肆 北の社
地下の歩行空間とか言うらしいものを通って、一つ南の駅へ行ってからオレンジ色の車両に乗り込む。駅へ入る直前にお面を外していた紫苑様は神楽さんと共に無賃乗車だ。
三つ目の駅で降りて、何やら木々の生い茂る方へ歩いて行く。
「ほのかは妖が見えるのね」
朝日君と紫苑様が前方を歩いているので、私の隣には神楽さんがいた。見た目年齢は二十代そこそこといったところだろうか。磨いたリンゴのような紅が差してある口元はなんともセクシーだ。
「聞いたわ、遠野だそうね。あそこには良心的な妖が多いというけれど、それだけじゃないでしょう。追い掛けられたり、食べられそうになったり、しょっちゅうあったでしょ」
「しょっちゅうではなかったですが、時々」
「こーいちは日常茶飯事なのよ」
軽く伏せられた目元で長い睫毛が震えた。
会っただけで分かった。朝日君の力はとても強いと。あれだけ力があれば、私なんかより狙われて当然だろう。
「こーいちの妖力はもちろんそれなりにある。けれど、妖力だけで見ればあなたの方が強いんじゃないかしら」
「じゃあ何で」
「あの子は神力を持っているから」
朝日君の背中を見る神楽さんの目元が少し険しくなる。赤い瞳が揺れた。
「妖に関わる妖力。幽霊に関わる霊力。西洋には魔力というものもあるそうね。そして、神に関わる力が神力。神通力を操る力よ。妖は、こーいちの持つ神通力を狙っているの」
神通力を、人間が……?
「着いたよ」
朝日君が振り向く。
そこは神社だった。立派な鳥居があって、人の出入りも多い。社名を見るに、北海道で一番大きい神社なのかもしれない。
鳥居をくぐり、私達は本殿を目指す。お祭りというわけではないようだけれど、いくつか屋台が出ている。小さい子供達が綿あめを買って貰って喜んでいるのを見ていると自然と笑みがこぼれてしまうな。頭の片隅に思い出されたのは、小さい頃一緒に遊んだ座敷童子の姿だ。あの子は元気にしているかな。
拝殿の前には短いけれど列ができていた。
「ああ! 紫苑様、いらっしゃいませ」
列の向こうから小さな男の子が出てきた。半袖シャツに短パン姿で、私立に通う小学生のような格好だ。五年生か、それとも六年生かといったところかな。
「朝日様も、どうかなさったんですか?」
列に並んだ人達が見ていたから人間かと思ったけれど、近くにやって来ると纏う空気が人間のものではないのが分かった。
「ひよ、少彦名神はいるか」
「少彦名様は大那牟遅様とご一緒に出雲です」
ひよ君? この子は何なんだろう。
「穂乃佳さん、彼は鳴照日夜呼々鶏。伊勢の神使見習いです」
「えへへー、お客様ですねえ。ぼくはひよ君です。夏休みを利用して国津神の方々のお社を研修中なんですよ。えーと、それで、少彦名様にどんな御用だったんでしょうか」
朝日君はちらりと私の方を見てからひよ君に向き直る。
「依頼主が何者かに連れ去られた。この辺りを管轄している神に訊けば手掛かりを探してくれるかと思ったんだが」
「むー。残念ながら外出中です。祀られている社が多いので忙しいんですよ」
「どうしたものかな」
朝日君は腕組をして軽く俯く。
本当に不思議な人だな。どうしてそこまで一所懸命になれるのだろう。私がとうもろこしをあげただけのおかしな鳥に頼まれて、ここまでするなんて。
「今回の依頼主はどなたなんですか。神ですか神使ですか、それとも妖ですか」
「妖……いや、神かな。だから力は使えなくもないが、内容が内容だからな、発動しないと思う」
「んー、困りましたね」
今回のことは私が鳥にとうもろこしをあげたことが始まりだ。つまり、私のせいで朝日君達は奔走している。それなら、何か私にも手伝えることがあるならば力になりたいな。
悪い人かもしれないという疑いは晴れていた。悪い神様、悪い妖怪であれば、こんなに大きな神社へやって来て平気な顔をしているわけがないからだ。
「晃一さん、私、空から様子を見て来ましょうか」
「いや、紫苑様にそんなことさせるわけには」
「構いませんよ。晃一さんの仕事を補助するのも私の役目ですからね。任せてください」
そう言って、紫苑様が茂みの向こうへ姿を消した。と思ったら、一羽のカラスがぴょんこと飛び出してきた。青に緑に煌めく翼が異様なほど美しいカラスだ。
「では、行って参りますね」
「うわ、喋った」
「かあ」
一声鳴いてカラスが飛び立つ。
朝日君曰く、あれは紫苑様が普通のカラスの姿として顕現している状態らしい。
「こーいち、アタシ達はどうするの。このまま地上から探す?」
「他に方法がない。とりあえず紫苑様に任せるしかないだろう」
頑張ってくださいね、と言ってひよ君が拝殿の方へ戻って行った。私立の小学生の姿から水干姿へ変わった時、小さな黄色い翼があるのが見えた。ひよこ、なのかな。
朝日君と神楽さんに促されて私は歩き出す。この神社は大きな公園の一部みたいなもので、近くには動物園もあるのだという。動物園か、今度来た時には行ってみようかな。
「ねえ、ほのか。遠野にはどんな妖がいるの。アタシ、星影と札幌しか見たことないから」
「星影?」
「ああ、言ってなかったか。俺の出身地だよ。函館の近くにある市で、星空が綺麗に見えることから星巡る街とか、星降る郷とかって呼ばれている」
「へえ、綺麗な名前だね」
凛として美しく、透き通るような街の名前。星影の空はどんなに綺麗なのだろう。どこか神秘的で、それなりに妖怪がいそうな気はする。朝日君はそれに追い駆けられながら生きてきたのか。
「遠野には色んな妖怪がいるよ。河童だったり、雪女だったり、あと、座敷童子とか」
「友達だったのね」
「分かります?」
「顔を見れば分かるわ。そんなに嬉しそうに話しているんだもの」
「友達の妖怪か。出水さん、楽しかったんだろうね」
朝日君の翡翠色の瞳が一瞬翳ったように見えた。同じような目を持っていても、そこにいる妖怪や周囲の人間の対応でだいぶ違うんだろうな、やっぱり。
「朝日君、さすがにそろそろ教えてくれないかな。あなたは一体何者なの」
朝日君が立ち止まり、私の方を向く。
「俺は覡。翡翠の覡」
「何それ」
「知らない方がいい。あんただって巻き込まれたくはないだろ」
「もう既に半分以上巻き込まれてる気がするんだけど……」
「こんなの、巻き込んだうちに入らない」
ついっと私から視線を逸らし、歩き出す。
私達は地下鉄に乗って、街の中心部にある大きな公園へやってきた。おかしな鳥にとうもろこしをあげたのはここだ。
ワゴンが出ていて、おばさんがとうもろこしを売っていた。それを買う親子。ハトが群がる。
「ねえ、朝日君ってば」
さっきからずっと無視され続けている。何か彼の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。神楽さんも何も言ってくれないし、どうしたんだろう。
「出水さん」
「うわ、はい」
「しばらくここで待っててくれない? すぐ戻るから」
「え」
私の返事を待たずに、二人は走って行ってしまう。
岩手から北海道へやって来て三ヶ月と少し。札幌暮らし初心者。案内されながらどうにか歩いているのに置いて行くとは何事か。この公園へは何度か来たことがあるけれど、前に来た時は別の場所だった。ここに来たことはない。一丁目から十二丁目まで東西に延びているなんてふざけている。ここは何丁目で、前に来たのは何丁目なんだ? ここに放置されても困るよ。
見失う前に私は二人の後を追った。