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百物語〜霊感少年の憂鬱な日常〜  作者: 荒瀬ヤヒロ
第一話 「白い手」
12/67

【11】





 吐き気と尿意で目が覚めた。


 枕元の時計を見ると1時26分。文司(ふみかず)は重たい体を持ち上げてベッドから出た。腹が低く唸るような音を立てて動く。そういえば、昨日の夜からほとんど何も食べていない。水を飲むだけでやっとだった。唇が乾いてひび割れている。寝る前に白湯でも飲んだ方がいいかもしれない。


 そんなことを思いながら階下に降りると、ひやりとした空気がまとわりついてきた。今は春なのに。おかしいのは周囲の気温か、それとも自分自身か。


 トイレから出た文司はよろよろと台所に向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して電気ポットに注いだ。昨夜から冷たい水を飲んでも吐いてしまう。温めれば少しはマシだった。

 両手に包むように湯呑みを持ってダイニングの椅子に座り、文司は重い息を吐いた。手のひらに染み込んでくる湯呑みの熱に、思っていた以上に体が冷えていたことを思い知る。


 明日は学校に行けるだろうか。文司は乾いた唇を噛んだ。どんなに体調が悪くても学校に行きたい。学校に行けば石森がいる。


 迷惑をかけないと決めたはずなのに、結局は石森に縋る自分が情けなくて、文司の目から涙がこぼれた。なんでこんなことになってしまったんだろう。どうしたらいいんだろう。誰かに助けて欲しい。


(倉井……)


 明日。明日こそは、倉井に相談しよう。霊感があると嘘を吐いたことを謝って、自分の身に起こっていることを話してーー吐き気を抑えてちびちびと白湯を飲むと、お腹が暖まったせいかほんの少し楽になった。軽くゆすいだ湯呑みを水屋に突っ込んで、文司は台所を出た。


 とにかく、明日のために少しでも睡眠を取ろう。明日は倒れる訳にはいかない。そう考えながら階段を上がり、自分の部屋に入ろうとした。


 顔を上げた文司は、ギクリとしてそこで足を止めた。電灯のスイッチにかけた手が固まって動かない。暗いままの室内。月明かりと階段の灯りのおかげで物の輪郭はわかる。つい先程まで自分が寝ていたベッド。その上に、黒い影が座っている。


 喘ぐように短い呼吸を繰り返して、文司は影を見つめた。目を逸らすことが出来なかった。闇に慣れた目にはその影が女性の輪郭をしているのがはっきりわかった。髪の長い女性だ。俯いて座っている。顔は見えない。


 あれが、こっちを向く前にどうにかしなくては。


 文司はそんな焦燥に襲われて、震える指に力を込めた。電気を点ければ、明るくなれば、消えるはず。もしも消えなかったら、という嫌な不安を抑え込んで、文司は意を決してスイッチを押した。

 パッと電気が点いて室内が明るくなる。


 影は消えた。


 だが、文司が望んだような消え方はしなかった。光が点くと同時にパッと消えるのではなく、光を浴びてからぐずぐずと溶け崩れるようにして消えたのである。


 ベッドの上には何もなかった。


 だが、目には見えずとも溶解した液体がそこにあるような気がして、文司は口元を抑えて身を翻した。こみ上げる吐き気を抑えて階段をほとんど落ちるように駆け下りて居間に駆け込むと、テレビを点けてその前にしゃがみ込んだ。膝に頭を埋め、両腕で頭を抱え込む。床から冷気が吹き上がってきて寒い。


 だが、ガタガタと震えが止まらないのは寒さのせいではなかった。



 ***





 夢の中で(みのる)は図書室にいた。

  図書室の真ん中には竹原が立っていて、戸口に立つ稔に向かっておいでおいでをした。不思議と怖いとは思わず、稔はふらっと竹原に近寄った。竹原の前の机には数冊の本が並べられており、稔が近付くと竹原はすっとそれらの本を指さした。すると、数冊の本が一斉にぱらぱらめくれて、奥付のページでぴたりと止まった。


 竹原は本を指さしたまま、稔の方を見た。物言いたげな顔に促されて身を乗り出して机の上の本を見た。それぞれに著者名や発行日が書いてあるだけで、特に変わったことはない。著者も出版社もばらばらだ。ただ、一つだけ共通点があった。すべての本に「一般寄贈図書」というゴム印が押されている。


 稔が見上げると、竹原はじっと真剣な目で稔を睨んだ。そして、すっと手を上げると、図書室の奥の扉を指さした。


 そこで目が覚めた。


 学校に着くまでずっと、稔は夢の意味を考えていた。考えたくなくても考えてしまう。竹原に睨まれた理由はなんとなくわかる。関わらないことにした稔を責めているのだろう。


 文司は欠席していて、石森が難しい表情を浮かべている。大透(ともゆき)は相変わらず後ろの席からにこやかに話しかけてくる。ただ、昨日までとは違って、霊の話は一言もしなかった。


 オカルトマニアからオカルトの話をされないことに何故か妙な罪悪感を感じて、稔はふと口に出した。


「なあ、一般寄贈図書って何だと思う?」


 唐突な質問に、大透は丸い目をぱちくりした。


「何って……寄贈された本のことだろ?」


 戸惑いながらも、大透は真面目に答えてくれた。


「一般ってことは、図書館や学校みたいな公的機関からじゃなく、普通の家庭から寄贈されたって意味だろ」

「へえ……」

「例えば、本好きだった主人が亡くなって処分に困ったとか、引っ越すからとか」

「はあ……」

「それがどうしたんだよ?」

「いや、別に……」


 自分から関わらないと宣言した昨日の今日で竹原の話題は出しづらい。稔は適当に誤魔化した。

 ちらりと石森に目をやると、こっそり携帯をいじっているのが見えた。文司にメールしているのだろう。内大砂では携帯の持ち込みは禁止されているが、校内で使用しなければ大目にみてもらえるため、鞄に携帯を忍ばせている生徒は多い。


「あっ、そうだ。後で石森と樫塚の番号聞いておこう」


 稔の後ろで大透が言った。


「倉井が携帯持ってないの残念だよなー」

「今んとこ必要ねぇし」


 答えながら、稔は石森の様子を窺った。石森は熱心に携帯を眺めていたが、文司からの返信は来なかったのだろう。担任が教室に入ってくる直前に諦めて携帯を鞄に仕舞った。

 その後も、休み時間の度に携帯を見ては落胆の表情を浮かべる石森の姿に、稔は罪悪感をちくちくと刺激されて居たたまれなくなった。大透も石森も、何も言ってこないので余計に。


(このまま関わらなくていいなら有り難いじゃないか。俺には関係ないんだから)


 自分にそう言い聞かせる稔だったが、石森が携帯を手にする度にそちらに目をやってしまい、結局一日中文司のことが頭から離れなかった。





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