プロローグ やっちまった……
「…………やっちまった」
俺こと運天優は途方に暮れていた。
何故かって? そんなの、目の前に転がっている人を見れば分かるだろう。
俯いていた視線を持ち上げて再度、現実を確認した。するとそこにあったのは、俺の左隣にある相棒のトラックにはねられた一人の青年の――遺体である。
いいや。現実をしっかりと見つめよう。
彼を轢いたのは、相棒のダンではなく俺だった。
運転技術のつたなさ故に、俺は若き命を奪い去ってしまったのである。
「いや、でもさ。こんな暗くて見通しの悪い道に、急に飛び出してくる――」
――この青年の方が悪いのではないか。
そう言いかけて、俺は自分の意地汚さに吐き気をもよおした。
どう足掻いたって、どんな風に言い繕ったとしても、俺が彼を殺したことに変わりはない。その事実だけはどう弁明したところで、変えられないのであった。
そう――俺は、この手で青年を殺してしまった。
運送業を始めてかれこれ15年。
無事故、無違反でこの仕事に従事してきた。それが俺の誇りでもあったし、自信でもあったのである。けれども今、この瞬間にそれはすべて無に帰した。
目の前が真っ暗になっていく。その感覚が、よく分かった。
それは今、俺が立っている場所が灯りのない山道だから、というワケではない。脳が目の前にあるその事柄を拒絶しようとする。そのためであった。
自分でも分かるぐらいに冷静さを欠いている。何を考えて、どう行動すればいいのかも分からない。だがそれでも、目撃者のいないこの場所であっても、非人道的な行いをしようとは思わなかった。
それをしてしまえば、俺は本当の人でなしになってしまう。
女手一つで俺を育ててくれた母ちゃんを、これ以上泣かせるわけにはいかなかった。そう思うと、次第に胸の早鐘も収まってくる。
俺はそこで一つ、大きく深呼吸をした。
「そうだ。まだ終わったわけじゃない。まずは警察と救急車を――」
【――その必要はありませんよ……スグル】
呼ぼうとした、その時であった。
俺の脳内に直接、俺の名を呼ぶ何者かの声がはっきりと。
「え……!?」
その直後だ。
さらに信じられない事態が発生する。
「嘘、だろ……? こんな、こと……」
信じられなかった。目の前で起きたことが、再び俺を混乱に陥れる。
だって、信じられるか? ――先ほどまでそこに転がっていた青年の遺体が、光に包まれて消えたなんて、そんなこと。真白なそれが収まった後、俺は青年がいた場所へと向かって駆けだした。そして、硬いコンクリートに触れてみる。
「なにも、ない……」
するとそこからは血痕も、何もかも。
俺が轢いてしまった青年がそこにいたという痕跡すべてが、なくなっていた。
「どういう、ことだ!?」
俺は誰もいない山道で声を荒らげる。
完全にパニックだった。今度はもう、平静な状態に戻ることは出来ない。
「いったい、なにが起こったって言うんだ! 誰か説明を――」
そう、思った――瞬間であった。
【――アナタがそれを求めるのであれば、致しましょう。そして同時に、私もアナタの持つ力に興味があります】
再び、そんな声が頭の中に響き渡ったのは。
「え、誰……ですか?」
俺は無意識にそう呟いていた。
聞こえてきたのは、幼い少女のそれ。
だというのに、どこか威厳のあるその声。俺は、つい敬語でそう訊いていた。
【分かりました。それでは、場所を移すとしましょう】
すると少女の声は、そう答える。
そして、その次の瞬間だ――。
「――え?」
俺の身体は、先ほどと同じ白き輝きによって包まれるのであった……。
◆◇◆
そして次に目を開けた時。
眼前に広がっていたのは、緑の森であった。否――正確に言えば、眼下に広がっていた、である。俺は宙に浮いていた。見知らぬ土地の、見知らぬ空に浮いていたのである。何を言っているのか自分でも分からないが、事実なのだから仕方ない。
もっとも、当惑している現状でその不自然さに気を割く余裕などなかった。
そんな俺に、声をかける人物があった。
それは先ほどの声の主――幼き少女、その人である。
「ようこそ。スグル――私の名は、イルミナ。これよりアナタを導きましょう」
彼女はそう言った。
蒼いワンピースを身にまとい、羽衣のような薄い布をはためかせ。
瑠璃色の、円らな瞳をこちらに向けて笑った少女――イルミナは、風によって流れた金の綺麗な髪を撫で押さえた。そして一歩、また一歩とこちらへと歩み寄る。
身の丈は俺の半分ほどの小さな女の子。
そんな彼女は、俺の手を取ってまた小さく笑んでみせるのだ。
これは、俺の運命を変える重大事件。
そして、世界のために従事する運命の始まりを告げるモノであった――。