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「小説家になれなかった」ぼくたちへ  作者: 百里芳
その一 小説家は「なる」ものではない。 小説家でありつづけることこそが、 小説家としての条件である!
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 才能があるやつなんて、死んじまえばいい。


 ぼくがこんなことを一瞬でも本気で考えたせいだろうか。

 榎本ミヤは、死んだ。

 ミヤがぼくの家に遊びに来る途中、信号無視のトラックに轢かれて即死だった。

 やつが「小説家の命!」と言い張っていた細い指は、車輪に巻き込まれてぐしゃぐしゃになったらしい。


 ミヤと最後に交わした会話は今でもよく覚えている。


「坂口くん! ついに思いついたよ、“最後の10枚”のこと!」


 夏休みが始まってしばらくたった8月4日の朝。ミヤから電話がかかってきた。


「それはよかったね、おめでとう。さすが天才だ。忘れる前に原稿用紙に書いちゃいなよ」

「まだアイディアの段階なの。相棒である坂口くんと話して、はじめて完成するものなんだよ!」


『相棒』

 書いている小説の話をするとき、ミヤは決まってぼくをこう呼んだ。

 ぼくたちは、共同で小説を書いていた。それ以外では特に接点もない、ドライな関係だ。

 ミヤに言わせれば、ぼくらは単なる友達でもなければ、もちろん恋人というわけでもない。互いに助け合って一つの作品をつくるパートナー。

 だから相棒。


「ねえ、ミヤ。いい加減、相棒って呼ぶのやめてくれない?」

「なに言ってるの。ふたりで誓ったでしょ? 最高の“相棒”になるって! 藤子不二雄先生やゆでたまご先生を超える、コンビ小説家ユニットになるって!」

「……藤子不二雄もゆでたまごも漫画家だよ。小説家がどうやって超えるのさ」


 とげとげしい声が出そうになるのを、慌てて軽口でごまかした。

 ぼくは、相棒と呼ばれるのが嫌いだ。中学生にもなって子供っぽいし、ミヤはところかまわず「相棒ー!!」と叫ぶので恥ずかしい。

 何より、そもそもぼくはミヤのパートナーなんかじゃない。

 ぼくには、ミヤとパートナーでいる資格はない。

 ミヤと対等でいられる技量は、ぼくにはないのだ。

 確かに、最初に小説を書いていたのはぼくだ。当時「本の虫を通り越して、本そのもの」と呼ばれていた活字中毒者のミヤに声をかけて、小説を書かせたのもぼくだ。

 初めての長編小説を書き上げた時も、まだまだぼくらは対等な関係にあったと思う。


 けれど、それ以降の作品はほとんどミヤが書き上げたと言っていい。

 ぼくではまるで思いつけないアイディア、美しい文体。控えめに言って、ミヤは天才だった。

 彼女の作品を“すごい”という言葉でしか表現できないくらいには、ぼくとミヤとの実力差は明らかだ。


「それじゃ、今から“最後の10枚”について話しに、坂口くんち行くから」


 ミヤの明るい声に、はっと我に返る。

 最後の10枚というのは、ぼくとミヤが書き進めいている作品のエピローグのことだ。

 締めくくりの4000字がどうしても思い浮かばず、ぼくらは中学3年の一学期をまるまるつぶした。

 集中力がなくてムラっけのミヤは、アイディアが出てこないときは全く出てこない。しかし、夏休みに入って急にスイッチが入ったのだろう。


「すぐ行くからまっててね。じゃーねー!」


 ぼくが返事をする前に、ミヤは電話を切った。思いついたアイディアを話したくて仕方ないと言わんばかりだった。

 この様子じゃ相当いいネタが浮かんだんだろうな。

 楽しみだ――と思った次の瞬間に、胸が苦しくなった。

 口の中にはしょっぱい唾液が出てきて、頭がドクドクと脈打った。

 やつの思いついたアイディアだ。相当面白いネタなんだろうな。そうなんだろうな。

 だけど……なんでそのネタを思いつくのが、ぼくじゃないんだ。

 ぼくのほうがずっとずっと先に小説を書き始めたのに。

 ぼくだって同じように、4か月間ネタを考え続けていたのに。


 才能があるやつなんて、死んじまえばいい。



 ***



 榎本家への道のりは、桜で満開だった。

 ご焼香を上げさせてほしい。そんなぼくの申し出を、ミヤの両親は暖かく迎え入れてくれた。

 8月4日にミヤが死んでから、ぼくは一度もミヤの家を訪れていない。

 高校進学のための受験勉強に忙しかったということもあるし、親友でも恋人でもない、形だけの“相棒”であったぼくが、湿っぽい空気を作りにいくのもなんか違うと思ったからだ。

 もし天国なんて言うものがあったとしたら、ミヤは今のぼくをみて顔をしかめるだろう。


「坂口くん、私の死をもっと悲しんでよ! そしてそれを小説に生かすんだよ」


 ミヤはこういうやつだった。たしか彼女のおじいさんが死んだときも泣きながら小説を書いていたっけ。

 生活すべてを小説に生かすことが彼女のスローガンだった。その割には執筆をサボっていることもあったけど。


 そんなことを思い出しながら、お線香をあげ、榎本家を後にする。出がけに、ミヤのお母さんから、1冊のノートを手渡された。


「小説に関することだし、坂口くんに渡しておいたほうがいいかと思って」


 後片付け中に見つけた、ミヤの創作ノートだそうだ。

 ミヤめ、ぼくといっしょに小説を書いていることを家族に話してたのか。ぼくなんて、自分が小説を書いていることを一部の人にしか言ってないのに。


 なんとなく恥ずかしいような気分で、ミヤの家から早足で離れる。

 そして近くの公園でベンチを探して、座った。

 ときおり降ってくる桜の花びらを手で払いながらノートを開くと、懐かしいミヤの文字が飛び込んできた。


『小説家であるために! 五か条』


『ひとつ。

 小説家は「なる」ものではない。

 小説を書き続け、

 生活の一部とし、

 小説家でありつづけることこそが、

 小説家としての条件である……!』


 ミヤはときどき、内緒にしてね? と言いながら「私の夢は、『小説家である』こと!」とぼくに耳打ちした。

「小説家になること」と、「小説家であること」は全く違うものであると、頬を桃に染めながら語っていたのを覚えている。


 五か条を流し見してぱらぱらとページをめくると、アイディアメモや思いついた文言、時折落書きやメモがある程度だった。

 ミヤは乱筆、というかせっかちで、思い浮かんだアイディアと手を動かす速度があっていなかったらしい。焦ったような乱雑なメモが多く、とても読みやすいとは言えない。

 それでもぼくは、隅から隅まで、真剣に目を通していた。

 あの日、ミヤと最後に話した“最後の10枚”。書きかけの作品の締めくくりに、彼女がどんなアイディアを思いついたかぼくは知りたかった。

 ミヤが死んでから、ぼくは何度も何度も“最後の10枚”について考えた。自分なりに答えを出そうと、4000字を書いてみた。

 だけどそのたびに、僕の中のミヤがささやくのだ。「なんかいまいちおもしろくないよね」

 どこかで見たことがあるような話、薄っぺらく感動させるような話。

 何度書いても、ぼくはミヤのようには書けなかった。


 ミヤが、どんな答えを出したのか。


 必死にノートをめくっていると、なかほどで白紙のページが現れた。その直前が、最後の記述。

 日付は、8月4日。

 彼女が亡くなった日だ。

 おそらく、ぼくの家に向かう前に書かれたもの。

 そのはずだった。


 しかし、そこに書かれていたのは、

『最後の10枚、どうしても思いつかない。さかぐちくんに、相談に行こう』

 という雑なメモ。


 さぁっと、風が吹いた。

 桜の花びらがあたりに舞って、ぼくの視界は一瞬真っ白になる。

 世界が、急に作り物のように感じた。


 思いつかない……?

 どういうことだろう。あの日確かに彼女は「ついに思いついた」と言っていた。

 ミヤが、嘘をついていた? そんなはずがない。

 彼女はまぎれもなく天才で、死ぬ直前までわくわくするような小説のアイディアを考えて、そのまま逝った。

 実に彼女らしい最後だったはずだ。

 メモを残してから、ぼくに電話をかけるまでに何があったのだろうか。


 答えの出ない問いは、ぼくの頭の中をぐるぐるまわり続けた。


 高校の入学式を済ませ、新しい教室で自己紹介をしているときも、頭から離れなかった。

 死んでしまったミヤのことを考えるよりも、これから1年間一緒に過ごす新たな仲間の名前と趣味を覚えたほうがはるかに建設的だってことは、ぼくだってわかっている。

 でも、脳みその歯車に小石が挟まったように、思考が固まってしまっているのだ。


 なんとか、形だけでも自己紹介を聞こう。

 顔を上げると、みんなと同じように真新しい制服を着た女の子が自己紹介をしようとしているところだった。

 明るく人好きのしそうな顔。大きな目はくりくりと自信に満ちて光っていた。

 あの顔、どこかで見たことがあるような。


 ぼんやりと眺めていると、その子は大きく息を吸って、口を開いた。


「三浦弥生です。趣味は本を読むこと。そして、夢は『小説を書き続け、生活の一部とし、小説家である』ことです!」


 三浦と名乗ったその子は、ぼくとミヤしか知らないことを。ミヤがこっそり耳打ちしてくれた口調とまったく同じように宣言した。


 ――なぜ、その言葉を知っている……?


 慌ててその子の顔を観察する。

 初めて見たはずなのに、懐かしいような感覚。

 ……ああ。そうだ、あの目は。

 いつも面白いことを探しているような、あの輝く目は。

 ミヤにそっくりなんだ。


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