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ephemeralfriend
少女は真っ白な場所で目をさました。
名前は赤羽根葉。葉は辺りを見回すがなにひとつ物がなかった。どこまで広がるのか、分からない位に広大な空間。ここは一体どこなのか。どうしてこんなところにいるのか。まったくわからない。とにかく全てがまるで白紙のように真っ白に染まり、鈍く光っている。
物は無いが、人は居る。葉の周辺には同年代くらいの男女が幾人も居る。ざっと見て一クラス分くらいは居る感じだ。葉は一四歳。最近、中学校に行ってないので、同世代の人間と同じ空間にいるのは久々だった。
葉はどうしてここにいるのかを考える。眠る前の記憶。最も最近の記憶は、家でネットゲームをしていた記憶だった。いわゆるMMOというジャンルのネットゲームに最近は入り浸っている。別に面白いわけじゃない。でも、家に引きこもってばかりだと人間が恋しくなって、誰かと話がしたかった。ただそれだけだった。
葉は最近、不登校がちだった。理由はいろいろあった。いじめ、というほどじゃないが、嫌がらせをしてくる友達はいたし、横一列でみんな同じ行動を取らないといけない中学校の空気にも嫌気がさしていた。
自分の部屋でゲームをしていたのに、どうしてこんなところにいるのか、記憶にはヒントがなかった。その後の記憶は、ぼんやりとしていて、何だかハッキリ思いだせない。辺りを見渡していると、頭痛がした。強烈な頭痛だ。最近、よくある頭痛だ。目が覚めると、頭が凄く痛い。破裂しそうだ。置き薬の頭痛薬を飲むとよく効くので重宝しているが、今手元にはない。思わずマスクを取って息を吸った。葉はマスクが手放せない。寝ている時も起きている時も、いつも白い医療用マスクをつけている。マスクをつけていると、頭痛が治まる感じがするからだ。
不意に我に返るとパジャマ一枚である事に気が付いた。
恥ずかしい、という感覚は遅れてやってきた。
「あわっ」
と葉は慌てて胸のボタンがはだけているのに気づきボタンを閉めなおした。誰も葉のことは見ていない。みんな、何が何だかわからず動揺している感じだ。それでも、ひきこもりの葉は、人間がたくさん居るこの空間で、自意識を制御するのに困ってしまった。
―――-†♭♯‡§∮。
音がした。
この世のものとは思えない言葉で表現するのが難しい音だ。重低音のようでもあるし、超音波のように甲高い音でもある。不思議な音だった。
音は辺り一面から葉を包むように聞こえた。頭痛が激しくなった。「痛い!」と思わず目を閉じた。
コンマ何秒かそれ以上か経ち、また目を開けると眼下にドアが現れた。
果ての無い真っ白い地平線の中に、ドアが魔法のように突然に現れた。光も闇もなく、ただそこに存在していた。「え?」と驚くと、ドアが無機質に開いた。ドアノブがついている。普通のドア。色はシルバー。ドアが開かれると、奥から白い白衣を着たそれと、黒いそれが歩いてきた。形は人間のようでもあるし、そうじゃないようにも見える。白衣のそれには足が有り、手もある。顔もある感じだが、顔の周りは黒い靄みたいな物がかかっていて、よくわからない。黒いそれは全身がその靄みたいな物で覆われていて、足があるのかもわからない。でも、白衣の方に手足があるから、こっちもそうじゃないかなって無意識的に思った。
彼らがドアの向こうからやってくると、葉が瞬きした刹那にドアが音もなく消滅し、その次の瞬きの後には、白衣たちは葉の目の前に現れていた。
「え? あれ?」と葉は驚いた。周りに居る人間たちもそれぞれ思い思いの声をあげている。何だか不思議なことばかりが起こっているが、葉は夢をみているような感覚になって、恐怖はあまりなかった。とにかく理解できないことばかりだ。
「さて、諸君らに訊きたい。諸君らは生きていていいのか」
と白衣のそれが口を開いた。しかし口は見えない。声だけがまるで頭に直接響くように聞こえてくる。
「生きていて良いわけがないな。ゴミだ。ゴミクズ!」
と、強い感情を持って語気を強めた。それにはハッキリとした意思を感じた。まるで人間のような強い、想いである。葉は何となくそれに親近感を感じた。つまりはそれは人間だろうということである。
「クズクズクズクズ! 貴様らはゴミだ。不登校、ひきこもり、ニート、非行、学校に適応できず、家族からも見捨てられ、社会から必要とされないゴミクズだ!」
「あぐ」
葉は言葉にならない声を発した。どこかをえぐられた様な感じがするが、それがどこなのかわからなかった。
「ここは何ですか。あなたは誰ですか」
と、同年代らしい男が言った。葉と一緒にこの周辺に居た少年だ。やはりというか、葉と同じような状況らしい。
「家に帰らせてください」
彼の言葉は酷く冷静で、淡々としていた。
「答える義理はない。義務もないし、意味も無い」
「何か知らないですけど、この変な場所、あれですか? TVとかそういう感じですか? あの、何でもいいですけど、だるいんで俺は抜けたいんですが」
「そうか、わかった」
と白衣のそれが言うと、葉が瞬きしたその次にはそれの手元にはピストルが握られていて、
――バァァwグヴアァァアンン
という音が刹那に響くと、少年は頭から血を吹き上げながら、床に倒れた。床に倒れたが、その音はしなかった。ガタンともバタンともしなかった。ただ、倒れた。それは不思議なことだったが、それを感じ取る余裕は葉にはなかった。少年の頭には親指一つくらいの穴が空いて、そこから噴水のように赤い水が沸き上がっている。重力を無視し、直角に沸いている。
「え?」
葉はその銃撃の音が残響する間、何が起こったのか理解できなかった。いや、頭では理解していても、心が追いつかなかった。それでも、残響がおさまり、誰かが、「きゃあーあーあーーあーあ」という悲鳴をあげた時、我に返ったように恐怖がやってきた。それは、一瞬だった。
少年は死んだ。
殺されたのだ。今、頭を撃ち抜かれて死んだのである。
――ぎゃああきゃああうわぁわうぇえわああ。
祭りのような大騒ぎになった。みんなが声をあげ、魂を持って叫び、逃げ惑った。できるだけ遠くへ。後ろに横に。走りだした。そこに居た全員が全員、十人十色の格好をしていた。学校の制服を着ていたり、お洒落な洋服を着ていたり、靴を履いていたり履いていなかったり、裸の人も居た。ただ、走りだす時の顔はみんな同じ。葉は不思議と、その表情に安堵を覚えた。みんなと一緒。みんなと同じ。学校に行かなくなった後、葉は世間から阻害された感覚になった。横一列の行動が嫌いで、中学校に行かなくなったのに、いざ辞めてみたら、社会のレールから大きくそれていることが酷く不安で、孤独だった。だから、今ここで、みんなと同じ感覚を感じ、同じ行動を取ることがとても嬉しかった。
「何で? なんで? 行き止まり? え? どうして」
とピンクの髪留めをつけた少女が言った。見渡す限り広大に見える空間だったが、白衣のそれから真後ろに走ってみると、ほんの数秒も経たず壁に当たった。壁、とは言うが壁は見えない。まるで透明な壁とでもいうべきか、見えないのに進むことが出来ず、何か得体の知れないバリアーみたいな障壁に行く手を遮られている。後ろ以外に進んだ人間たちも、同じだった。縦横を含めて、ざっと見てこの場所は学校の体育館くらいの大きさに違いなかった。
――あう゛ああきゃあわああ。
泣き叫ぶ声や悲鳴が混ざり合って変な声がする。普通なら耳障りな声。けれど葉は、この十二ヶ月とほんの少しの間で、最も居心地の良さを感じた。こんな状況でそんな安堵を感じるなんて頭がおかしい、と自分で思ったが、それでもいいやと思い、少し口角があがった。
「貴様らは、ゴミ。虫。この世界に必要とされないカスは、処分する必要がある。ここは人間廃棄場。ゴミ工場だ」
頭に声が響く。何重にもフィルターを通した様な、変な声だ。人間のそれ、とは違う音だが、言葉は聞き取ることが出来る。
「貴様たちは、売られた。それぞれ、親や保護者から、要らない子、として我らに売りに出された。その命は、一人当たり、大体、百万円くらいだ」
「そんなのありえない!」
と、メガネをかけた少女が叫んだ。ポニーテールの黒髪。制服は、黒いロングスカートで、胸元にぴっしりとネクタイをしている。どこの学校かは知らないが、頭がよさそうだった。
「私たちにだって権利があるの。これは人権侵害、犯罪よ」
そうなのか、と葉は思った。葉は学校に行っていないので、法律とか言われてもぴんとこない。
「黙れ黙れだ稀だまれええ! ゴミがしゃべるな! カスはカスらしく市ね! しね! 死んでしまえええええ!!!!」
と、白衣はまた、突然に語気を荒げて、これもまた同じように突然、出現したピストルの引き金を引いた。今度は銃声が響かなかった。代わりに、少女の断末魔が広く響き渡った。仰向けに倒れた肉体の真ん中から、赤い噴水が再び沸きだした。そういえば、さっき倒れた少年はどうなったんだろうと、少年の死体の方へ視線を送ると、そんなものはどこにもなかった。あれ? と思ったが、深く考える時間は無かった。頭に、音がまた響いたからである。
「シネし寝死ねシネしね! おまえら全員死んでしまえ! カスはここで俺様がぶち殺してやる! ころしてやるうぅぅ!!!」
人格が変わったみたいな口調。音も、フィルターがなくなったように普通の人間の声色だ。中年の男性のような、少し枯れた声である。
「やだ……、死にたく……、ない」
と、隣にいる少女が小声で言った。さっきから泣いているピンクの髪留めをつけた少女だ。葉は、どうしたらいいのかと考えるが、名案はうかばない。
「だがしかし、貴様ら、ゴミにチャンスをやろう。生きるチャンスだ」
「チャンス?」
と葉はぼそりと言った。聞き返すというよりも、自問自答するような言葉だ。その声はマスクに吸収され、誰にも聞こえなかった。
「戦え。戦って戦って、戦うのだ。わかったか、カス共」
「こんななら……、学校に行けば……、よかった」
と髪留めの少女が呟いた。私と同じなんだな、と葉は思った。きっとここに居る子たちはみんな、私と同じように学校に行ってなかったり、ひきこもってたりしていて、どういうわけかこんなところに連れてこられたのだ。だから、ある意味では仲間だし、わたしの気持ちに共感してくれる人たちなんだ。と葉は思った。
「さあ、戦いの時だ。集え、勇者たちよ」
と音が脳に響くと、白衣のそれの顔にある黒い靄が姿を変え、辺り一面を覆う闇へと変貌した。真っ白だった空も壁も床も、突然に真っ黒い夜へと姿を変えた。
白衣はそこから動かない。代わりに、隣に居たいくつかの黒いそれたちが、これまでの沈黙が嘘のように動きだし、丸い球体になって葉たちへ襲いかかってきた。
悲鳴がする。叫び声がする。みんなが逃げ惑い、いくばかの希望にすがろうとする。透明な壁を叩いてみたり、目を瞑ってみたり、床に自分の頭を何度もぶつけてみたり、手を合わせて祈ってみたり、葉はそのどれもが素晴らしいものに見えた。
「みんなと一緒だ」
みんな死ぬ。一緒に死ぬ。同じように死ぬ。学校という共同体からはぐれてしまった葉にとって、もっとも渇望していたのはその、みんなと同じである、という感覚だ。この場に居るみんなは、自分と同じような人たちであり、仲間であり、感じている気持ちも同じ。とる行動も、これから辿る運命も同じ。一緒に、ただ一緒にみんなと同じことを出来る。それが、葉はひたすらに嬉しくて、安心が満たしていた。
黒い球体は少年少女に当たると、掃除機のように彼らを吸い込んだ。どういう原理なのか。そもそもこれは一体何なのか。ここは何なのか。どうして自分が売り払われたのか。白衣はだれなのか。人間なのか。宇宙人か、なにかの実験。テレビ番組。夢。疑問は山ほどにあった。けれど、もう考えるのが面倒になった。時間は合った。不思議と、球体が自分を捕まえるまでの間が、無限のようにも感じられた。でも、もういいやと思った。
「礼愛、ごめん。これが罰かなぁ。あなたを殺した私への」
葉は、昔死んだ、友達のことを思い出した。
辛い、現実。生きるのが苦しくて、どこにも居場所がない。自分に素直になれなくなったのも、中学校に行けなくなったのも、思えばあの頃からだった。けれど、もう悩むこともない。
満足感と共に、葉は球体に取り込まれた。安らかに目を閉じた。しかし、刹那に激しい頭痛がした。例の慢性化している頭痛である。
痛い。痛くて痛くて痛くて、
「痛いいいいいいいいいいいい!」
体中が痛くなった。頭から、痛みが全身に広がって、やがて心まで届いた。ひきこもり続け凍りついた心臓に、久しぶりに痛みを感じた。
息が苦しい。体が熱い。逃げたい。
痛みが葉の心を犯した。
それは問答無用でやってくる生存本能だ。
【生きろ、生きろ】
と遺伝子や血や脳が葉に訴えかけた。痛み、という言葉を使ってである。
全身を痛めつけられて、葉はようやく、思った。
生きなきゃ、と。




