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ephemeralfriend  作者: 葵栞
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 目が覚めた。頭が痛い。変わらない頭痛は、もしもハンマーがあれば頭をかち割りたくなるような、そんな気持ち悪さを感じた。胸が痛くて、呼吸が苦しいし、何だか、全身も痛い。その理由は、葉にはよくわからなかった。とにかく、痛くて苦しい。マスクはちゃんとつけているのに、変わらない。

 ここはどこだろう、と葉は無意識で疑問を感じたのだが、そんなものはすぐに痛みにかき消された。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃいいい」

 しばらくは痛みに悶え、そこら中を転げ回った。転げ回る床は存在した。温度は冷たくも温かくもなく、固さは学校の廊下くらいだった。何分、転げ回ったのか、葉はわからない。しかし、その激痛に耐えて、痛みのピークをやり過ごした後、葉はやっと思考ができるようになった。

 そこは、見渡す限りの夜だった。床も壁も空も、全てが真っ暗闇で、何もかもを飲み込んでしまうような薄気味悪い黒である。しかし、吸い込まれはしない。ここに自分がいることが何よりの証明だ。

 夜の遠く向こうに、僅かに灯る光があった。それが何なのか。電気なのか、外の光なのかはわからない。しかし葉には太陽のように見えた。煌々と輝く朝の陽。とてもとても遠い、明日の話しである。その僅かばかりに届く光によって、空間の全体像が何となく見えた。

 ここは、何だろう、と思い、考えるが良い答えは浮かばない。ともかく、ここでじっとしていても仕方がない。ひとまず、見て聞いて触るのは、人間の性である。葉は冒険者になった。立ち上がり、周囲を歩いた。歩いた、と言っても、自分がいた場所から、後方へほんの数歩である。そこに行き止まりがあることは、わかっていた。真っ黒くて得体の知れない生命力を感じる障壁だ。向かいあって、両手を伸ばすと、そこにも壁がある。つまり葉の身長+両手くらいの幅だ。

 太陽の方角から、反対に進むと壁があり、そこに垂直に二面の壁がある。つまりは、ここは細長い長方形みたいな空間ということである。そして、奥の方に明るく輝く何かがある。

 しかし、それがわかったから、といって何かが変わるわけでもない。進展はゼロだ。

「ここは、何だろう」

 と葉は呟いた。何もかもが、理解できない。そして、恐い。不安で、心細い。

「やだ、やだ」

 葉は感情表現が苦手だ。「自己主張がない」と小さい頃からよく言われた。

「笑顔はどこかに忘れた。涙は、最初から持っていなかった。怒りも悲しみも喜びも、無縁だった」と葉は語るが、それは自己弁護と逃避でしかなかった。本音では、笑いたい時も、泣きたい時も、イライラすることも、怒ることもあった。けれど、人にどう思われるかが恐くて、自分の言いたいことを言えなかった。自分やその感情に、自信が無かった。それ故に何もかもを溜め込んでしまい、精神的に不安定だった。

 そんな時、助けてくれた友達がいた。

 穂村礼愛。

 けれど、彼女は死んでしまった。明るい子だった。唯一の友達で、親友で、家族よりも大切な存在だった。

 感情を上手く表現できない葉に、いつも声をかけて、外に導いてくれたのは礼愛だった。

 礼愛の命は前回のさくらが散った頃、枯れた。枯らした犯人は自分、と、葉は思っている。

「私が礼愛を殺した」

 その自責の念が、葉を社会から遠ざけた理由でもあったし、前にも増して不安定になった。

 葉は自分のことが嫌いだった。変わりたくて、変われず、それでも何者かになりたくて、ずっと苦悩し戦ってきた。

「助けて! 誰かあぁぁ! おねがい!」

 と葉は叫んだ。情けない自分を見せることへの羞恥心は、今はない。己を世界から遠ざけてきたプライドも、どこかに忘れた。取りもどす術も今はない。そんなことより、生きることに必死だ。

「やだやだ、こんなところで、死にたく……、ないよ!」

 ここに来て、まだ髪は1ミリも伸びていない。

「礼愛……」

 葉は亡き友達にすがろうとする。そうすることで、葉は辛い現実と少しだけ向き合うことが出来る。気持ちに素直になり、感情を現にする。それは一時的なものだった。非日常が、葉を運命と立ち向かわせた。

 今は自分を擁護することができない。

「助けて、礼愛」

 と呟く。けれど、そうしたところで、ここには誰も居ない。ひとりぼっちだ。

「向こうに行くしかない、よね?」

 と礼愛に訊くように問いかける。想像の友達を頼りにしてでも、生きなければならない。

 生きろ、という本能には従順。葉は誰よりも純粋で、希望に満ちている。中学校から逃げだしたのは、よりよい幸福をつかむためである。そんな人間が、今、ここで、死をただ待つことなどできるはずがない。

「そう、だよね?」

 葉は不安げに決意する。やるしかないのである。幸いにも灯りはあり、そこへ向かえば何かしらが見つかる、という予感にも近い確信があった。道が見えている。向かうべき方角ははっきりしていた。

「行く、しかない」

 と葉は進む。ゆっくりと、まるで牛が引く車のように、太陽に向かって歩きだす。体は震えている。葉は元来、勇敢なタイプではない。引っ込み思案で、臆病だ。しかし、非日常と生存本能が葉を駆り立てた。

「私……」

 葉は礼愛を思い出す。そして先ほどの、ピンクの髪留めをつけた彼女を思い出す。名前も知らない女の子。でも、どういうわけかあの子と、礼愛を重ねてしまう。顔はあまり似ていなかった。礼愛は髪留めを余りつけない人だったし、性格も力強いタイプだった。あんな時、力なく涙するのではなく、全力で前へ進み、最後まで諦めないような根性もあった。

 どうして思い出したのかはわからなかった。そしてすぐに忘れた。



 一歩、一歩、葉は太陽に向かって歩いた。煌々としている灯り。電気には見えないし、炎にも見えない。なんだろう。わからない。でも、行くしかないと思った。体を蝕んでいた痛みは、やってこない。一歩ずつ歩いて、どれくらい経ったかわからない。体内時計は、自堕落な生活をしていたせいか、機能していない。体感では、とてもとても長かった。

 ぺた、ぺた、と歩く度に足音がした。葉は裸足であることに歩きだすまで気がつかなかった。寝ているところを、きっと連れてこられたんだと思った。しかし、寝た記憶は無い。ゲームをしていた記憶が思いだせる最後だ。未だに、それからのことは思いだせない。でも、あの白衣が言うことが本当だったら、どうしようと思う。親に売られた。捨てられた。そんなことが今の日本で出来るはずがないと思うのだが、しかし、私が知らない内にそういう法律が出来たのかも知れない。そもそも、これは法律とか関係ない”裏”の世界なのかも知れないし、実はただのドッキリ、あるいは何てことない、夢、なのかも知れなかった。葉は徐々に、思考する余裕が出てきた。恐い。けれど、今、何か危害を加えられそうな予感はしないのだ。

「これは、何だろう。明るい」

 そうこうするうち、正体不明の灯りに辿り着いた。

「太陽、みたい」

 温かい熱を感じる。とても優しい。近づくと、不安をかき消してくれるようなそんな母性を伴っている。近くで見ると、それは丸い窓のような物であり、どうやらその向こう側から光が射し込んでいる様子だった。窓にはガラスはない。大きさは葉の背丈の半分くらい。遮るものは無く、吹きぬけだった。このまま足を伸ばせば、向こう側へ行けそうである。そこの風景は眩しくて見えないが。

――ヴゥィィィィン、ヴゥィィィィン。

 と突然に、音がした。サイレンのような音だ。

「え? 何?」と声をあげるが、音は機械的に響く。「10秒前……」と今度は言葉になった。声は女性の声だがこれも機械的だ。「9……、8……」とカウントダウンが始まる。「何? 何なの。やだ、恐い、恐いよぉぉ。誰か助けてえぇぇ!」と葉はうずくまって叫ぶ。「やだ、やだぁぁ、もう、いやぁぁ!」と、葉は弱さを見せ、涙する。「ぐす……、ひっく……、うぁあああ」と泣く。最初はすすり泣き、徐々に喚く。しかし、カウントは止まらない。

「3……、2……」と一方的に進む。「0」と聞こえると、

――バゴォォオォォン。 

と音がする。さっき葉が居た場所の辺りから、激しい爆発音みたいな音が聞こえた。葉はもう不安定極まりない。泣いてばかりいる。しかし、その音のする方へ本能的に目をやる。

「え? 壁……、動いて……、るの」

 薄暗い空間。それでも、さっき葉が行った突き当たりの壁が、こちらに向かってきているのがわかった。それは高速ではない。しかし着実に進んできている。このままでは押しつぶされてしまう。あるいは、先ほどの様にあの黒いものに吸い込まれるのかも知れない。どちらにしろ、

「やだあああ! やだ! 来ないで! やだ!」

 と手をつきだして静止のポーズを取る。しかしそんなことに意味は無いが、葉は錯乱している。

「どうしたらいいの、何なの!」

 もう何もかもがわからない。死んでしまえば良い。そうだ、いっそ死んじゃえば楽だ。もういい。消え去りたい。

 全てを投げだしたくなる。しかし葉は、死ねない。そんな簡単に死ねるわけがないのだ。

「もういやだ! やだ……、けど、でも」

 壁が迫ってくる。ここに逃げ場はない。このまま居たら死んでしまう。行くしかなかった。

「わぁあああああ」

 と叫びながら葉は、輝いた窓へ飛び込んだ。頭から、思いっきり、全力で、光の方へ。

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