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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第一話 「白い手」
2/67

【1】






 倉井 稔(くらい みのる)は小さい頃から不思議なものを見ることが多かった。

 それでいろいろと苦労もしたが、大きくなるにつれて、そういったものを見ることも少なくなっていった。

 今ではもう、滅多に見ない。


 だというのに———


「倉井ーっ」


 背後からかかった声に、(みのる)は顔をしかめた。


「ほら見てくれよ。今月の『怪奇マガジン』。衝撃恐怖写真特集なんだよ。この中にどれくらい本物あると思う?なあなあなあ」


 足早にやり過ごそうとした稔だったが、にこにこ笑顔の宮城 大透(みやぎ ともゆき)に後ろから羽交い締めにされてしまった。

 よりにもよって、入学初日の席決めで後ろの席になったのが重度の心霊マニアで、しかも稔の幼稚園時代の噂を知っていたのだから始末に負えない。同じ小学校出身者が固まらないように配置するという内大砂の伝統が恨めしい。普通に出席番号順にしてくれりゃ良かったのに。


(俺は平凡に暮らしたいのに……)


 稔は大きな溜め息を吐いた。その後ろでは大透(ともゆき)が雑誌を指差して「でも、このUFOは絶対に鍋の蓋だよな」などとのたまっている。


「おはよー」


 大透の戯言を無視して、稔は教室の戸を開けた。

 だが、教室にいた生徒達は皆一ヵ所に集まって黒山の人集りが出来ていて、誰も稔達が入ってきたのに気付かないようだった。


「なんだなんだ?おもしろそ」


 大透が鞄からいそいそと取り出したデジカメを構えるのを見て、稔は呆れた視線を送る。

 人集りの中心にいるのは二人の生徒だった。一人がもう一人の顔に手をかざして、なにやらぶつぶつ呟いているのが見えた。


「何やってんだ?」


 大透が近くにいた石森という生徒に尋ねる。


「吉田が登校途中に猫の死体を目撃したらしくてさ」


 石森が少し大きな声で答えた。


「嫌なもん見たせいか気分が悪いってのを、樫塚が「悪い気が憑いてるから祓う」って」


 石森がこう教えてくれた直後、その吉田が驚いた様子で叫んだ。


「治った!」

「えーっ、マジかよっ」


 教室中から半信半疑の野次が飛ぶ。とうの吉田も信じられない様子で興奮している。


「嘘みてー、あんなに気持ち悪くて頭が痛かったのに」


 教室中がざわめく中、騒ぎの中心にいる樫塚 文司(かしづか ふみかず)だけが平然としている。まだ入学してからいくらも経っていないため、稔が文司(ふみかず)の顔をじっくり見たのはこれが初めてだった。稔や大透よりも背が高く、スラッとした体格の美形である。些か所作が演技がかっているが、それも似合うほどに大人っぽい。


「へー、樫塚も霊能力あんのかー」

「ああ。俺、同じ小学校だったけど、よく誰もいないとこ指差して、そこに女の子がいる、とか……」


 大透の言葉に石森が相槌を打つ。


「へー、同じクラスに二人も霊能力者が!こりゃ、楽しい六年間になりそーだっ」


 余計なことを言い出した大透を稔が押さえつけるより早く、文司が問い返した。


「二人?」

「その通り。ここにおられる」


 非常に嫌な予感がして、慌てて逃げようとした稔だったが、時すでに遅く、大透に制服をしっかり捕まれてしまっていた。

 大透は嫌がる稔を無理矢理みんなの前に引きずり出して、声高らかに宣言した。


「最強の霊能力者!倉井稔様のことなりーっ」

「ち、違う違うっ!俺は無実だっ!」


 混乱して訳のわからないことを口走る稔。


「えーなになに?」

「倉井も霊能力あんだってよ」

「うそー。マジで?」

「かっけーじゃん!」

「何かやって見せてくれよ」

「どっかに心霊スポットとかねえか?二人に除霊させようぜ!」


 元々興奮していた上に新しい情報は流れるように教室中に伝わって、稔の「ちが……」「俺はただ……」「平凡な……」という小さな呻きにも似た抗議はあっさりかき消された。


(なんで俺がこんな目に……)


 一瞬、これまでの人生が走馬燈のように駆け巡り、目の前が真っ暗になった。今度こそ平凡な生活を送るためにこの町に戻ってきたのに。


「そーだっ!二人で図書室の霊を除霊するっていうのはどうだ?」


 石森がそんなことを言い出した。


「図書室?」


 大透が問い返す。


「宮城、く、倉井放っといていいのか?」


 文司は、遠ざかっていく『平凡な生活』という幻に向かって手を伸ばす稔の方を見ていて、二人の話を聞いていない。


「俺には見えない何かを見ている……」


 文司に言われて大透が振り返ると、確かに見えない何かを追いかけようとしている稔の姿が目に入った。


「どーどー」


 大透は稔を捕まえて宥め始めた。そんな二人を呆気に取られたような表情で眺める文司。そんなことにはお構いなしに話を進める石森。


「八年前に、倒れた本棚の下敷きになって死んだ生徒がいるんだってよ。その幽霊が出るって、結構有名な噂らしいぜ」


 石森が言う。


「な、行ってみようぜ。図書室。樫塚と倉井、二人も霊能力者がいりゃ安心じゃん」


 石森の誘いに、文司はサラサラの前髪をかき上げながら答えた。


「いいよ。じゃあ、今日の放課後にでも図書室に行ってみようか」




 ***




「成り行き上仕方がなかった」

「何が成り行きだっ!おもっくそ人為的かつ作為的にお前のせいじゃねえかっ!!」


 深刻そうな顔をしつつ、ちゃっかり事態を成り行きのせいにしようとする大透に、稔は怒りに震える拳を握り締めながら怒鳴った。

 結局、放課後図書室に行くことになってしまい、(幻を追いかけている隙に勝手に決められた)稔はカンカンに怒っていた。

 大透はぽりぽり頭を掻きながら弁解する。


「だって、俺樫塚あんまり好きじゃねーんだもん。なんか気取ってっし。成績は学年トップだし」


 入学してすぐにあった学力テストで、文司は全教科ほぼ満点に近い成績を叩き出したのだ。


「だから、霊能力対決で樫塚をぎゃふんと言わせてくれ」

「無理だね」


 あっさりと稔が言う。


「俺には吉田が何かに取り憑かれているようには見えなかった。つまりーー俺には見えないものが見えるほど樫塚の霊能力がすごい=俺の負け。

 あるいは樫塚には霊能力なんかまったく無い。吉田の頭痛は単なる自己暗示=勝負にならない。のどっちかだ」


 いずれにしろ、自分には関係のないことだと稔は思う。後者の場合、嘘を吐くのは感心しないが、特に害があるわけでもなし、放置しておいてもなんら問題はないだろう。


「勝負にならないに一票!樫塚ごときが倉井にかなうわけがねぇ!」


(この、疫病神がっ)


 力強く宣言する大透の根拠のない言葉に、稔は思わずこぼれ出た涙を拭ったのだった。




 稔達の通う内大砂(うちおおさご)学園はこの界隈では最も古い、どちらかと言えば名門校である。

 中高一貫教育の男子校で、高校受験が無い代わりに学力テストが異様に多いことで有名である。

 ついでに言うと規律も厳しい。『世界に冠たる日本男児を育成する』云々という創立当初の校訓が、いまだに堂々と玄関ロビーに恥ずかしげもなく掲げられている。


 ただ、伝統があるだけに部活動や卒業生の進学・就職率には定評があるし、古いが広い校舎に施設も充実している。図書室もまた、他の学校とは比べ物にならない蔵書量を誇っている。


「ど、どうだ?樫塚。何か感じるか?」


 石森が隣に立つ文司に尋ねる。


「ああ。空気が重い……それはそうと、倉井、嫌なら帰った方が……」

「大丈夫大丈夫。照れ屋だからこいつ」


 心配、というかむしろ呆れた感じで忠告する文司に、逃げようとする稔の襟首をひっ掴んでもう一方の手にデジカメ構えながら踏ん張っている大透がひきつった笑顔で答えた。


「おじゃましまーす」


 そう声をかけて図書室の戸を開ける。誰もいなかった。

 壁際に十六、部屋の中心に並ぶ長机を囲むようにして四十八、計六十四の、天井まで届く巨大な本棚が聳え立っている。床にはグリーンの絨毯が敷いてあり、ちょっとした市立図書館並みの規模がある。


「あそこ、窓の辺りに人影みたいなのが……」


 早速、文司が動き出した。石森が後に続く。大透も続こうとして、


「あれ?倉井は?」


 いつの間にか稔の姿が消えていた。逃げたのかと思って辺りを見回すと、図書室の窓からぼんやりと外を眺めているのが見えた。


(俺にはなんにも見えねぇよ)


 図書室に入っても特に何も見えず、稔はホッと胸を撫で下ろしていた。

 幽霊が出るという噂自体がただの作り話かもしれないし、よしんばここに霊がいるとしても、とりあえず稔には見えない。見えなければ怖くない。

 しかし、何も見えなくともそういう噂のある場所には長居したくはない。


(あー、帰りてぇ)


 稔は溜め息を吐きながらそう思った。


 その時、ふと、妙なことに気付いた。窓ガラスに、稔の背後の様子が映っている。長机が三台並んで、その向こうにも窓がある。そちらの窓辺には文司と石森がいる。大透はデジカメを抱えてキョロキョロしている。そしてもう一人、一番奥の長机に、誰かが座っている。


 稔は振り返って背後を見た。


「何やってんだよ倉井、こっち来いよ」


 大透が手招きしている。文司と石森が何か話している。長机には誰も座っていない。

 もう一度、稔はゆっくりと向き直って窓ガラスに映り込んだ室内の様子を見る。


 長机に、誰かが座っている。


 図書室には稔達しかいない。誰もいないはずだ。


 だけど、窓ガラスだけに、見知らぬ少年の後ろ姿が映っている。


 稔はごくんと唾を飲んだ。そして、叫ぶように他の三人に声をかけた。


「なあっ、もう帰ろうぜ!」


 その言葉に、三人とも稔の方を向く。


「何だよ倉井。怖じ気付いたのかぁ?」


 真っ青になった稔を見て、石森がからかうように言った。


「帰った方がいいよ。怯えた人間は取り憑かれやすいから」


 文司はすました顔でそう忠告する。

 お言葉に甘えて、稔は「なんだとこのエセ霊能力者!倉井はなぁ、お前なんかよりよっぽど」というようなことを喚き出した大透を引きずって、図書室から逃げ出した。


「あいつら、絶対「倉井は臆病だ」って言い触らすぞ!」

「あー、そりゃ事実だから仕方がない」


 大透は文司の言い様が気に入らなかったらしく、顔を真っ赤にして怒っていたが、稔はそんなことよりも図書室から逃げ出せたことにホッとしていた。


「怖かった……」


 アニメや漫画の主人公のように、訳のわからない呪文やアイテムで悪霊と戦うなど、現実にはあり得ない。

 見えるだけの現実の人間に必要なのは二つに一つ。見えないふりをする強さか、一目散に逃げるしたたかさーー

 それが稔の持論である。




 ***




「……なぁ、倉井って本当に霊感あると思うか?」


 好きな作家の名前が並んだ本棚を眺めながら、文司が尋ねる。


「まっさかぁ」


 椅子の背にもたれ掛かって欠伸を噛み殺しながら、石森は文司の疑問を笑い飛ばした。


「あるわけねーだろ。霊だのなんだの」


「……うん」


 文司も目を伏せて苦笑を浮かべた。

 それにしても本が多い。と、文司は天井まで届く本棚を見上げて感心する。本が好きな文司には嬉しい場所なのだが、石森にとっては頭が痛くなるだけらしく、奥の方に入ってこようとしない。

 奥の棚の本にはうっすらと埃が積もってしまっている。本屋で平積みにされているような中高生が好んで読みそうな本は少ないので、利用者はさほど多くなさそうだ。

 埃を払いながら奥に進むと、一番奥の壁にドアが一つ、ぽつりと貼り付いていた。校舎全体が古く重々しい内大砂に似つかわしくない、比較的新しいアルミ製のドアだ。その、あからさまに後から取って付けたような感じが図書室の雰囲気から浮いていて、文司は引き寄せられるようにドアに近付いた。


「なあ、こっちは図書準備室として、このドアはなんだろ?」


 図書準備室の扉はきちんと別にある。そちらは古い木の扉だ。


「倉庫じゃねぇの?」


 本棚に遮られて見えないが、興味がなさそうな石森のいらえが返ってくる。


「あ、開いてる」


 ノブに手を掛けると、錆びた音がしてドアが開いた。わずかなカビの臭いが滑り出てくる。


「うぉ、埃っぽい」


 そこは八畳ほどの広さの小部屋だった。

 本のぎっしり詰まった本棚が二つと、それに収まりきらない本が床に山のように積み上げられている。


「すげえ、本の山。もったいないなぁ」


 本好きが見たら眉をひそめるだろう光景に、文司も思わず吐息を漏らす。一歩足を踏み入れると、ひやりと冷たい空気が頬を撫ぜた。

 いったい何のための部屋なのだろう。こんな風に図書準備室とは別に物置部屋を造る必要があるのだろうかと、文司は首を傾げた。


 その時、足元でばさっと大きな音がして、文司はびくっと肩を揺らした。目を下に向けると、床に赤い表紙の絵本らしき装丁の本が広がっていた。


(どこから落ちたんだろう?)


 不思議に思いながら腰を屈め、本を拾い上げた。

 繊細なイラストに英語の詩が付いている。


「マザーグースか……」


 英語のみで訳は付いていない。文司はなんとなく読めるが、中学生で訳の付いていない本を読める者は少ないだろう。だから、こうして物置にしまい込まれているのかもしれない。


(きれいな本なのに……もったいないな)


 ぺらぺらと頁をめくりながらそう思った時だった。

 突然、背筋が総毛立って、体が硬直した。自由の利かなくなった手から本が滑り落ちて床に広がる。息がかかるほどすぐ後ろに誰かが立っている。その視線を痛いほどに感じて、文司の額から汗が噴き出した。


 振り返らなければ。振り返って正体を見なければ、取り返しの付かないことになる。文司の本能がそう告げていた。だが、蛇に睨まれた蛙のように体は硬直していて、指一本動かせない。


 背後の何者かが、動く気配がした。文司はぎゅっと目をつぶった。


(捕まるっ!)


 右の肘の辺りを、何かがそっと撫ぜた。


「おい、もう帰ろうぜ」


 入り口から覗き込んだ石森に声をかけられて、その途端に背後の気配は消え空気がぐっと和らいだ。


「どうした?」


 様子に気付いた石森が心配そうに尋ねる。


「……何でもないよ」


 文司は額の汗を拭って答えた。内心の動揺を押し隠して、足早に部屋から出た。


「樫塚?」

「早く帰ろう」


 心なしか、右腕が重いような気がした。その重さを振り払うように、文司は右腕をぎゅっと握り締めた。






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[一言] 何も感じれない人より、感じれるけど何もできない人の方が危ないとmむかし心霊物のなにかで読んだような
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