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ephemeralfriend  作者: 葵栞
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 目が覚めた。どうやらまた気を失ったみたいだった。気がつくと体中が熱い。それは内側からやってくるという感じではなかった。この場所そのものが、暑いのだ。まるで真夏のような暑さ。じっとしていても汗が滲み出てくる。

 あまりにも暑いので、一瞬だけマスクを外した。

「なに……、ここ」 

 葉は辺りを見回す。見渡す限り真っ赤な砂丘が広がっている。四つん這いになって起きあがる。地面は砂。一面の砂。砂漠。じゃり、と砂に手をやると音がする。夏の砂浜のように温かいが、その色は馴染みのあるものでは無い。赤いのだ。鮮明で発色の良いそれは、喩えるならまるで血のような色だった。

「砂漠?」

 辺り一面、赤い土の砂漠。そして空もまた、赤い。不気味に赤く光っていて、とてもこの世とは思えない。葉は自分は死んだのかもしれないと思った。あの、白衣や黒い靄は天の使い――悪魔とか死神とかそういう存在で、ここは地獄なのかもしれない。それなら、この非論理的な場所も、納得が出来た。

「あ、そうだ。窓は?」

 と振り返る。飛び込んできた窓のことだ。

 しかし、そんなものはなく、見渡す限り赤い砂丘である。

「……何で? ないの?」

 疑問が膨らんでいく。しかし、一連の不可解な出来事が続いた結果なのか、そこまでの不審感は抱かなかった。

「どうしよう……、どうしたらいいんだろう」

 としばし立ち止まり、思い悩む。パジャマに裸足。髪は少しべたついていて、触ると気分が下がる。最近、久しぶりに外出して綺麗にカットして貰ったボブ。手入れしないとボサボサになる。ゲームはちゃんとセーブしたかな。というか今日が、私が思っている今日じゃない可能性だってある。昨日ゲームをしていたけれども、何日間眠っていたのか、それだってわからない。大体、今何時だろう――と、

「葉!」

 と声がした。懐かしいような、初めて聞くような声だ。

「え?」 

 と振り返った。


「大丈夫? 葉」

 と眼下にはよく知る彼女が居た。

「礼愛? え?」

「そんな驚かないで」

 と呆けたように呟いた。彼女の茶色いショートカットが爽やかに揺れていた。

 昔死んだはず。しかし、目の前に居たのは間違いなく穂村礼愛そのものであった。

「何で? あ、そうか。やっぱり私……」

 葉は動揺する。しかしすぐに納得する。自分は、やはり死んだのだ。そして、ここは冥界とか地獄とか天国とかそういう世界で、これから成仏するのだ。

「私、死んだんだ。それなら礼愛が居ても変じゃないね」

 死亡前の記憶は無いが、死とはそういうものなのかもしれない。何しろ死ぬのは初めてだから、正解はわからない。

「そうか、死んだのか……、私」

 と葉は少し残念そうに下を向く。死にたい、とは口癖のようによく言ってきた。しかし、死ぬことは出来ないし、本心では生きたいと思っていた。それでも、素直にはなれないし、気がついたら人生が終わってしまった。

「もっと、色々、頑張ればよかった、な」

 後悔は先に立たず。それを死んでみて知った。

「勝手に話を進めるな」

 と礼愛が快活に言った。

「だって、こんなのおかしいもん」

「何が」

「全部だよ。あの変な人たちとか黒い変な靄とか、この変な場所とか、もうとにかく全部、変だもん」

「変ばっか言うな」

「だって変なもんは変なんだもん!」

「そうかなぁ、あたしにはわからないなぁ」

「絶対そうだよ。大体、礼愛がいるのが一番おかしいじゃない」

 穂村礼愛は生まれてから十三年で死んだ。

「何も変じゃないさ」

「変だよ。だって私が殺したんだから」

 礼愛が息を引き取る瞬間を見た。差し伸べた手を、彼女は握り返さなかった。ただ、薄く笑っていた。今みたいに、少し呆けたようなそんな、憎たらしい笑顔で。

「あはは、葉が人殺しなんてできるわけないでしょ」

「私が殺したの」

「違う。あれは、あたしが自分で死んだのさ。自殺よ。自殺」

「違う! 私のせいなの。全部、私が悪かったの」

「葉は何も悪くないさ」

「あの時、私が礼愛のこともっと考えてあげられたら……、私は自分のことばっかで、礼ちゃんのこと何にも見てなかった。礼ちゃんいつも優しかったのに……、それなのに私は」

「葉……」

 と礼愛は切なそうな顔をする。見渡す限りの真っ赤な世界。空も地面も赤い。赤、以外に色が存在しないみたいに、どこまでもが血の色。匂いまでもが生々しい、そんな感じがする。あの日から、その匂いが忘れられない。だから、マスクが手放せない。マスクをつけても、変わらない。気休めだ。それでも、そうせざるにはいられない。

「葉。もう、自由になって。ごめん。あたしのせいだね。葉を苦しめた」

「何で? 何でそんなこと言うの。あの日だって、私が……、傷つけたのに」

「一方的だったのはあたしだから」

「でも、その気持ちに応えてあげられなかった私がいた。私がうんってうなづいたなら、礼ちゃんはきっと死ななかった」

「どうでしょう、か」

「ごめん。ごめんね、礼ちゃん。ほんとにごめん。謝っても謝りきれないくらい、ほんとにほんとに、ほんとに……」

 膝をついて頭を下げる。大粒の涙は地面に落ちる。その涙までもが外気に触れた瞬間に、赤く染まる。まるで血液のように、両眼から赤い涙がぼたぼたと流れた。気がつくと顔が赤だらけ。鮮血の味がした。血の涙が口に入って、鉄っぽくて生臭い、生命の力を感じる。私は生きている。彼女は死んだのに、生きている。それは、心の枷となって葉を生きづらくした。

「いいさ。顔を上げて、葉ちゃん」

「ごめんごめんごめんごめん、私……、あのころはそんなこと……、考えられなかった。だから、あんなに傷つけて……」

「辛い思いをさせたね」と礼愛は葉の頬に手をやる。「もう、いいのさ。ほら、おいで」と礼愛の顔を自分に向けさせる。やわらかい手。死んでいるとは思えない、生温かさ。それは人の温もりそのものだ。

「これからはずっと一緒さ」と礼愛は軽快に言う。「礼愛……」と葉は真っ赤な瞳で彼女を見る。「葉」と礼愛も見つめる。大きくて純粋な丸い瞳。淀み一つなく、誰からも愛される彼女の顔が羨ましかった。礼愛は美人で明るくて、男の子からも女の子からも人気があった。男の子からは何回も告白されていたし、同性の間でも、礼愛の悪口はタブーだった。礼愛は裏表がないし、誰にでも分け隔て無くて、懐も大きかった。

 そんな彼女が、

「羨ましかった。私、ずっと」

 近づくと甘い匂いがした。同性から見ても素敵。憂いを帯びた瞳や唇に、時々、どきんとすることがあった。そんなわけがないと思いつつ、時折、艶やかに見つめる視線を、意識した。女性らしさ、少女らしさ、様々な物を内包する十三歳の彼女の気持ちが、自分に向けられているとは、あの日までわからなかった。

「葉。愛してる」

 一年生の秋。放課後の屋上で、二人きりになった。秋風に吹かれて黄昏れる。あのころ、二人の間で流行っていた遊び、というか習慣だった。毎日ではないが、ほぼそれに近いくらい、よくやっていた。ただ、屋上に行って風に辺り、空を見て、喋る。それだけのことが、楽しみで安心を感じた。特別な友情。友達と二人で共有する時間は、そこにあるだけで楽しいものだった。だから突然に、振り返った彼女が、葉を抱きしめ、紅潮した顔で鼻息を荒くして、「愛している」と、告白した時は冗談だと思った。「何言ってるのー? 私も愛してる-」とノリを合わせた。抱き合って、そのままキスをした。そんなの遊び。ただのおふざけで、キスをしたと言っても唇をほんの一瞬重ねただけだし、女の子同士、スキンシップの延長の一つだったし、それが本気の告白だったとは夢にも思わなかった。だからその後、礼愛が葉を押し倒して、その麗しい体をまさぐり、なめ回し、自らの欲望を押しつけてきた時、心のそこからびっくりした。目が飛び出るほど。心臓を吐きだしてしまいそうなくらい、気持ちが悪くなった。まだ、気持ちを受けとめたり、理解したり、相手の事を考えたりなんてできるほど、大人じゃなかったし、それは今も同じかもしれないが、とにかくあの時は、ただ、拒絶するしかできなかった。「やめて! 嫌だ! 嫌だ!」と葉は礼愛を遠ざけて、寂しそうに自分を見つめる彼女に振り返ることもなく、その場から走り去った。

 そしてその数日後、再び屋上に呼びだされた時、礼愛は何も言わず、ただ笑って、地上に堕ちた。

 差し伸べた手を、つかむこともなく、葉の声だけが響いた。


「愛してる。愛してる」

 と礼愛は葉に言う。肩に手を回し、恋人のように見つめる。「ごめん、ごめんね。ごめん」と葉は顔を血で真っ赤にしながら言う。これまでの苦しみを吐きだすような、そんな時間。「ごめんね」同じ言葉しか言えない。それしかないのだ。ただ謝罪したい。本当に大切な友達だったから。他にはない。だから、今ここで彼女の気持ちに応えたい。そうすることで救われる気がする。

「愛してる」と礼愛は葉のマスクを外す。美しい顔。もう隠すこともないあるがままの唇に、礼愛はキスをする。葉は抵抗せずに静かに受けいれる。これは贖罪。自分の罪は消えない。だけれど、成仏する前に彼女の気持ちに応えなければ、きっと礼愛の魂が永遠に報われない。

 少女の瑞々しいリップの感触。初めてじゃない。前にも体験済みのこと。お互いの想いを交換し合って、生命力に変える。それが愛。そう。これが愛。これでいいんだ、と葉は思った。


「愛してる」と何度も呟きながら礼愛は葉を抱きしめる。「愛してる」「愛してる」「あいしてる」

――ア゛§イ゛シ†テル∮

 声が突然に、ノイズ混じりの音に変わる。「え?」と葉は一瞬、我に返るが、もう手遅れだった。

――アヴ§アイジェェウ†

 葉が一度瞬きをすると、そこにはもう穂村礼愛は居なかった。目にした物。それは全身を真っ赤に膨張させたバケモノだった。

「あう゛、あ」

 その見た目は喩えるなら内蔵。生々しい肉界が人間のサイズとなり、さらに全身には口とも目とも言える穴を無数に点在する。

「あ……う゛」

 葉はあまりの驚きに声が出せない。礼愛が一瞬にしてバケモノになったショックよりも、その眼下に存在するバケモノに今、抱きしめられ、見つめ合っている、ということに、葉は震え上がった。

――ア゛§イ゛シ†テル∮

「あう゛あ」

 バケモノには手も足もなかった。代わりに触手のような細長いものがついており、その役割を担うのかもしれなかったが、そんなことはどうでもよかった。バケモノの全身には、穴があった。その穴の中には人間の歯と同じ形をしたものがついており、口、なのかも知れないが、しかし、その奥には人間の眼球、と瓜二つのものもついており、目なのか口なのか判別できなかった。そして、それを冷静に分析する余裕も、葉にはない。

――ア゛§イ゛シ†テル∮

 とバケモノは触手で葉を抱きしめ、どれが顔なのかわからない自らへ強制的に引き寄せ、見つめ合わせる。そして、声にならない声で、あいしてる、とささやき続ける。

 これは、悪い夢だ。そうだ。夢だ。夢なんだ。と葉は現実逃避する。この空間の意味も、礼愛が居たという奇跡も、今、存在するバケモノについても、もう思考する気力は無かった。何がどうなって、この状況に急変したのか、全てから逃避する。全てが悪い夢。「もう、いや」葉は目を閉じた。目を閉じていれば、きっといつか覚める。しかし、夢は覚めない。そこに自分が存在する限り、それは夢ではなく現実なのだから。

――ア゛∮§&‡†∮。

 もはやほとんど聞き取れなくなった声で、バケモノは叫んだ。

「いやぁぁぁぁぁぁ!」

 と葉も叫んだ。

――ア゛§ヴアァァァァ―――†∮

 それに呼応するようにバケモノはうなり声を上げた。するとどうだろう。葉が体に違和感を感じ目を開けると、そこにはもう葉が知っているバケモノは居なかった。

 さらなるバケモノがいた。

 巨大なバケモノ。

 まるで学校の校舎や体育館と同じくらいの体長を誇る、理解不能な内蔵のバケモノだ。

「なに、これ」

 巨大化するのに必要だったのか、触手は葉の体から離れ、自由の身になった。しかし、だからどうしたというのだろうか。

 もはやバケモノが叫ぶ声もまったく意味を聞き取れないし、礼愛の面影などどこにもない。これは礼愛ではない。何か違う存在だ。しかし、礼愛はどこにいったのか。どうしてこれが現れたのか、それを考える間もなく、巨大化したその生物は、触手を伸ばして葉を捉えようとしてきた。

「やだ、やだ、やだあっぁぁっぁぁぁぁ!」

 葉は叫んだ。人生で最大の音量だったかもしれない。そして走った。ただ走った。当てもなく、ただ赤い砂漠を必死になって走った。何かを考える余力などなく、ましてや自らの体力や、靴もなく裸足であること、あるいは頭痛や全身の痛みについてなど、今、気にする問題ではなかった。「やだ、やだ、いや、いやだ。やだだだだだあ!」悲鳴、絶叫、怒号、何とでも表現できるが、しかしどれもあてはまらないような声をあげながら、葉は必死に走った。これは逃避。しかし、先ほどの現実逃避とは違う、生きるための勇敢なる逃避である。砂漠は足に疲労を蓄積させる。そもそも、走ったのは学校に行かなくなって以来、一度も無い。葉は体力がない。毎日、部屋にこもってゲームばかりしてきた。たまに外に出ることはあったが、近所のコンビニに行くくらいだった。

 走り始めてすぐに、葉の足は限界を迎え、地面に堕落する。「痛い、やだ、死にたくない、。やだ、恐い、いやあああ」ともはや、文脈も崩壊し、ただ、心から溢れる言葉を羅列する。普段の葉からは考えられない素直さである。

――ア゛§ヴアァァァァ―――†∮

 とバケモノは葉へ触手を伸ばす。葉が走った距離は一キロにも満たない。バケモノは動く必要も無い。触手だけを伸ばす。

 そもそもあれが歩けるのかどうかすらわからない。そもそもこのバケモノは何なのか。そのヒントもない。

「いや、いや、いやぁぁぁぁだあああ」

 葉は抵抗する。必死に手で触手を払いのける。喧嘩なんてしたことがないし、本気で人を殴ったこともない。水仕事もしないし、勉強もしない。ずっと部屋にいてゲームとパソコン、あとは漫画を読むくらいしかしてこなかった手。白くて透明で、そして小さくてか弱いその手で、必死な抵抗を見せる。けれど、それを滑稽だと嘲笑うそぶりすら見せず、触手が葉を捉えた。真っ赤に腫れ上がり、とても醜悪で気持ちが悪いその触手は、しかし、捕まえられるとどこか懐かしくて、温かくて、安心する感触がした。それは錯覚だったのかもしれない。いや、それこそが現実逃避であり、死へ向かう準備の可能性もあった。

 触手は葉を捉えると自らの最も高い場所へ、葉を運んだ。その高さは十メートルを超える。大変な高さだが、葉はもう、そのくらいでは悲鳴をあげることもない。必死な抵抗をみせたが、もはやそれすらも意味が無い、と判断したのか、何もせずただ、ぐったりとしている。

「あれは、何だ。口か、何だ」

 最長部に合ったのは、巨大な穴だった。口も目ともとれるその穴は、バケモノの体中に存在する。そのひとつひとつは、人間の目や口と大差ない大きさだったが、最長部にあった穴は自動車一台分くらいの大きさを誇っていた。そこが見るからに本体、中心と思えた。

――ア゛§ヴアァァァァ―――†∮

 穴の奥から、巨大な瞳が葉を見つめている。

「何だよ、このやろ-」

 と汚い言葉を葉は吐いた。自暴自棄か、あるいは勇者に目覚めたのかはわからない。

――§アァァァァ―――†††∮

「お前は、誰だ、何なんだよ。私を殺すの?」

――ア゛∮§&‡†∮

「殺すなら殺してみろよ。もういいよ。好きにすればいい」

――ア゛∮§&‡†∮

「あー、つまんない人生だった」

 葉は目を閉じる。触手が動くのがわかる。食べられるのだろう、と葉は思う。あの口とも目ともとれる穴へ、ゆっくり移動していく。走馬燈のように、様々な事が思い起こされる。生まれた時のこと。お母さんの子宮から外界へ出た時のことが、鮮明な記憶として思い起こされた。「へー、こんなだったんだ」と葉は心で思う。葉からしたらそれは初めて見た記憶だったのだ。若かりし母。そして父親。学校に行かなくなってから、両親は葉にあまり関心が無い様子だった。学校に行け、とも、病院へ行け、とも言わず、ただ機械的に小遣いだけをくれた。ご飯は自分でコンビニなどで買いだめして、一人で食べた。お金をくれるだけまし、とネットの友達からは言われた。そうなのかもしれない。自分は恵まれている方なのかもしれない。けれども、本当に欲しかったのはお金ではなかった。

「お母さん……、お父さん」

 しかし、自分は売られたのだ。あの白衣が言ったことが本当かどうかはわからない。この事態がいったい何なのか、未だにわからない。しかし、この生々しさは、夢ではないと思う。ドッキリでも無いと思う。確かにここに何かが存在しているという実感があるのだ。だからこそ、あの白衣が言った言葉が、本当なのかもしれないと薄々、感じている。やっぱり、愛されてなかった。自分は、捨てられた。そのことが、これから死ぬということより、葉は辛かった。

「私も、愛されたかったよ」

――ア゛∮§&‡†∮

「何だよ」

――ア゛イシテル

「そう? ありがとう。バケモノ」

――「あいしてる」

 走馬燈が続く。今度は礼愛の姿が浮かんだ。あの屋上の日も、それ以外の他愛のない日々も、葉にとってはかけがえのない大切な毎日だった。

 礼愛がくれたあの言葉も、二人で過ごした時間も、あまりにも特別な物だったからこそ、葉は傷ついた。「あいしてる」そのたった五文字は、葉が最も渇望していたものであったけれど、両親からあまり愛されなかったが故に、その扱い方がわからなかった。だから、失敗した。

「やっぱり、礼愛なの?」

 反応はない。内蔵が巨大化したようなそのバケモノは、見るに耐えない。けれど、葉が求めてきた愛を、真っ直ぐに向けてくれる。穂村礼愛と同じように。

「礼愛、私は死んだの? それともまだ生きてるの?」

 ここは地獄か天国か、問いかける。それは彼女に訊く、というよりも自らに問うという感じだった。しかし、答えは出ていた。この痛み、この心深くをえぐるような感覚は、絶対に死人には起こらないことだ。自分は生きている。生きているから傷つくし、生きているから苦しい。死んでしまえば楽だ。全てが楽になる。死んだことはないが、そういうものだと思う。なぜなら死とは、良くも悪くも全てを強制的に終了させるものだから。ゲームオーバーかハッピーエンドか、それは選べなくとも、少なくともまだ私は死んでいない。何も、終わっていないから。いや、まだ始まってすらもいないから。

葉は何かを悟る。いや、それはずっと前から本当は分かっていたことだ。

「私は愛されたかった。だから、きっと礼愛に固執してきたんだよ」

――ア゛∮§&‡†

――「葉……?」

 とバケモノの声に混じって、礼愛の声が聞こえた。

「だって私のことを愛してくれたのは、礼愛だけだったから。私のせいって自分を責めることで、礼愛を側に感じることが出来たの」

「葉は優しいな」

「でも、だめだよね」

「葉」

「本当は分かってた。礼愛は死んだ。死んだのに、そんな礼愛にすがっていたら、どこにも行けないって」

 葉はずっと寂しかった。小さい頃は孤独しか知らなかった。だからそれが全てだと思っていた。だから、生きていけた。けれど礼愛を知った。礼愛と、二人の時間を知った。満たされる感覚を知った。そうして初めて、孤独の本当の意味を知った。だから礼愛を失って、深く落ちこんだ。昔ならひとりで居られたのに、今はもう無理。ひとりでは生きていけない。だから、礼愛を想いつづけることで、心の地盤が沈まないように保ってきた。けれど、それではいつか沈む。何より、前へ進むことが出来ない。

「礼愛。ほんとにごめん。でも、私は礼愛をまた殺してでも、どこかに行かないといけないんだ」

「そう。寂しくない?」

「大丈夫だよ。だって私の中には、礼ちゃんと過ごした思い出が、こんなにたくさんあるんだから」

 胸のなかには溢れ出しそうな程の輝いた思い出がある。それは、忘れることがないし、永遠に葉の側に居続ける。だから、強くなれる。もう弱くない。

「頑張れる。だから、礼ちゃんを殺す」

「そうか。またフラれちゃったね」

「ごめん」

「謝るな」

「えへへ、怒られちゃった」

「怒るよ。バカ」

「うん。そうだね」

「そうそう」

「でも、これでさよならだね」

「頑張って」

「ばいばい。礼ちゃん」

「ばいばい、葉ちゃん」

 すがっていては、未来へ進めない。だから葉は決意する。礼愛のことを捨て去り、自分の道を歩んでいくことを心に決めた。

 葉は目を開ける。

――ア゛∮§&‡†∮

 バケモノの口、あるいは目ともいえる穴に触手が近づく。葉は目を見開き、何かを悟ったように手を構える。

「私は戦う」

 触手が穴に吸い込まれる刹那、体を縛り付けていた力が弱まった。

「わぁああああああ!」

 葉は触手から抜けだして飛びあがる。そして全生命力をこめた右腕を高々とかざした。すると不思議なことに、その右腕からは光とも太陽ともいえる奇跡が溢れだした。まばゆいばかりに輝いたその右手を一振りすると、雷鳴よりも速い鋭さで穴を切り裂いた。

――ア゛―――ーー∮§&‡――――――†∮

 バケモノは声にならない声をあげて、大量の触手を持って葉を捉えようとしてきた。葉はその輝いた右腕という名刀を持って触手を切り裂くが、いかんせん数が多く、全てを打破することはできなかった。触手に右腕が捉えられ、葉は宙づりになった。

 得体の知れない輝いた力も、効力が消えた。その力の反動なのか、右腕から出血し、ところどころ感覚が無い。

 返り血というべきなのか、赤い液体が葉の体中に付着している。無我夢中で切り裂いたバケモノの触手は数百、あるいは数千を超えるが、その残骸は見るも無惨で、そしてとても残虐だった。このバケモノが生物であるなら、おそらく血液、であろう真っ赤な液体が切り口から溢れだし、あの白衣に殺された少年少女のように噴水となっている。一太刀を浴びせたあの巨大な穴からは特に大きな湧き水が沸いている。やはり、あの穴が弱点なのだ。もう一太刀浴びせることが出来たなら、こいつを殺すことが出来る。葉は雑念を全て忘れた。今はただ、生きるため、戦うしかないのだ。

「ああああああああああ」

 激しく捕まれている右腕がある限り、逃げだせない。そしてやがてバケモノも回復し、自分を殺すだろう。

 それなら。

 右腕を捨てれば良い。

 葉は全力を持って、右腕に噛み付いた。自らの腕。既に感覚も無く、ボロボロになったその腕よりも、命が欲しかった。

「ああああああああああ」

 と一心不乱に噛み付くと、右腕はあっけなく外れた。二の腕の辺りから、ミシミシと音を立てて、千切れた。

 そのまま、葉は落下する。巨大な穴。赤い噴水である。再び先ほどのように意識を集中する。もう光は現れない。しかし、そんなものはもう必要が無かった。

 葉は落下する力をそのまま攻撃手段へと変えた。頭からその穴の中にある眼球へと突進し、最後の一撃を加えた。

「またね。礼ちゃん」

――――ヴァッカカカカカカアゴゴゴゴン。

 と音がした。

 風船が破裂するみたいに、それは爆発した。火の粉はあがらずに、ただ赤い花火が舞った。

 葉は気を失った。



「はぁはぁ」

 気がつくと葉は立っていた。

 何も無かったみたいに。眼下にはバケモノの残骸が一つも存在しなかった。ただ空から赤い雨が降り注いでいる。

 右腕はなかった。大量の出血があるのだろうが、体中が赤く濡れているため、わからない。痛い、とても痛い。しかし、もうそんな痛み、気にすることもなかった。

「あぐ……」

 葉は倒れた。

 葉は勝者になった。

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