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「死んだ、のかな?」
眼下には、血まみれの少女が倒れている。
「これで、よかったのかな?」
葉の手元には、血まみれの包丁。
この包丁で刺した。
少女が、襲いかかってきたからだ。自分、と思わしきその少女は、突然に、異形の姿になって葉を食べようとしてきた。
咄嗟に抵抗すると、どういうわけか、また、自分の体が発光し、その光が包丁の形状に変わった。
それで、戦えると思った。理解はできないが、この刃物を使って戦えると思えた。
刃渡り十㎝ほどの包丁。
とても手に馴染んだ。
当然。
これは、葉が家で使っていた包丁だった。どうしてそれが、ここに出現したのかは、よくわからないが、しかし、本能的に刺した。
一刺しすると、少女は死んだ。血は流れなかったが、包丁には血液がついた。けれど、そんなことは、今さら気にもならなかった。
「お父さん! いるなら出てきてよ!」
青空に向かって叫んだ。
「ここはどこなの? 何なの? 私は一体どうしたらいいの?」
今、自分が何をしているのかは、理解困難。
けれど、葉はバカではなかった。感情を表現するのが苦手。人と話すのが苦手。集団生活が苦手。人と関わるのが苦手。だから、よく考えて、よく周りを見て、生きてきた。状況を観察して、推理する力はそれなりにはある、と、自負できた。
「お父さんとお母さんが、なにかしてるんでしょ? もういやだよ。わかったよ。私のことが嫌いなんでしょ? だったらもう、家からでていくから。とにかく、こんな変なことはもうやめて!」
犯人は、父と母。
二人がきっと、何かしらの悪巧みをしている。私のことが、邪魔だからだ。それは納得できる。私は、ひきこもりだし、性格も歪んでいる。かわいくない。ネグレクト。放任。放置。私は、二人にとって要らない存在なのは、知っている。
「追いだしたいなら、好きにして! とにかく、早くここから出して!」
この得体の知れない体験。
自分の精神がおかしいのは元からだが、変な薬を使われたのかもしれない。催眠術かもしれない。
礼愛といい、幼少期の自分といい、もう、やめて欲しいと思った。昔のこと。終わったこと。過去のこと。
辛かった昔を掘り起こして、私は嫌な思いをした。礼愛を殺した。自分を殺した。そんなことをして、いい気持ちになんてならない。
過去は、変わらない。忘れたい。
なのに、無理矢理にこんな思いをさせて、何になるのだろう。
「それはできないな。葉は聖女になるのだから」
瞬きした刹那。
父が、そこにいた。
「中々、優秀じゃないか。素晴らしい」
「どういうこと?」
もう、何かおかしいことがあっても、気にならない。
「説明してもいいが、どうする? 知ることで、苦悩するのは目に見えているのだが」
「いいから教えろ」
「ふふ、葉がそんなに好戦的な態度をとるなんて……、ずいぶんと犯されているみたいだな」
「だからどういうことなんだよ!」
「つまりはこういうことさ……」
父は、饒舌に語り始めた。
「昔、隕石が落ちたのだよ。日本に。それは小さな隕石だったが、相応に、周囲に被害を与えた。もっとも、山奥だったので人的被害はなかったがな。隕石の処理に向かった自衛隊員にそこで、不可思議なことが起きた」
――♪∮&§■‡※♪∮&§■‡※♪∮&§■‡※だよ。
「♪∮‡※が♪∮&§■‡※となったのだ。それはまさに♪∮&§※tという感じだったのだな」
「え?」
「ああ、この言葉は葉には難しいのか。まだ♪∮&§■‡※を持っていないからな」
「何なの!」
「エフェメラル、この言葉はわかるかな?」
「うん」
「つまりは、その隕石には宇宙人が住んでいたのさ。その宇宙人は実体がなく、人間の♪∮&§■‡※に寄生することで、実体を象ることができる。ああ、記憶、というべきだな。記憶に寄生して、生きるのさ。♪■‡※たちは」
「記憶に? どういうこと?」
「そのままの意味だよ。彼らには、体がないのだ。だから、生物の記憶を元にして、体を作るのだ」
「さっぱりわからない」
「葉が体験してきたこと、それが答えだよ。人間の記憶を、具現化するのだ。空間も時間も物理も全てを支配して、そこに現出する。今、ここ。この場所がまさに、彼らの中だよ。この地面も空も空気も、彼らだ」
父が語る言葉の意味は、よく理解できなかった。
ただ、何となく感じた。
「生きてる?」
「そうだ。彼ら宇宙生命体――エフェメラルは、我々の常識を越えた生命体なのだ。その力を研究し、解明することで、世界はさらに前に進むことができる。ここはその実験場さ」
エフェメラル、と呼ばれた生命体。
彼らは記憶を具現化する?
あの穂村礼愛も、今、殺した昔の私も、全て、私の記憶?
そう説明されると、どういうわけか、すんなり納得できた。あまりにも、突拍子のないことばかりだったから、どんな説明であっても、ちゃんと説明して貰えたら、よかったのかもしれない。
「もっとも、寄生した記憶の具現化は不安定でな。抽象的な、イメージ、すらも実体化してしまうので、まだまだ彼らを安定した兵器に転用するには時間がかかるがな」
「兵器?」
「そうだ。これだけの力だ。当然、人間が求めるのは、この力を利用し、より安定して強大な力に変えることだ。それが性だ。本質だよ」
「そんな仕事をしてたんだ」
「まあな。私は、研究者なのさ。母親もそうだ。葉。お前は、エフェメラルの実験体にすべく、私たち夫婦が育ててきたのだよ」
「実験体?」
「エフェメラルは、記憶に寄生し、実体化する。だが、どんな人間にでも寄生するわけではなく、えり好みするのだ。彼らも生き物。性格があるのだ」
「へー」
「彼らは、感情を伴った記憶を好む。嬉しいとか、悲しいとか、あるいは、そんな感情が複雑に入り乱れた心。ようするに、思春期の子供だな。それも、お前のように、重度の思春期障害に陥った子供は、彼らの大好物だ」
「たしかに私は、変だけど」
「そういう子供を集めた。そして、エフェメラルに与えた。不安定で、複雑なお前らの中から、激しくエフェメラルに寄生される存在を探しているのだ」
適合率。
手術台みたいなところできいた。
あの会話。
それはそういうこと?
「葉の適合率は、素晴らしいぞ。既に九十%を越えておる。壊れた腕も体、あっという間に元通りだ。それも、葉が無意識に望み、エフェメラルによって具現化された。無自覚に、彼らをコントロールしているのだ。彼らがより深いところに寄生すれば、葉が願えば、どんなことだって実現できるようになる。まさに神。我々はその存在を聖女と呼んでいるが。なんで聖、女、なのか、葉ならわかるな?」
「わたし」
「そう。お前なら、そうなれると思った。だから聖女とつけた。つまり、全ては葉のために作られたのだよ。お前のために。お前を愛しているからだ」
「うそばっかり」
「ふふ、そう思うのもわかる。しかし、真実だよ。お前を放置してきたのも、愛に枯渇するように仕向けるためだ。そうすることで精神的に不安定になり、より、エフェメラルに適合しやすくなるからだ。その通り、お前は、神にも近しい力を手に入れつつある。その力があれば、どんな夢も叶う。お前が望んだ、母なる愛情すらも、簡単に手に入る。これまでの育て方はお前の幸せを願っての行動だ」
「そんなの信じられない」
「まあ、そう思うのも理解しよう。寂しい思いをさせたのは事実だ。だがあえて、そうしたのだ。今後の人生への投資だよ」
「ふーん」
力を手に入れた?
私の中に、何か、寄生虫がいる。
エフェメラル。
彼らは、記憶を具現化する。イメージも具現化する。そうすることで生きている。だから、私が望めば、どんなものでも、生み出せる?
私は神?
聖女?
それなら、ここでこの父親を殺したいと思えば、殺すことできるのだろうか。
いや、殺したいとは思わない。
父に対して、悪意はない。
母に対しても、殺意はない。
あるのは、無関心。
興味がない。
父も母も、私を放置してきた。
だから私も、父にも母にも、愛情がない。
関心がない。
生きても死んでもどうでもいい。
私がしたいのは、明るい世界に戻ること。
礼愛を殺したとき、思った。
あのまま、彼女と死ぬことができた。けれど、死にたくないと思った。私はもう一回、外の世界に戻って、人生をやり直したい。彼女が生きられなかった分も、前を向いて、精一杯に生きる。それが、贖罪だと思うから。
あの場所は、きっと礼愛との思い出。楽しかった日々。それが壊れた日。私の感情。礼愛と共に、死にたいと思った。
けれど、まだ、死ねないと思った。
私は、渇望する。
欲求不満。
望んでばかりいる。
何も、満たされなかった人生への後悔。
死にたくない。
まだ何も得ていないから。
それが答えだった。
「何で、私に教えてくれたの?」
「元々、そういう予定だったのだよ。ある程度、適合したのなら、説明をしないとコントロールもままならないからな」
「ふーん、ほんとに?」
「ああ、本当だ」
「他の子はどうなったの?」
「みんな死んだよ。ああ、お前ともう一人、才能がある子がいたが、だめだったな」
「だめ?」
「ああ、さっき死んでしまったよ」
と父は、地面を見た。
倒れた少女。
血は出ていない。
「ほれ」
「え」
「お前が殺したんだろ?」
「え」
「エフェメラルに強く寄生された者同士を対面させてな、どんな化学反応が起こるか見たかったのだ。まあ、結果、より上位の記憶に上書きされる、ということがわかっただけだったがな。もっとも、お前の適合率も高まり、より安定したからこの実験は正解だった」
「意味が、わから、ない」
私が殺したのは、昔の自分。
そこに倒れた子も、エフェメラルが具現化した記憶のはずだ。
「自己投影、だよ。共感と言い換えることもできるが。お前は、その子に共鳴していたのではないのかな?」
ざざーざざー、とノイズ音がした。
テレビの砂嵐。
画面が切り替わった。
一瞬。
目を開けた。
「ああ……」
倒れていたのは、どこかの学校の制服を着た少女だった。
そうだ。
あの最初の空間。
真っ白場所。
逃げ惑って泣いていた。
ピンクの髪留めをつけた、あの子だ。
血まみれになった。
血が噴き出している。
綺麗。
真っ赤な花。
死んでしまっている。
「共感した相手のことは、まるで自分のことように感じる。エフェメラルも同じだよ。自己投影して、そのまま記憶を上書きしてしまう。それが殺意になるか、好意になるか、そんなものはわからないがな」
「そんな……、ああ……」
言葉にならなかった。
共感。
あの場所でみんなに共感した。
それが、まさかこんなことになるなんて、思わなかった。
いけないことじゃないはずなのに、自分が他人に思いを寄せたことが、悪いことだと思ってしまった。
「まあ、そいつはどうせ聖女にはなれなかったから、死んでも困らないのだが。葉の数値が抜けていたからな」
「人を……、殺した……」
「ん? そんなに苦しむようなことなのか?」
「そうだよ! 当たり前でしょ!」
「あはははは、神に等しい力を手に入れつつあるのに、そんなことで苦しむとは……、お笑いだな」
「人が死んだんだよ! どうして笑えるの? おかしいよ!」
「葉の力の前では、生き死になど、それこそ笑い話程度の価値しかないからだな。お前が望めば、その死体も命を取りもどして、動きだす。何もなかったかのようにな」
「そんな……、そんな力が私に……」
「あるさ。それが、聖女の力。エフェメラルの力だよ」
望んでいない。
神なんて。
万能の力が欲しかったの?
ちがう。
私はただ、普通になりたかった。普通の家の子供として生まれて、普通に生きたかった。こんなことがしたかったわけじゃない。
愛されたかった。
遊びたかった。
学校に行きたかった。
家に帰ってみんなでご飯を食べたかった。
行ってらっしゃい、が欲しかった。
おかえりが、欲しかった。
ただいま、が言いたかった。
「じゃあ、生き返って! お願い! 生き返ってぇぇぇぇぇ!」
力の使い方なんてわからない。
だけど、できる、というなら、したかった。
がむしゃらに念じた。
生きて。
生き返って。
死なないで。
「あ、ああ……あ、ううう……、痛い……、んん」
と少女が頭を抱えながら、起き上がった。
奇跡。
私が起こした奇跡?
すごい。
感動の余り、涙が溢れてきた。
神が起こした奇跡。
エフェメラルが神。
「あああーあーーー、よかったーーー、よかった! ほんとにぃぃぃぃ!!!」
と少女に抱きついた。
こんなに素直に感情を見せるなんて、自分らしくなかった。
人間相手に、自分から抱きついて、叫ぶなんて。
「よかった! ほんとによかった! よかった! よかったあああ!」
「あ、うん。あ、ありがとう?」
「ありがとうじゃないよ。うん、よかった! よかったね! ほんとに!」
「な、何があったのかな? うん?」
少女は戸惑っていた。
何もわかっていない。
それは私も同じだ。
何もわかっていない。
それでも、よかった。嬉しかった。凄く凄く、嬉しかった。生き返ってくれて、よかった。信じられないくらいに、嬉しかった。
共感のせいだと思った。
まるで自分のことのように、彼女が生き返れたことが嬉しかった。彼女の人生のことなんて何も知らない。不登校らしい、っていうことだけ。名前も知らない。でも、そんな程度のことなのに、彼女のことを愛おしく思って、もっとよく知りたいって思って、友達になりたいって思った。それだけで、安心して、頑張ろうって気持ちにもなれた。
「ここから逃げだそう」
「え? ん?」
「いいよ。後で説明する。でも、早くここから出よう」
「あ、うん」
「私が守ってあげるから。安心してね」
できる気がした。
今なら、どんなことでもできる気がする。
「おいおい、逃げるって、物騒な話しはやめてくれ。葉。ここにいてくれないと困るよ。大体、エフェメラルの生態だってまだ完全にはわかっていないのに、どこにいくつもりだよ」
「どこだっていいでしょ。ここから出して」
「そんなことはできないな」
「じゃあいい」
葉は願った。
ここを破壊する。
崩壊。
爆発。
炎上。
ガタガタと音を立てて、地震が起きる。雷鳴がとどろいて暴風が吹き荒れる。所々で、爆発が起きて、炎上する。世界が、自分を中心にして回って、この辺り一帯の全てを焼きつくして、弾けとばす。
「お、おい、やめろ。やめ留んだぁっ亜ぁぁ!!!!」
激しい轟音がした気がする。
その時のことは、よく覚えていない。
ただ、一生懸命だった。
彼女を守りたい。
無事に逃げたい。
友達になれる気がした。
いや、もう友達の気分だったのかもしれない。
ひたすらに崩壊を願った。
願った。
幸せを願った。
少し経った。
目を開けた。
真っ白な場所で、目を覚ました。