数年後の俺 そして……
俺は森の中にいた。
木の影に隠れながら、網を持ち、そろりそろりと木に近づいていく。
「えいっ」
と、勢いよく網を右から左にはらう。
ブーンと、アブラゼミが羽音をたてながら、大空の中に消えていった。
不意に後ろから名前を呼ばれ、俺は振り向く。
「母さん!」
母さんがこちらを向いて、手を振っていた。
何故か顔は見えない。
俺は、母さんのところに駆け寄ろうとした。
俺の手が母さんに触れようとしたとき、急に視界が暗転し、真っ暗になった。
「!」
俺は訳が分からず、足を一歩前に踏み出した。
「ガラッ」
なんと、目の前は崖になっていた。
俺は慌てて母さんの姿を探す。
母さんは、俺の目の前で、崖に必死でしがみついていた。
「母さん!」
俺は無我夢中でその手を取ろうとした。
その刹那、崖が崩れ、母さんが奈落の底へと落ちていく…
届け。届け。
俺は必死に手を伸ばす。
「届けぇぇえええええ……」
ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ…
「はっ!!」
目の前には崖などなく、見知った天井と無残に伸ばす俺の手があるだけだった。
「はあはあ…」
俺は伸ばしていた手で、目覚まし時計を止め、体を起こす。
嫌な汗が、ベッドシーツを濡らした。
「はあはあ…またあの夢か…」
まだ残っている眠気を、頭を振って無理やり追い出してから、俺はベッドから這い出す。
その足で光を入れるため、カーテンを開けた。
「っつ!」
明るさに慣れていない目に光が入り、一瞬顔をしかめる。
唐突に視界のぼやけを感じ、目をこする。
そこで俺は気づいた。
自分が泣いていることに。
「久しぶりだな…涙が出るのは。」
朝のテレビのニュースを見ながら、朝食を食べる。制服に着替え、靴を履く。
「行ってくるね。母さん。」
玄関に飾られている写真にそう言ってから、学校に向かう。
あれからずいぶんと時間が経ち、俺は高校二年になっていた。
小五のとき、母さんが死んだ。
原因は、よくある事故だった。
山道の崖で、俺と母さんが乗っていた車に違う車が衝突したのだ。
その衝撃で車が崖に落ちかけた。
俺はとっさに、母さんが窓から外に投げだしてくれたおかげで、軽傷ですんだ。
しかし、俺を助けたことにより、逃げるのに遅れた母さんは、俺の目の前で、車もろとも崖からおちていったのだ。
警察や、救急車が到着した時には、もう遅く、母さんは帰らぬ人になっていた。
その衝突してきた車を運転していた男性は、酒を飲み、酔っ払っていて、しかも無免許だったことを後から聞いた。そのとき俺は知った。
この世は理不尽だと。
正直者が損をし、何もしていない人が被害を受けるのだと。
しかし、それよりも、俺の心を抉ったのは、母さんの命を犠牲にして自分が生き残ったという事実だった。
俺があの時、手を伸ばしていれば。
母さんの手を握れていれば。
もしかしたら、母さんを救えたかもしれない。
俺はその頃も、HEROと名乗り、HEROと周りから呼ばれていた。
何がHEROだ。
無神経もいいところだ。
俺のHERO気取りはそこで終わりを迎えた。
俺は母さんを失った悲しみと、母さんを救えなかった罪悪感で残りの小学校、中学校を抜け殻のように過ごした。
そんな俺を、学校のみんなや、父や、周りの大人たちは、優しく暖かく接してくれた。
その介あって、俺は昔ほど暗くなくなり、今では高校生ながら一人暮らしを始めている。
でも、今でもあの夢を見るのだ。
母さんを救えなかったあの日の夢を。
俺の住んでいるマンションから、近くの駅で電車に乗り、最初の駅から5つ目で降りる。
そこから、山沿いにずーっと行くと俺の通っている学校が見えてくる。
その道を歩きながら、今日の一時間目はなんだったかなあ、などと俺が考えていると、
「おっふ!まぁふぁよぉひぃー」
という、あからさまに何かを食べながら声をかけられた。
こんな失礼なことするやつアイツしかいねえーな。
俺が振り向くと、案の定というか予想通りというか、茶髪でチャラチャラした奴がいた。
「ようー、正人」
こいつは蒲生正人。
背はそんなに高くないが、顔は一般常識で言うところのイケメンというやつだ。
俺が小二のときボロボロになりながらも勝利したあのときのいじめっ子、と言えば分かるだろうか?
こいつとは、あれからなんだかんだ一緒にいて、なんだかんだ同じ中学に行き、なんだかんだ同じ高校に行っている。
腐れ縁ってやつなのもしれない。
ちなみに、俺が母さんを亡くしたとき、優しく接してくれた一人でもある。
だから、こいつには割と感謝しているのだが…
「お前それ何食ってんだ?」
「ふえ?ほんやくどけで?」
「口にモノいれて喋るな飲み込んでから喋れ。」
「ほえもほうあな」
パクパク、ゴックン。
よし、飲み込んだな。
Take2といこう。
「お前それ何食ってんだ?」
「うん?コンニャクだけど」
「………なんで食ってんだ?」
「ん、だって朝の登校ってパン咥えながら走ってたら、女の子と角でぶつかるじゃん!んでさ、コンニャクならどうなんだろうって思ったわけ。」
「で、結果は?」
「角でハゲ頭のおっさんとごっつんこしたぜ!」
「へ、へー…(汗)」
わかって貰えただろう。
馬鹿なのだ。
アホなのだ。
顔がカッコイイ癖にこんな性格なので女子からモテない。
今も、何故かキラキラした目でこちらを見つめてくる。
いや別にすげぇとか言わねえーぞ。
「そう言えば今日数学テストつってたぞ」
強引に話題を変えてみた。
正人のキラキラした顔が一瞬で落胆の表情に変わる。
「えー!」
「なんだ、勉強してなかったのか?」
「いやあ、今日数学の用意持ってくんの忘れたわ。」
「………」
俺はそれ以上つっこむ気になれず、なんでこんな奴と一緒に登校しているんだろう?と思いながら、盛大にため息をつくのだった。
「うわーん、正義!勉強おしえてくれえー。」
放課後、正人が俺に泣いて頼んできた。
なんでも数学のテストでまた0点を取ったらしい。正直、面倒くさい。
前にもこいつに勉強を教えたのだが、全く理解しないわ、言ったことを3秒で忘れるわ、そもそも寝るわで散々だったからだ。
それに今日は5時からスーパーの特売がある。
早く行かないと間に合わない。
これは一人暮らしの宿命である。
しかししかし、俺にはとある特有の性格がある。
そう、困ってる人を見過ごせなという超絶面倒くさい性格だ。
この性格のせいで俺ほど人生に骨折り損という言葉が似合うやつはいないだろう。
だから、本当は嫌なのだが、
「わかった…いいよ。」
こういってしまうのだ。
「よっしゃー、正義ならそう言ってくれると思ったぜ!」
はあ、まあ正人には今まで世話になったしこんなに喜んでくれているしそれにスーパーの特売ってのは近所のオバハン達が根こそぎ持っていくからいつもそれなりに収穫が良くないしそれならば友達に勉強教えていたということにしておけば悲しまずに済みそうだしそれに…以下略。
とか何とか俺は無理やりに納得する。
こうでもしないとやってられないのだ。
「なあなあ、新しく出来た駅の前の喫茶店でやろうぜ。」
「別にいいけど、どうしたんだ?」
「あそこにちょー可愛い女の店員さん見つけたんだよ。これで勉強のモチベーション右肩上がりぜ。」
「お前の場合、モチベ上がりすぎて、勉強の集中度が左肩下がりだけどな」
「大丈夫だって、心配すんな。正義だって見たいだろ。あー俺も早く彼女できねえかなあ?」
「お前には一生無理じゃねえーのか」
「うるせえー、お前だって彼女いない癖に。」
「俺は別にいらねえよ」
「痩せ我慢しちゃってさ」
「………」
正人に見透かされた。
なんか負けた気分。
「まっ正義は小さい頃に愛を分かちあった子がいるからな。」
「んな事より勉強が本題だって、ん?」
こいつ今なんて言った?
「おい、なんだよそれ」
「とぼけんじゃあねーよ。小さい頃いつも一緒にいたじゃねえーかよ。俺がその子に告白したのにあっさり断られたくせによう。」
クソ、このリア充が!と、正人がなんか怒っている。
小さい頃一緒にいた?
正人が告白?
「あー!、ちーちゃんのことか!」
あれからずいぶん経つがちーちゃんとの思い出はつい昨日のことのように思い出される。
一緒に行った海、山、遊園地、動物園…。
どれもいい思い出だ。
そう言えば、ちーちゃんが引越してから一度も会っていない。
『また会えるよ。』とか自身満々に言ったのに。
なんか悪いことしたなあ。
元気にしてるといいけど。
今のちーちゃんが俺に会ったらなんと言うのだろうか?
そう言えば、ちーちゃんも俺たちと同じ高二になっているのか。
ふふふ。
「会いてえな、ちーちゃんに。」
俺は昔を思い出ししみじみしていた。
その時だった。
『ガガガガガ、ピー、ガチャ、救難信号を受諾、直ちに転送を開始します。』
突然脳内に謎の声が響き渡った。
「は?なんだこれ?」
『転送までカウントダウンに入ります。5、4、3、』
転送?
カウントダウン?
『2、1、0…転送開始!』
その声が響き渡った瞬間、俺の周りを光が包み込む。
そして、俺の頭の上にマンホールのような円形の穴が開く。
「えっ?なんだこ…ああああああああぁぁぁ」
そして、そのまま俺は、その穴に吸い込まれていった。
「おっほらほらー、喫茶店見えてきたぜ。早く行こうぜ。なっ!正義!ん?正義?」
正人が正義のいた方向を振り向くがそこには正義の姿はなかった。
辺りを見渡すが、正義の姿は一向に見当たらない。
「あれ?おーい、正義?あれ?」
道端の街路樹が風にあおられて、ザワザワと不気味な音をたてていた。
♢
一人の女性が、ある方向を向いて立ち止まっていた。
その方向は、正義が消えた方向でもあった。
「やっと、現れやがったか。あの能力を持つ者が。」
彼女は、喜んでいるのだ。
やっと待ちに待った者が現れたのだから。
「ふっふっふ、300年待った甲斐があったか。よし、そいつの顔、拝みに行こうじゃねぇーか。」
彼女がパチンと指を鳴らすと、彼女の姿が一瞬で消える。
それは瞬間移動という、人間には出来ない能力であった。
物語は少しずつ、動き出そうとしていた。