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ひとりぼっちのマリア  作者: K.G.Gössner & 絲山雨並
2/10

少年は、番人との対話を試みる。

2.塔と少年


 その塔は、街のちょうど真ん中にそびえ立っていて、空に雲のある日は、てっぺんがその中に隠れてしまうほど高かった。街中どこにいても塔が見えるから、誰も迷子にならずにすんだし、太陽の輝く日には、自分の家に塔の影がさす時間で、皆、一日をはかることができるのだった。


 この街の誰もが、この塔のことを知っていたけれど、これが、何のための建物なのかを知っている人はほとんどいなかった。うわさをして、聞いたことのある人もいたけれども、すると余計に関わりあいになるのを怖がって、知らないふりをするのだった。

 誰も、王さまたちのことを悪く言ったり、うわさしたりして、兵隊につかまりたくはなかったからだ。


 この塔の一番てっぺんに、お姫さまの小さな部屋があるのだった。



 あるとき、塔の入り口を見張っている門番に、一人の少年が近づいて来た。


「この塔に入れてくれませんか?

 中にいる女の子を連れ出してあげたいんです」


 門番はびっくりして、怒り出した。


「馬鹿を言うな。ここには誰も入ってはならん」

「どうして?」

「命令だからだ」

「だって、王さまはもう亡くなってしまったじゃないですか。だから、この中の女の子も、もうお姫さまではないのです」

「そんなことはない」


 門番の怒鳴り声は、広場いっぱいに響き渡って、人々を驚かせた。皆、何が起こったのか気になったけれども、関わりあいにならない方がいいと考えて、逃げて行った。広場には、塔と、門番と、少年だけが残った。


 少年は、門番に近づいて行ったときからずっと、今でも、変わらずにニコニコとほほ笑んでいた。門番は、自分がどんなに怒っても大きな声を出しても、少年がびくともしないでニコニコしているので、ますます腹を立てた。


「たとえ子供でも、お姫さまに対して失礼なことを言うと、つかまえて牢屋に放り込むことになるぞ」


 しかし、門番は言いながら、この少年は見た目通りの年齢よりも、もう少し大人なのかもしれないと感じ始めていた。


「では、その子はやはりお姫さまなのですか?」


「当然だ。私たちの王さまが亡くなって、隣の国から新しい王さまがやってきた。この新しい王さまのお妃さまは、前の王さまのいとこの娘にあたる方なのだ。親戚なのだ。それでこの方が新しい王さまに決まったのだ。だから、この新しい王さまのお子さまである王子さまにとってのひいひいおじいさまと、この塔のお姫さまにとってのひいおじいさまとは、同じお方ということになる。それは、私たちの、前の前の前の王さまなのだ。だから、この塔にいらっしゃる方は、今でも、お姫さまに違いないのだ」


「なんだかよくわからないなあ」


 少年はニコニコしながら答えた。不思議そうに首をひねると、まぶしい、ハチミツ色の髪がサラリとゆらめいて、太陽の光が彼の頭の上で流れて波立つように見えた。


「子供にはわからんだろうが、これは決まっていることなのだ」


 門番はもう、目の前の少年を子供だと決めつけていた。


「そして、王さまが変わっても、お姫さまをそのままこの塔で、今までして来た通りにお世話しつづけなければならないと、新しい王さまが決めたのだ」


 門番も、自分ではそれ以上のことは何にも分かっていなかったので、そこでぴしゃりと口を閉ざしてしまった。


 少年のニコニコ顔に、がっかりした表情が割って入った。心なし、明るくて軽やかなハチミツ色の髪の毛まで、その輝きをくもらせ、重々しく沈んでしまったように見えた。


「僕には二人の友達がいます」


 少年は残念そうな様子で話し始めた。


「僕たちは三人で、あの女の子をあそこから出してあげたいと話し合ったんだ。


 一人はとても大きくて強い男で、刀を振り回してあなたに襲いかかればいい、兵隊があとから何人出て来ても平気だと言った。本当に、それが出来てしまうくらい強い男なんだ。でも僕は反対だった。そうやって人を傷つけたり、血をまき散らしたりして力ずくで連れ出しても、その子は僕たちを怖がるだけだろう。僕たちも、自分で、何か悪いことをしてしまったという気分をずっと持ったまま、彼女にあわなければならなくなるだろう。それは嫌だ。それでは意味がないと思った。


 もう一人は、とても奇麗な、素敵な女の人だ。彼女は、この塔を作ったのも、この塔にお姫さまを閉じ込めるように王さまに言いつけたのも、魔女たちのしわざだと知っていた。だから、まずは魔女たちに会いに行って、説得するべきだと言った。もちろん、それは悪くない考えだと僕も思う。


 でも僕は、まず何よりも最初に、親である王さまがどういうつもりなのか確かめたかったんだ。

 会って、直接話をきいて、どう思っているのか言ってほしかった。

 でも王さまはもう死んでしまった。

 だから次には、この十何年もの間、ずっとお姫さまのためにだけ働いて来た、あなたたちに会って、話を聞きたいと思った。


 だからここへ来たのです。


 この広場から、人は皆いなくなってしまった。

 皆、自分がそうなるだろうと考えている通りではない明日が来るのは嫌なんだろう。恐いのだろうと思う。僕もそうだ、その気持ちはとてもわかる。


 でも、もし僕が、どうしても何かをしたい、しなければいけないと思うことを見つけてしまったとき、強い男の力を振りかざすよりも、何か、かしこいアイデアで遠くから安全に想い通りにしようとするよりも、まずは誰かと直接であって、話をするところから、始めたかった。


 それが一番いいかどうかなんて、僕にはわかりません。


 でも僕は、あなたとお話がしたかったから、

 他のことをするよりもまず最初に、ここへ来たのです。


 門番さん、僕が無理なことや、失礼なことを言ってしまったのならあやまります。

 ごめんなさい、そんなふうにしたくはなかったんです。

 すぐに全部を変えて、お姫さまを連れて行くことは、今はできなくてもいい。


 せめて、一度中に入れてくれませんか。


 あの人に出会って、まだそこにいたいのか、一緒に外へ出たいのか、


 聞いてみるチャンスだけでも、もらえませんか。

 だって、人が生きているときに、それは、とても大切なことじゃないですか」


 門番は答えなかった。

 もう彼の心はとてもかたくなってしまっていて、この少年が何を言っても何をやっても、相手にしないと決めてしまっていた。それは、この塔の高さよりも、そのレンガのかたさよりも、遠くて、かたい壁だった。


 決めてしまったことを守りつづけるのは、門番にとっては一番得意な仕事だった。

 彼は石像のように堂々と立ち、心の中まで石にしてしまって、平気で少年を無視することが出来た。そして、そういうふうに振る舞って、キチンと命令を守り通す自分は、立派な仕事をしていると誇りに思っているのだった。


「僕は失敗した」


 少年のサラサラの髪は、ますますくもってしまった。


「ここへ来れば、少なくともあなたに出会うことが出来ると思ったのに。

 人と人がお互い目の前に立っているのに、出会いが起こらないことって、あるんだろうか」


 門番は黙っていた。


 ただ、もちろんだ、子供め、と思っていた。彼は確かに大人だった。


 少年は高い高い塔を見上げた。太陽は今、雲の中に隠れていて、空は暗かった。塔のてっぺんも、雲の中だった。


 少年は叫んだ。


「僕はスターオンス。

 僕は旅人。

 僕はドロボウ。

 僕は詩人。

 僕は、君をそこから連れ出すために生まれて来た。

 待っていて、マリア!」


 門番は大声を上げて、持っていた槍を振り回し、少年を黙らせようと襲いかかった。

 スターオンスと名乗った少年は、苦もなくスルリとその槍をかいくぐり、門番の股の間をすり抜けると、素早く身をひるがえし、一目散に駆け出した。その動きがあまりにも早かったので、さっきまで石になっていた門番にはとても追いつけそうになかった。


 もっとも、彼はその場所を守ることが仕事であって、追いかけることは彼の仕事ではなかったから、すぐに平気な気持ちに戻って、また、そこに立ち続けた。


 しばらくもしないうちにまた人々が広場を行き来し始め、元の喧噪が戻って来た。もう誰も、金髪の少年のことを覚えていなかった。

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