ。体の中の悪いものを、清い水で流してもらわなくちゃならん」


 黒田が八年前と同じことを言う。確かに、飲み続けているうちに味はましになっていった。普通の水の味になるまで、飲み続けろと黒田は言ったのだ。

 八年前、稔はこの水を毎日、一か月間飲み続ける羽目になった。

 本当に、あの時は死ぬかと思った。この水、何が不気味って、イケメンがよだれ垂らして畳に倒れ込むぐらいまずいのに、「吐けない」ということだ。気持ち悪くなるし吐き気も覚えるが、口からは何も出てこないのだ。(八年前、黒田は穢れたものは下から出せ、と言っていた。)


(八年前に比べればマシ、八年前に比べればマシ……)


 自分に言い聞かせながら飲み続けるうち、ペットボトルの四分の三が無くなったところで稔の水は徐々に普通の味の水になっていった。


「倉井は一本で良さそうだな」


 黒田が空になっていくペットボトルを見て言う。


「お前は、しばらくの間、毎日飲まなくちゃならんぞ」


 黒田に言われて、文司は死刑宣告か余命宣告でも受けたような、或いはこの世の終わりを告げられたような悲愴な表情を浮かべた。

 文司は取り憑かれていたのだから、一番多く水を飲まなければならないだろう。それでも、八年前に稔が飲んだ量よりは少ないだろうが。


 最後の一口を飲みきって、稔はぶはあっと息を吐いた。


「よし、倉井は帰っていいぞ。この件に関わった奴をちゃんと連れてこいよ」


 大透(ともゆき)と石森も、後日、この水を飲まなければならないようだ。大透はそれほどまずく感じないだろうが、石森はペットボトルの一、二本は飲み干さなければならないだろう。


(本当に、もう、二度と飲みたくない……っ)


 稔はよろよろしながら、文司を残して家に帰ったのだった。





 ***





 バイトに向かうために家を出て、夜道を歩きながら後藤は最近知り合った少年達のことを思い浮かべた。亡くなった親友や昔のクラスメイトのことを尋ねられたが、彼らはいったい何に巻き込まれているのだろう。竹原は、何に巻き込まれてしまったのだろう。


 今でも考えてしまう。あの時、自分はどうして何も出来なかったのだろう、と。あの少年達のように、竹原のために動き回ることがどうして出来なかったのだろう。


 後藤の胸には、いつもそんな小さな後悔が、棘のように刺さっていて、時折ちくちく痛むのだ。


 ふう、と息を吐き出して、顔を上げて前を見た。

 夜道が、ふわりと明るくなっているのに気付いた。前方の道が淡く白く光っており、その光の中心におぼろげに人影が見えた。


 驚いて目を見張る後藤の前で、光の中に佇む人物はゆっくりと顔を上げた。その顔に見覚えがあった。



「竹原……」



 呆然と呟く後藤に向かって、少年は光の中でにっこりと微笑んだ。


 その姿が、ほろほろと崩れて、光の中に溶けて消えていく。


 待ってくれ、と言いたくて、後藤は思わず手を伸ばしかけた。


 だけど、竹原は困ったように眉を下げて、ゆるゆると手を振った。来るな、と言われているように感じて、後藤はそれ以上近寄れなかった。


 立ち尽くす後藤の前で、竹原は笑った。



 明るい光の中で、生きていた頃、元気で一緒にいた頃と同じ笑顔で。



 そのまま、光と共にぼやけて消えていった。


 後にはただ、いつもと同じ夜道が広がっていた。


 竹原の消えた空間を見つめて、後藤は思った。竹原は行ってしまった。ようやく、行けたのだ。


 最後に、会いに来てくれたのだ。


 視界がぼやける。後藤はじんわりと痛む鼻を押さえて、くっと口角を上げて笑おうとした。

 だけど、口は変な形に歪んで、ぐずっと変な音が漏れてしまった。


「ははっ……」


 あまりにも不格好な笑顔しか出来なくて、後藤はそんな自分を笑い飛ばした。





 ***





 文司は二日間学校を休んだ。


 稔はあの日の翌日、学校で顔をあわせた大透に「あの不味い水は本当に人体に害はないんだろうな?」と詰め寄られたが、そんなこと稔の方が知りたい。


 ちなみに一日学校を休んだ石森にも、もの凄く何か言いたげな表情で見つめられたが、彼は「迷惑かけて悪かった」と謝っただけで水については何も言わなかった。


 黒田の説明によると、死霊と関わった人間は多かれ少なかれ体の内に悪いものを取り込んでしまうため、それを清水で洗い流すということだ。

 悪いものは抵抗して水を吐かせようとするが、決して吐いてはいけない。水を不味いと感じるのは体内が毒されているせいで、それが浄化されれば水は普通の水の味に戻る。


 確かに、飲み続けるうちに普通の水の味になっていくのだが、なにせ最初の一口が死ぬほど不味い。五歳の稔に「もう絶対この水は飲まない。霊とは一生関わらない」と決意させるほどの不味さだ。


(まあ……今回はペットボトル一本ですんでよかった……)


 三日間に渡って水を飲み続けたであろう文司が若干うつろな目で登校してきた際も、稔は「もう二度とあの水は飲まないぞ」と決意を新たにした。


 石森が文司に駆け寄って、二人で何か話している。時折ちらちらこちらを見るので、自分のことを何か言っているのだろうとわかったが稔は無視した。

 文司が石森に何か言って、石森が驚いた顔をしている。


「なんか樫塚、ちょっとさっぱりした顔になったな」


 稔の後ろの席で、大透が言った。


「前はさ、なんつーか、気取った感じで振る舞ってたけど、なんか樫塚って時々すごい弱っちく見えたんだよな。美形な上に成績優秀で高身長なんだからもっと堂々としてりゃいいのに、陰に隠れたがってるように見えたっていうか」


 確かに、と稔も頷いた。陰に隠れたがっているというより、文司は自分を「陰」だと思い込んでいたのではないだろうか。すぐ隣に「光」のような存在がいたから余計に、自分を陰に陰に押し込めようとしていた。石森に対して憧憬を抱くあまりに、対等の友達となることを文司はどこかで拒んでいたのかもしれない。


 でも今、石森をまっすぐ見て話している文司の表情からは、微塵も「陰」が感じられない。


「まあ、もう霊能力者のふりなんて馬鹿な真似はしないだろ」


 とにかくこれで一件落着、もう霊なんて二度と関わりたくないと思いながら、稔は肩をすくめた。








「あのさ、倉井。樫塚が、改めて礼が言いたいんだってさ」


 昼休みに大透と向かい合って給食を食べていると、石森と文司がやってきて机の横に立った。石森に励まされて、文司はおずおずと口を開いた。


「あの、この度は、俺なんかのせいで迷惑かけて……本当にすいませんでした!」


 いきなり頭を下げられて、稔は面食らった。


「本当にありがとうございました。なんてお礼を言えばいいか……」


 口調が敬語である。


「いや、そんな……」


 稔は面食らいつつ頭を横に振った。こんな美形に教室で頭下げられたら目立つのでやめてほしい。


「つきましては、お願いがあるのですが……」

「お願い?」


 文司はきっ、と顔を上げて言った。



「不肖樫塚文司!あの本をこの世から消滅させた倉井君の勇気に命を救われました!師匠と呼ばせてください!」

「…………は?」



 唖然とする稔の前で、文司は熱っぽく続けた。


「恐ろしい霊にも怯えず、冷静にその正体を探り、解決の糸口を見つけ出す……師匠こそ本物の霊能力者です!師匠がまた俺のような人間を救うことになった時、微力ながらお手伝いさせてください!あの本を火に投げ込んだ姿が目に焼き付いて離れないんです……それに、黒田さんに聞きましたが、師匠は五歳の時にあの水を一か月間も……本当に尊敬します!」


 どちらかと言うと霊能力よりも水の件の方に敬意を感じていそうな文司の言い草に、稔は思わず絶句した。


「俺が言っても聞かないんだよ。こいつがこんなに俺の言うこと聞かないなんて、マジで本気なんだな。まあ、樫塚がそんなに言うなら、俺は応援するぜ!」


 石森がそう言って文司を励ます。


「おー!お前らにも倉井の偉大さがわかったか!仲間が増えてうれしいぞ!」


 宮城が笑顔で手を叩く。


「よーし、樫塚!倉井の偉大さを世に知らしめるために、共に頑張ろうじゃないか!」

「おう!」


 大透と文司が意気投合した。最悪だ。稔はうつろな目で窓の外を見やった。とりあえず目の前の出来事から目を逸らしたい。



(内大砂になんか、来るんじゃなかった……)



 そう思いながら、大きな鳥が窓の外をまるで自由をみせつけるかのように緩やかに弧を描いて飛んでいくのをただ黙って見送った。


 倉井稔、十三歳の春の日だった。







 第一話「白い手」・完

 


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