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ひとりぼっちのマリア  作者: K.G.Gössner & 絲山雨並
4/10

旅人は、互いを求め合う。

4.三人の旅人と、世界


 戦士リュートは心を傷めていた。

 親友のスターオンスが、いつものようにニコニコと笑顔を見せることが、少なくなったからだ。


 彼は今までに何度も、この小さな金髪の友人に支えられて来た。

 彼の助け、主に言葉と笑顔、がなかったら、リュートはとても今日までやってこられなかっただろう。彼は、この小さな友人の助けになるために、今度こそ力一杯に働こうと思っていた。


 三人は明るい陽気の田舎道を、肩を並べて歩いていた。見渡す限りの田園風景。

 行く先は、この国で一番大きく深いと言われている”しあわせの森”である。

 太陽はほがらかな光を大地に投げかけ、ゆるやかにたちのぼる土と草の香りが、どこかなつかしい。どこまでも抜けるような青空に雲はひとつもなく、風はやさしく、鳥はうたう。


 三人の旅人は、そうしたほがらかな陽気の中を仲良く歩くにはややしょんぼりとして沈みがちではあったが、それでも、一面に広がる畑のあちこちでせっせと働いている老人たちほど、不幸そうでもなかった。


 三人は元気いっぱいとは言えないまでも、歩き慣れた旅人らしい様子で、目的に向かって、スタスタと早足で歩を進めていた。大きな荷物をそれぞれに背負っていたが、朝食をキチンととって出て来た健康な体で、顔にこそ暗い影がうっすらさしながらも、ともあれ力強く、堂々として見えた。


 それに比べて、畑の中で働く人々の、なんと今にも死んでしまいそうであることか。


 元気はなく、笑顔もなく、やせこけて、動きはのろい。

 このやわらかくやさしい春の太陽さえも、彼らには厳しすぎるのだろうか。

 皆、帽子で顔を隠し、目を伏せて、何かから隠れるようにして働いている。

 皆、お腹をすかしていたが、彼らの家族の方がもっとお腹をすかしていたので、働くしかないのだった。


 広い広い田園の中に、そうした人々が点々とたたずみ、這い、歩いている。

 誰も、道ゆく三人のことなど振り向きもしない。早くやるべきことをすませて、そして、今度は家族の面倒をみるために、家へと帰らねばならない。


 真ん中を歩く小さな旅人、ほほえみの詩人、小さな盗賊、スターオンスは、そうした人々を今は見ないように歩くしかなかった。白い陽光は、彼のさわやかな金髪を宝石のように輝かせていたが、その丸い瞳のかげりまでは照らせなかった。

 両脇の友人たちに話しかけるときだけは、いつものニコニコ顔を保とうと意識していたが、気分はついていかなかった。塔に閉じ込められたままのマリア姫のこと、そして、あの門番との残念なやりとりのことが心にのしかかっているところへ、この田園を守る人々の姿は、彼の心をさらに暗くさせた。


 彼は、こうした人々の貧しさについて、今の自分には何も出来ない、と思っていた。

 時には、大金持ちの屋敷に忍び込んで盗んで来た金銀を、人々に分け与えるようなことだってしてきた彼だけれども、貧しい人を見かけるたびにそれをしているわけにはいかなかった。彼には目的があったし、この国に貧しい人は多すぎた。


 スターオンス自身、どうしてそこまでしてあのお姫さまを助けなければならないと思っているのか、説明はできなかった。


 会ったことも見たこともない女の子に、勝手に夢を見て憧れて、恋をしているような気持ちも、もちろん、少しはあった。彼は詩人として、元々そういう気質を持っていることを、自分でも知っていた。


 だが、それだけじゃない、と、説明のできない気持ちがいつでも彼の中にはあった。


 生まれたときから、本人の意思とは関係なく、そうするしかない生き方を、他の生き方を決して知ることもないままさせられつづけていること。そして、それをさせていた王さまはとっくに死んでしまっているのに、誰もそのことについて何かしようとしないまま、ただただそれが続けられているということ。


 何かが、うまく言えないけれども、変だった。


 旅をして、世界を見て、いいことも悪いことも味わって乗り越えて来たスターオンスは、どうしても、それを放っておくことができない。


 彼の心臓は”自由”でできていた。


 かたわらを歩く女性は、三人の中では一番、熱い瞳をしていた。

 彼女は女として、同じ女性がそういう立場に無理矢理置かれていることが、絶対に許せなかった。それに比べれば、周囲の貧しい人々の苦しみなど、なんでもなかった。本人たちの責任と努力でどうにでもなるはずのことを、あの人たちはしていないだけなのだと、彼女は思っていた。


 誰だって、彼女自身も、そして友人のスターオンスもリュートも、生まれながらに何でも自分のいいようにできていたわけではない。彼女も辛い境遇を、自分の力で切り開いて来て、今もそうしようと頑張っている。だから、あの人たちのために自分が何かしてやる必要はないと思っていた。少なくともあの人たちは、その気さえあれば、どんな生き方だって選び取れるはずだ。簡単ではないだろうが、誰だってそうしていくしかない。今が苦しいというのなら、その上で、それをつづけるしかしないのならば、それはその人たちの、自分の責任ではないか。


 気の強そうな細い眉が、キリリとその厳しい表情を引き締めている。


 透き通るような白い肌に、つややかな黒くまっすぐな髪のコントラストがきわだって、まるで名画の中から飛び出して来たような、特別な美しさと強さを感じさせる。背は高く、細身で、しなやかな体を強い気持ちが動かしている。街を歩けば誰もが振り返るが、声をかけるのはためらうような、そんな美女だった。


 彼女もリュート同様、スターオンスには恩義を感じていたし、その人柄も気に入っていた。何よりそのお姫さまの境遇には奮い立つものがあったので、この旅に同行することを喜んでいた。


 ぴょこ、と、彼女の胸の隙間から、一匹のカエルが顔をのぞかせた。

 カエルは、主人の胸の鼓動とゆれる胸とにさんざんふりまわされて、目を回していた。

 彼女はその気配に気づくと、急にやさしい目つきになって、自分が少し、荒々しく動き過ぎていたのを反省した。申し訳なさそうにカエルを指に取ると、ちょん、と頭をつついてなで、やさしくキスをした。カエルは乙女の白い指の上で、心地良さそうに、眠りについた。


 そんな二人の友人、スターオンスと、エッダの様子を見ながら、リュートだけは、彼らほど力強く歩けないことに戸惑っていた。ふつうの大人より頭ふたつも大きく、たくましい体をしゃんとのばして、スキのない、無駄のない身のこなしで足並みをそろえてはいるが、心の中は迷いと苦しさでぐるぐると渦巻いていた。


 広く大きな背中に、大きく恐ろしい刀が背負われている。彼はそれをどんなときでも、目に見えない早さで引き抜いて、そしてどんな強い相手とでも戦い、勝つことができた。しかし、それ以外のことは一人ではほとんど何もできない男だった。少なくとも、リュートは自分でそう思っていた。


 スターオンスの力になりたい気持ちは絶対に本当だった。

 また、みっともないところを見せて、エッダに厳しい言葉で責め立てられるのもゴメンだった。

 塔に閉じ込められているお姫さまのことを、自由に生きさせてあげたいと思う気持ちも、二人に負けていないつもりだった(いや、スターオンスにはやはり負けるかもしれない。それくらい彼はお姫さまのことに熱心だった)。


 しかし、それを全部あわせてもなお、今、周囲でのろのろと働いている貧しい人々のことを見ないで歩くのは、ほとんど無理だった。歩けば歩くほど、戦士の心はさらに傷んだ。


 やせた、小さなおばあさんが、大きな荷を背負ってよろよろと小屋に運び込もうとしている。いや、ほとんど年が分からないくらいに疲れているが、もしかしたら、エッダとそんなに変わらないくらいの年の女性なのかもしれない。


 小さな子供が、働き疲れて、畑のへりで座り込んでいる。目の奥まで沈みきって、息をしていないかのように動かない。


 子供が親を手伝ったり、家のために働いたりすることは珍しくない。

 中には、許せないようなひどい働かされ方をしているという話も、よく耳にする。

 ここにいる三人も、そんなにめぐまれた子供時代を過ごしてはいない。


 しかし、あんなふうにうなだれて、まるで一人前の大人が働き過ぎてもう一歩も動けなくなるほど身も心も碎けてしまったときのように、暗い目に何を映すでもなく、また誰からも触れられもせずに、死人のように静かに沈みきっている小さな子供の姿を、見ないふりをして通り過ぎるのは、無理だ。


 だがもし仮に今、リュートがその子に食べ物を分けてあげようとしても、その子はぴくりとも反応しないだろう。そのことを、彼らはこれまでの旅の経験から、知ってしまっていた。


 親や、親代わりの大人に怒られたり、奪われたり、もう一度もっとたくさんもらってこいとたたき出されたり、とにかく余計にひどい目にあうことを子供自身知っているのである。



 だからせめて、せめて昨日や今日、いつもつづけていられると分かっている程度の苦しさよりも、もっとひどい目にあわなくてすむように……



 何も特別な出来事には、起こってほしくないのだと、それだけがその小さな心を占めてしまっているのだ。


 それが、その子たちの唯一の願いだ。


 しかしたとえそのことを無視したとしても、その子は疲れ過ぎていて、誰か他の人が自分に何かをしてくれようとしているのだと、そのことに気づくこと自体ができなかったかもしれない。


 リュートは目を伏せた。


 スターオンスの手を取ると、少年は握り返してくれた。

 大の大人が、仲良く手をつないでこんな道を歩いているのはおかしなことだったが、しかし、一見すると、三人は親子連れに見えないこともなく、子供が父親と手をつないで歩いているようにとれないこともない。ただ実際に、相手の手を求めていたのは、大きい男の方だった。


 リュートは世界の悪い所ばかりをよく見る男だと、自分のことを思っていた。

 これまでたくさんの場所を旅して、様々な人々と会って来た。

 ただ、そのどんな所でも、どんなときでも、確かに、彼は一番ひどいものを見つけて、そのひどさのために苦しんで来た。だから、どんな場所にも、仕事にも、ずっととどまっていることができなかった。


 旅から旅を続けるのは、いつでも逃げ続けているのと同じことだった。


 スターオンスとの出会いは、リュートにとって救いだった。

 少なくとも、彼が自分自身を救うためのヒントになると思った。

 スターオンスは、どんなとき、どんな所で、何をしていても、その中に一番いいものを見つけることができる男だった。リュートはいつでも下ばかり見て沈んでいたが、スターオンスは、下から上までを全部見て、そして、一番上のよいことのために一生懸命になれるのだった。

 リュートはその生き方が好きだった。

 そういうことが自分にもできるなら、自分はまた、自信を持って剣をふるえるだろう。

 いや、いっそ剣など捨ててしまっても、力強く生きて行くことができるだろう。

 そんな風に思って、行動を共にするようになった。


 それでも、どこへ行っても、やはりリュートの目にはひどいものばかりが飛び込んで来た。

 

 そして入ってくると、もうそれしか見えなくなってしまった。

 どれほど旅を続けても、リュートが、一番ひどいものよりもマシなものを見てすごせる場所はなかった。ただひとつ、この金髪の小さな友のとなりだけが、そうならない可能性を持つ希望をあたえてくれた。


 だからリュートが旅を続けるもうひとつの理由は、スターオンスが旅をしているからなのだった。


 さわやかな心地よい風が、森の木々と土の香りを運んで来て、三人の髪をやさしくなでた。

 葉の緑は力に満ち、太陽の光を吸って、見る者の目を焼くほどに光り輝いていた。


 三人は誰からともなく足を止め、しばしたたずんで、目前に広がる”しあわせの森”をしばし見つめていた。


 この中に、一人目の魔女が住んでいるのだ。


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