表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
拝復、空へ  作者: 東条計
第一節
21/29

第三節・第十一話


 前葉君、前葉君……。


 鵠の声が意識を浮上させる。


 ねぇ、ねぇ……。


 右肩が控えめに揺すられる。

 耳には、鵠の呼吸と、鼻をすする音が聴こえる。

 まさかと思い、瞬時に顔を上げる。

 見れば、鵠がかたわらに立っている。

 彼女が持ってきた電気ランタンが、ほのかに鵠の姿を照らしている。

 そこに映る彼女は、なぜか泣いていた。

 居ても立ってもいられず、椅子を蹴飛ばして立ち上がる。彼女の薄い肩に手を乗せる。

「なにがあった」

 鵠は涙をあふれさせながら、俺の背後を指差す。

 振り返った先は、例の空洞だった。山に挟まれ、その中央が地平まで見渡せる、あの場所。

 そこに、奇跡が生まれていた。


 自分の常識や価値観が、その一瞬で滅び去る。

 星がさかのぼっている。

 大量の流れ星が、大地ではなく、天に向けて降りそそいでいる。

 星が昇る。

 空に向かって。

 比喩でも誇張でもなく、眼前に実在した。

 その光景は、報われない人々の命と心を、誰かの祈りと願いと許しのもと天へ送り出している、そんな神秘の存在を想像させた。

 信じがたい景色だった。

 ただひたすら、圧倒される。

「流れ星、はね」

 嗚咽おえつを漏らしながら、鵠が目の前の奇跡を紐解ひもとく。

「流れ星の元となる宇宙のちりや……隕石は、重力に引かれて地球に降ってくるから、もちろん上から下へ向かってくるよね」

 けれどね、その落下物の角度と方角、観測者の位置次第で見え方が変わるの。

 落下物を正面に捉えて、なおかつ落下物がなるべく水平に近い角度で進んでいると――――。

「今夜の、ように……星が、空へ帰っていくんだ」

 目の錯覚でも、嘘でも。

 元いた世界へ、戻れるんだ。

 そこで、彼女はこらえ切れず地面に座り込む。

「よかった……」

 私、生きててよかった。

 せきを切ったように、鵠は泣き叫ぶ。

 まるで子供みたいに、自由に、思うがまま涙を流し、声を上げた。

 恥じらいも、虚勢も、建前も全て捨て去って、鵠は夜に告白する。


 お母さん。

 お母さん、私、不幸なんかじゃないよ。

 私、今、幸せなんだよ。

 だから。

 だけど。

 なんでなの。

 悲しいよ……。

 笑えないよ――――。


 それが彼女の、人生最大の自己表現だった。

 枯れた心を涙で濡らして。

 はくろうの仮面を涙で溶かして。

 剥き出しの鵠椎名を、世界に告白する。

 絶望と不幸と悲哀の中、自分は幸せだと叫ぶ。

 ただ一人の当事者を除いて、誰にも届かない彼女の拝啓。

 傍に立つ俺は、鵠のなにを知っているだろう。

 彼女がなぜああまでして泣き崩れているのか、見当もつかない。

 だけど、その時初めて、彼女がただの鵠椎名になれたのだということは分かった。

 鵠が、ずっとこの瞬間を渇望していたのだろうことも。

 死体なんかじゃない、体温を持つ生身の鵠椎名がそこにいた。

 その姿を見ていると、俺の眼からも涙が込み上げてくる。

 抑えることはできない。ただ純粋に、彼女の誕生に心打たれていた。

 遂には俺もひざまずくような姿勢になり、言語化できない感情に晒されながらむせび泣く。

 感謝すべき主を持たない俺は代わりに、宙で燃え尽きていく宇宙のちりに、祈りを捧げた。


 その夜こそが、前葉由貴と鵠椎名の初対面だったのかもしれない。

 建物に囲まれた窮屈な屋上ではなく、さかのぼる星の下、忘れられた屋上でようやく、二人は人として出会うことができた。




第三節はここまで。

明日は残りラストまでを投稿します。

読んでくださってる方には感謝の念が尽きません。


……ではまた明日、何卒よろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ