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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第一話 「白い手」
17/67

【16】




 玄関の前まで来て無意識に足が止まった。


 通い慣れた友人の家だ。遊びに来た回数など数えきれやしない。だというのに、石森は知らない場所に来てしまったかのようなざわめきを覚えた。


(なんなんだ……?)


 胸騒ぎがする。文司(ふみかず)は無事でいるのだろうか。


 急に不安になって、石森は急いで玄関に駆け寄りインターホンを鳴らした。反応はない。文司の両親は共働きだから、この時間はまだ文司一人のはずだ。中で寝ているのか。眠っていて気付かないのならいいが、万一倒れていたりしたら。


 石森は続けてインターホンを押したが、やはり反応はない。思い切って扉をどんどんと叩いてみたがやはり無反応だった。携帯を鳴らしてみようかと思いつつ、一歩玄関から後ずさった時だった。


 家の中から、かすかな物音が聞こえた。


 気のせい?いや、確かに聞こえた。何か重い物が倒れて割れるような音。


 石森は弾かれたように駆け出した。


 庭の方へ周り込み、ベランダの前に立つ。カーテンが掛かっていて中の様子は見えないが、石森は躊躇うことなく石を拾い上げて窓ガラスに叩きつけた。割れはしなかったが僅かにヒビが入る。石森はショルダーバッグから体育用のTシャツを取り出して右拳に巻き付けた。


 泥棒に間違われようが知ったことか。窓ガラスぐらい貯金全部使ってでも弁償してやる。文司の方が大事に決まっている。


 石森はヒビの中心を殴りつけて窓ガラスを破った。割れた部分に腕を差し入れて内側から鍵を開ける。


「樫塚!」


 ガラスの破片を踏まないように気をつけながら室内に入る。薄暗いリビングの隅で、何かが動いた。


「樫塚!」


 文司が倒れていた。制服を着ている。まさか朝からずっと倒れていたのでは、と石森は青くなった。

 駆け寄って肩を揺らすと、不明瞭な呻き声を上げてうっすらと目を開ける。


「しっかりしろ!」


 文司の横にはシルクジャスミンの鉢が倒れて土が飛び散っている。倒れる際にローテーブルの上の花瓶を巻き添えにしたらしく、色付きのガラスが土と共に散らばっていた。先程の音の正体はこれだったのだろう。石森は文司に怪我がないのを確認して助け起こした。とにかく、救急車を呼ばなくては、石森は片手で鞄から携帯を取り出した。


 だがその時、リビングの家具が突然ガタガタと音を立てて激しく揺れ出した。


「!?」


 驚いて、携帯を取り落とす。床は揺れていない。地震じゃ、ない。


 揺れはすぐに収まった。

 だが、石森は固まったまま動けなかった。ごくりと息を飲み込み、恐る恐る辺りを見回す。何もいない。


 だが、こちらを威圧してくるような何かの気配を感じる。


 帰れ、出ていけ、消えろ。


 はっきりとそう言われているように、石森は感じた。


「樫塚…っ」


 石森は携帯を拾い上げると、文司を肩に背負って立ち上がった。

 ここにいてはいけない。

 まずは文司を外に出さなければ。石森は背の高い文司を担ぐようにして玄関に向かった。だが、玄関の扉が開かない。いくらドアノブを回してもびくともしない。


「なんなんだよ、なんなんだよ……くそっ……!」


 焦りと恐怖から、石森は手が震えるのを抑えることが出来なかった。背中にかかる文司の体重と冷えきった体温がなおさら気を焦らせる。


「くそっ!」


 苛立ちまかせに扉を蹴りつけると、衝撃によってかようやく扉が僅かに開いた。思わずほっと息を吐きかけた石森だったが、次の瞬間、全身が凍りついた。


 扉の向こう、僅かに開いた隙間に、人の顔が覗いた。


 じっとりと見上げてくる、恨めしげな目。


 石森はドアノブから手を放し、文司ごと後ろに倒れ込んだ。尻餅をついた状態でしまった扉を見つめる。恐怖で息が上手く吸えない。震える手を伸ばして倒れた文司の体を掻き抱く。何が起きているのかはわからない。ただ、あれの狙いが文司だということはわかった。


(玄関が駄目なら、ベランダから…っ)


 石森は震える体を鞭打って立ち上がった。文司を肩に担ぎ上げようと屈んだところで、ポケットに突っ込んだ携帯が鳴り出した。一瞬ぎくっとしたが、取り出した液晶にはクラスメイトの名字が表示されていた。石森は勢い込んで通話をスライドした。


「もしもしっ、宮城っ!倉井は?倉井は一緒にいないのかっ!?」


 電話の向こうからは一瞬沈黙が返ってきた。石森は構わずに言い募った。


「助けてくれ!倉井に聞いてくれ!どうしたらいいんだ!?」

『……ちょっと、落ち着けよ。どうしたんだよ?』

「樫塚が……」

『樫塚がどうした?』


 石森は頭を抱えてへたり込んだ。張り詰めているものが切れてしまいそうで、涙が滲んだ。面白半分で親友を霊能力者に仕立て上げた自分の愚かさがひしひしと身に染みた。なんて馬鹿だったんだ。本物の霊がこんなに怖いだなんて想像もしなかった。


「助けて……」


 石森は振り絞るような声で携帯を握り締めた。







 電話の向こうがどうやら洒落にならない事態になっているらしいと判断して、大透(ともゆき)(みのる)に指示を仰いだ。


「どうする?」


 稔は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。仰がれても困るのだ。稔だってどうしたらいいかなんてわからない。


「とりあえず代わってやってよ」

「ええー……」


 気は進まないが、ここで「嫌だ」と言ったらあまりに薄情な気がするので、稔はしぶしぶ携帯を受け取った。


「もしもし?」

『……倉井?』

「おう。樫塚は無事か?」

『樫塚は………が…て』

「?おい、石森?」

『…だ……ん……』

「聞こえねぇよ、何?」

『…………』


 石森の声に被さるようにノイズが走って、携帯はぶつぶつと変な音を立てた挙げ句に勝手に切れた。


「何?切れたの?」

「……妨害された」

「霊に?」

「だろうな」


 稔はふーっと息を吐いた。大透に携帯を返す。大透は携帯と稔を交互にみやって、ふにゃりと眉毛を下げた。


「助けにいった方がいいかな?」


 恐らく、現場は文司の家だろう。


「行ったって、俺達には何も出来ねぇだろ」


 稔が答えると、大透は不服そうに口を尖らせた。当然助けにいきたいのだろう。そして、稔に一緒に来て欲しいのだろう。だが、稔は行く気はなかった。だって、行ったって本当に何も出来ない。だが、見捨てると言っている訳でもない。いくらなんでも、このまま放置して帰るのは寝覚めが悪すぎる。


「俺達が行ったってどうしようもない」


 稔は決意して言った。



「プロに、頼もう」



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