2話 理由
「契約、だって……?」
「そ、契約よ。アンタは幸か不幸か【因果断絶の力】に覚醒してしまった。自覚はないだろうけど、それって命を狙われても仕方ない【力】なの。だから、私たちと契約することで守護してやろう、ってこと……分かるかしら?」
イルミナは、もはや丁寧な口調を失ってしまっている。
そんな彼女が語ったのは、俺にとっては寝耳に水な話だった。今まで平穏無事に生きてきた俺にとって、命を狙われる、というワードはピンとくるものではない。――まぁ。それを言ってしまえば、こうやって異世界で会話している現状もそうだし、神々とか、勇者とか、魔王とか。とにもかくにも、トンデモないモノのオンパレードなわけだけど。
「契約すれば、守ってくれるのか?」
「えぇ、守ってあげるわよ。でもその代りに、依頼を受けてもらおうと思うけどね」
「…………依頼?」
続いて飛び出してきたイルミナの言葉に、俺はまた首を傾げる。
するとそんな俺を見て、右手人差し指を立てて少女は説明を始めるのであった。
「依頼といっても、出来ないことを頼もうとは思ってないわ。アンタの【力】で、本来ミッドガルディアに流れるはずだった英傑の魂を運んでほしいのよ」
「それは、つまりまた――」
――轢き殺せ、というのか。
そう言いかけたところで、俺は口を噤む。
「まぁ、嫌なら構わないけど。ただ命を落としても知らないけどね」
しかし俺の言わんとするところ、感情を読み取ったのか。
イルミナは肩をすくめて、そんな無慈悲なことを言ってみせた。だがすぐに、コロっと表情を変えてこのように続ける。
「それでも、ま。気持ちは分からないでもないわ。――ただね? 案外、この仕事も悪い部分だけじゃないの。世界のためでもある。多くの命を救うことに繋がる」
「多くの、命を救う……?」
俺がいつの間にか下げていた視線を持ち上げると、そこには笑顔のイルミナ。
そして幼き少女は真剣な顔になり、こう話すのだった。
「いま、ミッドガルディアは多くの魔王、そしてその幹部たちによって支配されている。世界のバランスが崩れているの。でも、貴方の【力】があれば――多くの人々を救うことが出来る」――と。
それは、とても不思議な響きであった。
何の変哲もない人生を歩んできた俺に、突如として与えられた使命。
実感は湧かないけれど、偽善かもしれないけれど、何故か感情が揺さぶられる言葉だった。誰かの力になれるなら、なんと素晴らしいことなのだろうか――と。
「それは、本当に俺にしか出来ない仕事なのか?」
「もちろん。気付いてないかもだけど、アンタの覚醒した【力】は破格よ? そんなことを出来る奴が何人もいたら、それこそ世界の危機だわ」
「まぁ、うん。たしかに」
言われてみれば、そうである。
もし代わりがいるのであれば、わざわざ俺に話が来るわけもない。だと、するならば――。
「どうする? 今なら給料の他に、遊んで暮らせるだけのお金も用意するわよ?」
「――いや。必要ない」
だとするならば、だ。
俺の答えはもう決まっていた。
「そもそも。命を狙われることになる時点で、俺に選択肢はないだろ? それに、そっちの世界が平和にならないと日常も返ってきそうにない」
そうなのだ。
今の俺に出来る最善手は、この話に乗るほかになかった。
だったら、いっそのこと最後まで付き合ってやろうじゃないか。そんでもって、俺は俺の日常を取り戻してやる。
強い意思を込めて、俺はイルミナを見つめ返した。
するとこちらの考えを察したらしい彼女は、ニヤリと、少しだけ意地悪そうな表情を浮かべる。そしてこっちへやって来て、そっと俺の鎖骨の辺りに手を当てた。
「これが、契約の証――神々の加護を受けた者の証よ」
その手が離れた時。
瞬間の光が生まれ、イルミナのそんな声がした。
触れられた箇所がじんわりと熱を持つのが分かる。見なくとも、契約を結んだのだと、直感出来た。そして、それと同時に――。
「あ、れ……?」
意識が、遠退いていった。
「ありがとう。これから、よろしく――スグル」
そんな、今までのどれよりも優しい、少女の声を聞きながら――。
◆◇◆
さて。それが契約まで至った顛末だ。
半ば空気に流されたことも否定出来ないが、後悔はしていない。
「ねぇ、スグル!? このソフトクリーム、っていうの美味しすぎない!? ――マジヤバい。口の中に広がる甘味に、ヒンヤリとした口当たり。最っっっ高!!」
「…………おう。そりゃ、よかったな」
予想外に、道連れが出来たことを除けば、であるが。
イルミナは先ほどコンビニで購入したアイスに舌つづみを打っている。
助手席に座って嬉しそうに語る彼女は、見た限りは愛らしいことこの上ない。だがしかし、難点を挙げるとするならば、とにかくうるさい、ということであった。
こちらの世界のモノがとにかく珍しいのか、あれやこれやと騒ぐのだ。
まぁ、ミッドガルディアの文明はそこまで発達していないとのことだったので、仕方ないといえばそうなのかもしれないが。それにしても、女神だということを忘れるほどに無邪気な少女になってしまっていた。
「頼むから汚すなよ? 相棒は一応、会社のなんだからな?」
俺はそんな注意を促すが――ダメだ。聞いてない。
しかしながら、休日にも関わらず社用車であるこいつを貸し出してくれた上司には感謝しかない。まぁ、そこはイルミナの謎の神様パワーで印象操作した、というのもあるのだが。
とにもかくにも、いよいよ俺の初めての依頼が幕を開けようとしていたのだった。
「そんなわけで、お前の指示通りにダンを走らせてきたわけだけど……」
俺は最後に、確認することにする。
最初のターゲットがどこにいるのか、を。すると――。
「あぁ、あっちの建物。あの大きな建物の中にいるわ」
「え、でも。あっちの方向って……」
――イルミナが、何やら嫌な方角を指差した。
そして、建物を指定してくる。
「ちょっと待てよ。あそこって……」
俺は冷や汗が頬を伝うのを感じた。嫌な予感が、的中してしまったからだ。
イルミナが指示した最初の目的地。それは――。
「――小学校、じゃねぇかよ」
俺に与えられた、新たな仕事。
それはどうにも、最初から難しい依頼になりそうであった――。




