エレベーターのない塔の頂上で、鍵を破る誰かを待つ。
1.塔のお姫さま
むかし、あるところに、お姫さまがいた。
お姫さまはとてもかわいらしく、よい子で、いつもきれいな服を着て、花のように笑う子だった。誰も見たことも会ったこともないけれど、皆がそう思っていた。
いつからそこにいるのか、お姫さまは自分では分からない。そもそも、そんなことを考えてみたこともなかった。その小さな部屋には彼女のためのものがなんでもそろっていて、いつでもちょうどよく涼しくて、あたたかくて、清潔だった。
毎日毎日、きまった時間に、家来が階段をあがってきて、食べ物や、そのほか新しく必要になったものを、扉の横にある、取り出し口に置いて行ってくれた。家来は、いつも扉の向こうで何も言わずに、ただ持って来たものを置いて、いらなくなったものを取って、帰って行った。家来が上がってくる時間はだいたいいつも決まっていたので、お姫さまは、一日がどういうふうに決まっているか、自分でもしらないうちに理解して行った。
部屋には、大きなベッドと、大きなテーブルと、椅子とが、ひとつずつあった。まだ幼くて、体も小さかったときは、これらが何のためにあるのか分からなくて、全部床の上で寝たり、食べたりしていた。床には、柄のない、白いふかふかの絨毯が敷かれていたので、それでもとても気持ちよかったのだけれど、ベッドやテーブルに背が届くようになると、その方が具合がいいことに気づいて、使うようになった。
生まれたときからずっと、そうして同じ生活を続けていたから、それを改めて息苦しく思うことは何もなかったが、こうして新しいことができるようになるのは、嬉しかった。
おそらく、その頃からだっただろう。
彼女は眠っている間に見る夢について、起きてから思い出して考えるくせがついた。
もっと小さかったときは、夢について、特に、何かを考えるようなことはなかった。
多分、面白い夢や、衝撃的な夢を見たことはあっただろうけれども、それを覚えておいてあとで考えるようなことはほとんどなかった。朝、見た夢と、そのあとの現実との区別を付けることさえ、あまりなかった。なんとなくいつも楽しくて、なんとなく、なんでもない毎日が過ぎて行くだけだった。
夢のことを覚えていられるようになってからは、そのことを考えながら一日を過ごすのが楽しいと思うようになった。彼女はそのあそびに夢中になった。その日の夢だけで足りない時には、前に見たことを思い返してみたり、まだこのあそびに気づく前に、見たはずの夢のことを思い出そうとしてみたりして過ごした。
大抵は、意味の分からない、脈絡のない夢ばかりだった。それも、平穏で、あたたかくて、ぼんやりとした、ゆるやかなイメージのものばかりだった。生まれてから一度も誰かと話をしたことがないお姫さまは、言葉を知らなかったけれど、そのためにかえって、こういう夢について思い巡らすのが難しくならないらしかった。
こわいような夢を見ることも、たまにはあった。目覚める前から本当にこわくて、起きた後は泣きわめいた。また夜がやって来て、眠らなければならなくなるのがこわくてたまらない、そんなときもあった。
それでも、何も夢を見ない日よりはずっとよマシだった。
時々、夢を見ないことがあったとしても、前に見たものを思い出したり、次はこんな具合だったらいいのに、と考えたりするだけで時間を使うことが出来たが、何日も夢を見ない日が続くと本当にどうしようもなくなるのだった。こういうあそびに気づく前には、そんなことをきにかけることさえなかった。一日の中で、いつがおもしろくて、いつがつまらないとか、今日は何が出来て、今日は何もすることがないだとか、何も思わなくても、ただそのままで心楽しく笑って一日を送ることができていた。
テーブルと、いすと、ベッドの使い方が分かって、夢のことを考えてあそべるようになってから、お姫さまには、楽しく出来る日と、出来ない日とがはっきりと分かれるようになった。そして、だんだん、そうできない日の方が、ふえていった。全く夢を見なくなったわけではないけれど、胸が躍るほど、彼女を満足させるほどの夢を見ることは、だんだん少なくなって来たのだった。
お姫さまに毎日運ばれる食事は、王様の命令で、毎日、絶対に、少しの違いもなく、同じものと決められていた。だからお姫さまは、食べ物にはおいしいものとそうでないものがあるとか、好きなものとあまり食べたくないものがあるとか、考えなくてもよかったのだった。それしかないのだから、ただ、そういうものだと思っていればよかった。
ところがある日、一回だけ、ほんの少しだけ、違うものが運ばれて来たことがあった。
その日だけ、どうしてもタマネギが足りなくて、仕方なく、白ネギが使われたのだった。
コックは、黙っていれば誰にも気づかれないだろうと思っていた。
確かに、料理がいつも通りかどうか確かめてから、お姫さまの部屋まで運んで行く家来は、気づかなかった。二人とも、あまり長くその同じ仕事ばかりしているから、そんな小さな問題について深く考えなくなってしまっていたのだった。そして、王様や、大臣たちや、他の偉い人たちも、これまでうまくいっていることが、今日だけ少し違うかもしれないと言う心配を、もうほとんどしなくなってしまっていて、結局、誰もこのことを知らないままになってしまったのだった。
お姫さまただ一人だけが、いつもと違うことに気がついた。昔のお姫さまなら、どちらでもよかったのかしれない。気がつかなかったかもしれない。しかし、今のお姫さまは、こうしたちょっとした変化にとても敏感になっていた。
それを食べたとき、どんな気持ちだっただろう。
おいしいとか、まずいとかは、分からなかった。
ただ、いつもと違う、ということにびっくりした。
お姫さまの想像力は、とても強かった。
食べ物には、他の物もある、とうことに、お姫さまが気づくのは、難しくなかった。
明日はどんなものが来るだろう。次は、どんな違うものが運ばれるだろうという期待が回り始めると、もう止まらなかった。それまではただの当たり前の作業だった食事が、とても楽しみな、興味深いものになった。
でも、次からはまた、いつも通りのものがちゃんと運ばれてくるだけになった。
何度も何度も、同じものが、キチンと運ばれて来た。
この、コックの失敗を、誰も知らないままだったので、何か、やり方や考え方を変えるチャンスも、問題を想像したり解決しようとする人も、ないままだった。そのためそのまま、その前までのことが、ただ続けられるだけなのだった。
もうお姫さまは、もう一度白ネギが食べたくて、また何か食べたことのないものが運ばれてくるのが待ち遠しくて、我慢が出来なくなっていた。
言葉にはできなかったが、ただ。
今までとは違う種類の夢をみるようになった。
もっと具体的で、はっきりとした夢。
食べたことのない、たくさんの食べ物の夢だった。
おかげで新しい夢をたくさん見るようになったけれど、お姫さまはもう全然うれしくなかった。
運ばれてくる同じ食べ物も、だんだん嫌になって、本当にお腹がすいたときにしか食べなくなってしまった。
ところで、お姫さまのために作られる食事は、そんなにものすごく豪華ではなかったけれど、少なくとも、家来が自分の給料でいつも食べているものとは比べ物にならないくらいおいしいものだった。家来は、仕事をまじめにする人間だったので、お姫さまに運ぶためのものには絶対に手を出さないとしっかり決めていて、これまで一回もつまみ食いをしたことはなかった。しかし、こうして、はじめてお姫さまが食べ物を残したとき、彼は困ってしまった。どうしていいかわからなかったのだ。お姫さまの健康に関わることだから、ちゃんと報告はしなければならなかったが、問題はこの残った料理だ。捨てるのだけは、どうしてももったいなかった。それで彼は、彼なりに仕事を片付けると言う気持ちで、それを食べてしまった。それくらいは、自分の仕事のうちだろうと、わざわざ誰に相談することもなく、勝手に考えてしまった。
残り物の料理は冷めてしまっていたけれど、それは本当においしかった。
こうしたことが続くうち、家来はいつしか、それにも慣れてしまって、これは自分が食べてもいいものだと、あまり前に考えるようになっていった。
お姫さまは、こうした毎日の中で、いつもいつも同じことばかりが続けられていることに、自分でも気づき始めていた。それは、くり返されればくり返されるほど、少しずつ、彼女を不機嫌にさせて、苦しくさせていった。




