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1話 まさかの申し出




 スマホのアラームが鳴り響く。

 俺は気怠い意識を必死に持ち上げて、それを停止させる。

 見ればそこに映されているのは、いつもと変わらぬ数字の配列。要するに、起床時間を示す時刻であった。午前七時。休日にしてはやや早く、平日にしてはやや遅いとも取れる塩梅のそれだ。しかしこの時間に起きるのが俺の日常であり、ルーティーンの始まりであった。


「ふっ、と……」


 次いで、ぐっと腹筋に力を込めて半身を持ち上げる。

 夏の日差しが差し込んで蒸し暑くなった、六畳ほどの自室。万年床に座した俺は、額の汗を拭いながら肩を落とした。そこから大きく伸びをして、中途半端だった思考を明確に。ついでに大あくびも出た。

 さてさて。しかし、そんな怠惰な時をいつまでも過ごしてはいられない。


「よい、しょっと」


 俺はゆっくりと立ち上がって、洗面所へと向かう。

 取り立てて語るべきモノのない部屋から出ると、すぐ隣がそこであった。

 鏡には冴えない男の顔が映る。無精髭を生やした、眼つきの悪い三十代のオッサン。白髪の微かに混ざった黒髪は短く刈り上げられており、上着は白のTシャツ一枚だけだった。――それが俺こと運天スグルの容姿である。本当にどこにでも掃いて捨てるほどいる、何の変哲もない独身男であった。


 ――そう。何の変哲もない、そんな男のはずだったのである。


「ホントに、夢じゃ……ないんだな」


 俺は自身の鎖骨部分にある、一つの痣のようにも見える文様を見た。

 それは陰陽の印のようでもあり、しかし微妙に西洋の色もある不思議な、とにかく名状しがたい。触れても痛みはなく、さりとて感触はどこか異質なモノであった。こう――岩肌を撫でているような、無骨な感じ、とでも言えは良いだろうか。


 俺はそれを確認して、天井を見上げた。

 なるほど。これを見る限り、昨日の出来事は夢ではない、ということになる。


「そうなると、だ。俺はとんでもないことに、巻き込まれたんだな……」


 そう考えが至るとつい、そんな風に呟いてしまった。

 そして次に、俺は昨日の事故の後に体験した不思議な件について思い出すのであった――。


◆◇◆


「異世界、ミッドガルディア――?」


 目の前の女の子に向けて、俺は聞いた言葉をそのままに返す。

 すると彼女――イルミナは静かに首肯して、こちらに笑みを浮かべたままこう言うのであった。声色には、相も変わらず優しげな色を湛えつつ。


「えぇ、そうです。ここは貴方――スグルのいた世界、アースガルディアとは異なる世界。私共から見ればそちらが異世界なのですが、ね」

「まぁ、そうなるのか……?」


 イルミナの言葉に、俺は首を傾げながらそう答えた。

 とりあえず、今はこの少女の言うことを信じる他ない、のかもしれない。

 何故ならそうでも考えないと、こちらの頭がどうにかなってしまいそうだったからだ。白い光に包まれたかと思えば、空中に浮いていて、そんでもって異世界だとか、なんとか。状況が状況でなければ、イルミナの頭を撫でて飴ちゃんをプレゼントし、そのままその場を離れてしまう話だった。


 しかし現状は、この通り。

 眼下には見知らぬ森が広がっており、俺の身体は不思議な力で宙に浮かんでいるのであった。ともなれば、信じざるを得ないというか、つまるところ思考の放棄である。それでも心臓はバクバクと脈打っている訳なのであるが……。


「……ま、まぁ。それは良いとして、だ」


 とりあえず、置いておこう。

 俺には自分のこと以上に気になる事案があった。それは――。


「俺の轢いた子……あの子はどうなったんだ? 同じように光の中に消えて行ったんだけど……」


 ――そう、自分が轢き殺してしまった青年についてである。

 彼もまた、俺と同じく白い光によって姿を消してしまった。だとするならば、イルミナならばあの青年の所在を、そして容態を知っているのではないだろうか。

 それはもう、半ば願いに近かった。色好い返事があることを祈っていた。

 だが、少女から返ってきた言葉は辛いモノであった。



「残念ながら、彼はアースガルディアにおいては命を落としました」――と。



「―――――――」


 俺は心臓を鷲掴みにされたような、眩暈を伴う呼吸困難に陥る。

 やはり、現実は残酷であった。目にした事実は、事象は、覆すことが出来ない。

 青年を俺は轢き殺してしまったのである。現実それは俺の意識を刈り取ろうと――。


「しかし、彼はすぐにミッドガルディアにて転生いたしました――勇者として」

「――――え?」


 その時であった。

 イルミナが、優しげな声色でそう言ったのは。


「転、生……?」

「そうです。貴方の持つ【力】が、彼の運命を正しい方向へと導いたのです」

「正しい、方向……だって?」


 そして続けられた少女の言葉に、再び俺は唖然とするのであった。

 彼女はハッキリと言ったのだ。こうなること、青年が死することが正しかったのだ、と。その発言は俺の常識を叩き壊すようなそれであり、すぐには呑み込めないモノだった。


「死ぬのが、正しいことだって言うのか?」

「そうは言っていません。私はあくまで、間違っていた世界の流れが正しい方向へと流れたのだと、そう述べただけですよ」

「意味が分からない……」


 俺は頭を抱える。すると、そんなこちらを見かねてか、イルミナはため息をついてから説明を始めるのであった。くるりと踵を返し、歩きながら彼女は言葉を紡ぎ出す。


「本来、彼の魂はミッドガルディアにありました。しかし、何らかの要因――例えば魔王の陰謀によって、勇者の魂が異世界に転移させられてしまったのです。一度として根付いた因果は、簡単には断ち切れません。しかしながら、スグル――貴方はそれをいとも容易く絶ち切ってみせたのです」


 つらつらと並べられる言の葉。

 俺は頭痛を堪えながら、どうにかイルミナの口にしたそれを咀嚼する。


「えっと、つまり……?」


 勇者とか魔王とか。

 そんなファンタジーな要素はひとまず置いておいて、だ。


「俺は結果として、その捻じ曲がった運命ってのを正した、と?」


 訊ねるように、口にする。

 イルミナは大きく頷いて、こちらを再度見つめた。


「えぇ、そうです。スグルには、それを可能にする【力】があったのです」


 そして、そう俺のことを肯定する。

 だがそうなると、また疑問点が浮かび上がってくる。


「待ってくれ。さっきから【力】がどうのって言ってるけど、何なんだよそれ」

「ふむ、そうですね。簡単に言いますと――」


 少女は顎に手を当てて考え込むと、パタパタとこちらへと駆け寄ってきた。

 そして俺の顔を見上げる。そうしたかと思えば、今度はこちらの顔にその小さな手を伸ばしてきた。不意にやってきた、柔らかく、温かいその感触に瞬間だけ身を固めてしまう。だが、それも束の間のこと。イルミナはまた一つ頷いて、手を離すのであった。そして――。


「――はい。それでは、指先から火を出してみてください」

「はいぃっ!? 何言ってんだ、お前!!」


 そんなことを言ってのけたのである。

 当然に俺は仰天してしまうのであった。――いやいや、無理だから!


「大丈夫ですよ。いま、スグルの潜在能力を開花させましたから」

「なに勝手にしてくれてんの!?」


 カッと、身体の芯が熱くなる感覚を抱きつつ俺はそうツッコんだ。

 すると――。


「あー、もう! ぐずぐず言ってないで……いいから、はやく!!」

「へ、あ、はい!!」


 なんか、口調が変わったんですけど、この子!?

 唐突に強い語調で迫られて、たじろいでしまう悲しいオッサン(33)であった。そんなわけで、せっかく火を出すのならばと。俺は懐から煙草を一本取り出し、くわえた。

 そして、イルミナに言われた通り。指先をその先端に当てがって――。


「…………はぇ?」


 ――半信半疑で、火をイメージ。

 そうすると、何ということであろうか。

 本当に俺の指先には、頭の中で想像したほどの大きさの火――ライター程度の、である――が点いたのであった。チリチリ、と。煙草の先からは紙の焦げる匂いとともに、紫煙が立ち上る。


「ほら。出来たでしょ?」

「あ、あぁ……」


 俺は肺の中に煙草の煙を溜め込み、吐き出す。

 少女はそれを受けて眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を戻した。


「分かった? それがアンタの【力】ってこと。それと同じように、スグルの中には潜在的に【因果断絶の力】があった、ってことなのよ」

「は、はぁ……なる、ほど?」

「つまりはそういうこと! これ以上の説明はしないから、適当に順応しなさい」

「お前、途中から猫被るのやめるんじゃねぇよ……」

「もういいでしょ、別に。さて――」


 と、そんな会話をしていると、だ。

 やっとだ、といった風にイルミナは仕切り直すのであった。


「――で、本題なんだけど。スグル? アンタ、私たち神々と契約しなさい」

「はい? なんですと……」


 そして、出てきたのはそんなモノ。

 俺はまたもや唖然としてしまうのであった。


「時間がないから、簡潔に言うわよ。良いわね?」


 すると、そんなこっちの様子などもはや関係ないと。

 そう言わんばかりの顔で、イルミナは話し始めるのであった――。



◆◇◆



「昨日の事故――どこの局も報道してないんだな」


 俺は朝食を摂りながら、テレビのチャンネルを切り替えて呟いた。

 どこに合わせても、ネット記事を見てみても、昨日の夜に一人の青年が事故死したなどというニュースは見当たらない。そのことに不気味さを覚えながらも、コーヒーを啜る。


「言ったでしょ? 神々の奇跡は隠匿される。そうでなくても、一部の例外を除いて私たちの行いは、世界の修正力によって秘匿となる。要は帳尻合わせが為される、ということね」

「何だか変な感じだな。それってつまり、いつの間にか大切な家族がいなくなっても気付かない、って話だろ?」

「まぁ、そういうことね。でも結局は認知されないのだから、同じじゃない?」

「そんなもん、なのかね――って、おい」


 俺は気付けば対面に座っていたイルミナに、ツッコみを入れた。

 リビングのテーブルを挟んだ向かいに座る少女は、どこから調達したのか、モグモグと勢いよくパンと目玉焼きを頬張っていた。そんな状況でも、今のように饒舌に語るのだから器用なモノである。だが、いま重要なのはそこではなくて――。


「――イルミナ。お前、なんで俺の家ここにいるんだよ」


 そもそも、何故にこの少女がここにいるのか、その一点だった。


「あ、言ってなかったけ。神々と契約したアンタの監視することになったのよ。あと名義上は、スグルの妹ってことになってるから、そのへんヨロシク♪」

「聞いてねぇぞ、こら……」

「細かいこと気にしないの~。男らしくないわよ?」

「うるせぇよ!」


 鼻歌まじりにそんなことを言うイルミナに、俺は思わず声を上げた。

 しかしそんなこと気にしない、といった風な女神様いもうとは、食事を終えて立ち上がる。そして、おもむろにこう告げるのであった。


「さて。そんなこんなで悪いけど、さっそく依頼よ!」


 ビシッと、指をさされる俺。

 もう、こうなればヤケである。神様の依頼だか何だか知らないけれども、やってやろうではないか。――というワケで、俺は最後のコーヒーを流し込んで立ち上がった。


「分かったよ。それじゃ、さっさと済ませるとしましょうかね……」


 そして、黒のジャケットを羽織る。

 何やら巻き込まれてしまった形であるが、仕方ない。




 さっさと依頼を済ませて、また平穏な日常を取り戻すことにしましょうか――。



 


次話からは、毎日朝七時投稿予定です。

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