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「何がハロウィンだ。馬鹿馬鹿しい」
磯崎はそう吐き捨てると、自分の周りに居並ぶ群衆を見回した。
パンプキンを被ったり、魔女のコスプレをしたりしているのはまだ分かる。
だが、アニメキャラのコスプレをしたり、ただ単に露出面積の多い服を着たり。
あるいは大声でばか騒ぎをしたりする。
行進し、うごめく、人の群れ。
それは本来のハロウィンの形ではない。別に磯崎は原理主義者ではなかったが、ハロウィンと称して動きたいだけの奴等に汚されることには違和感があった。
まあ、この土田舎のこと。本当に自分達が必要になることはまずないだろうが……
磯崎はf県警の巡査である。
金曜の5時という時間帯。
本来なら町外れの交番に詰めているところなのだが、今日はハロウィンだというので特別警戒がくだったのだ。
連日報道されている渋谷のハロウィン騒動に煽られ、我が田舎町でも警戒を、という署長のお達しだった。
「ハロウィンなんてくそくらえだ」
警戒に詰めているというだけならまだよかった。この炎天下で騒ぐ群衆を押さえつけるのも警察官としての務めだからだ。
覚悟は出来ていたつもりだった。
だが、今の磯崎の格好はその覚悟からは程遠いものだった。
だぼだぼのパンツに、血の色をした絵の具が散らばる。
視界はすっぽりと茶色い被り物で覆われていた。
パンプキンである。
磯崎は仮装パーティーに興じる人間達を監督するのではなく、むしろ仮装に溶け込むように指示されたのだ。
署長曰く、渋谷のハロウィンでは痴漢や強盗が相次いでいるから、こちらも私服刑事ならぬコスプレ刑事を用意した方がいい、とのこと。
「ふざけるな」
磯崎は毒づいた。ここは渋谷ではない。いくらハロウィンで浮かれ、いつもよりは人通りが多いとはいえ、所詮f県の田舎町だ。
あの大都会のような事態にはなりようがない。
しかし、警察とて公務員。上の言うことには中々逆らえない。
ましてや磯崎のような大学出たての一巡査に、コスプレ命令を拒否することなど出来ようがなかった。
「いえーい」
「キャー!!」
「トリックオアトリート!!」
耳に響く歓喜の声。
それを見慣れた制服の同僚達が必死で押さえつけている。
本来なら、俺もあちら側のはずだったのに……
外れを引いた。
そう思わずにはいられない磯崎だった。
コスプレをした群衆は動き、どよめき、いったりきたり。
秩序という文字を忘れたようにわめいている。
一人が騒げば拡がっていく狂声。
磯崎はその中で溶けるようにして警戒にあたっていた。
こう人が多く、しかも視界が遮られているときては、警戒もなにもあったものではないのだが。
止みそうにないウェーブの中で、磯崎は揺られに揺られる。
体の自由が効かない。
渋谷ほどではないとはいえ、普段閑散とした町なのに、どこからこのコスプレイヤー達は湧いてきたのだろう。
「もう限界だ!!」
コスプレ衣装をかなぐり棄ててしまいたい。
そう思わずにはいられない。
へしあい押し合い、自分の位置も定まらない。
そんな時だった。
叫び声がした。
意味にならない喉の叫び。
それが連続して続く。
それは浮かれた群衆がはじき出す声とは明らかに異質のものだった。
まるで絞り出すかのような声。
すると押しくら饅頭みたいに固まっていた人々の中で、一つの動きがあった。
そこだけ割れたように、くっきりと空間が出来上がる。
磯崎は最初何事が起こったのか分からなかった。
慌ててそちらの方に視線をやる。
人が倒れていた。
騒ぎ立てて疲れたためではない。
それはほとばしる鮮血と、背中に突き刺さったナイフから明らかだった。
「なっ」
呆然としたのは一瞬のことだった。
すぐに警察としての本分を思い出した磯崎はそちらに急いで駆け寄る。
現場では悲鳴が飛びかっていた。
「誰が、誰がこんなことを」
「あいつだ!!あいつがやったんだ!!」
声が指す方に視線を向ける。
見ると、奇しくも磯崎と同じパンプキンの仮装をした人間が、群衆をかき分け立ち去ろうとしているところだった。
「ま、待て!!」
コスプレをかなぐり捨てる時間も惜しく、磯崎はそいつの後を追う。
これでも脚力には自信があった。
「こら!!止まれ!!警察だ!!」
しかし目標は足を緩めることはなく、そのままどんどんと視界から遠ざかっていく。
磯崎も自慢の足で地面を蹴るものの、あちらの方が仮装に慣れているからか、動きが俊敏だった。
遠く離れたところから応援の巡査達が走ってくる。
あいつらを待っている暇はない。
磯崎は全力で急いだ。
体が悲鳴をあげる。
群衆はもはや彼方にあった。
それでも目標のパンプキン野郎は道路の角を曲がると、磯崎の視界から失せてしまった。
「くそっ!!」
磯崎も慌ててカーブを曲がる。
カーブを抜けた先には、三つに別れた道があった。
「どこにいった?」
どちらの道に奴は逃げたんだ?
惑っている時間はない。
そこにも町の中心部ほどではないとはいえ、いくつかの人だまりができていた。
磯崎はそのうちの一人を捕まえると
「カボチャ野郎はどこに逃げた!?」
と聞いた。
いきなり腕を捕まれたその青年は驚いたようだったがそれでもなんとか口を開いて
「ま、真ん中の道に走っていくカボチャなら見たけど」
「そいつだ!!」
そのまま腕を離すと、磯崎は迷いなく三つに別れた道路の内、真ん中の岐路に足を踏み入れた。
再びの全速力。
道なりに並んだ飲食店どもが後景と化している。
やがて。
磯崎は行き止まりにぶつかった。
「はあはあ」
荒い息を吐く。
周りを見渡す。
どこにも、逃げたあの人間の姿はなかった。
どういうことだ?
磯崎は混乱した。
先ほど道を教えた青年が見間違えたのか?
それともー
落ち着け、俺。
磯崎は自分に言い聞かせると、それまで邪魔になっていたコスプレをかなぐり捨てた。
下から警察の制服が顔を出す。
いつもの服装に戻った磯崎は少しほっとした。
それでも追跡を絶やすわけにはいかない。
応援に駆けつけた他の巡査達と共に、さっそく聞き込みに当たった。
古ぼけた飲食店の店主達に詰問する。
彼らは一様に「全速力で走っていくカボチャを見た」と答えた。
「どういうことだ?」
磯崎は眉をひそめた。
三つに別れた岐路の内、下手人がこの道に入り込んだのは彼ら目撃者の言から間違いはない。
だが、あのパンプキン野郎は道の行き止まりにたどり着いても見あたらなかった。
消え失せたのだ。
「馬鹿な……」
磯崎は絶句した。
遠く離れた群衆が「トリックオアトリート!」と叫んでいる。
楽しげな彼らとは裏腹に、磯崎にとっては最悪のハロウィンだった。