67話 過去
アイザックさんの持つ剣が赤く光る。
魔剣なのか?
いや、でもおかしい。
魔剣にあるはずの紋章がない。
ガイみたいに魔剣を生成できるなら分かるが、彼は剣舞師だと自分の口で言っていた。
紋章によって真なる効果を発揮する魔剣だが、紋章がなくなればもちろん効果は出ない。
なぜ赤く光るのか。
その淡い光の正体を考えていると、答えはアイザックさんが言葉にした。
「俺は剣舞師だった。だが、己への怒りをため込みすぎたのか、もうそのジョブはなくなっていた」
ジョブがなくなる?
そんなこと……いや、あるか。俺だって一時期は魔法使いだったのに、加護が上書きされたおかげで魔法スキルが使用できなくなったのだ。
「ジョブがなくなった?どういうことですか」
「闇の職業。俺はそれに蝕まれている」
即答だった。
闇の職業……。
心の中で反復する。
その言葉だけで、安易に触れてはいけないものだと分かる。
アイザックさんは続ける。
「それは要するに、禁忌みたいなものだ。俺は後悔に怒りを費やしすぎた。それはもう止められない流動となり、今でも精神を蝕んでくる」
アイザックさんは強く剣を握りしめる。
それだけで刀身の赤い光は膨張し、竜のごとく渦まき始めた。
「だから時々、こうやって放出せねばならない。しかしこの力は暴走する恐れがあり危険だ。例えば──」
そういって軽く剣を振る。
彼が右手に掴んだ剣はそれだけで大いなる力を暴れさせ、視界の右を深紅の光で埋め尽くす。
そして光が収まると、そこにあるのは焼き荒れむき出しになったクレーターのみ。
「適当に振った剣で、何もかもを壊せる」
一呼吸おき、アイザックさんは言った。
「俺のジョブは邪剣士。正直言って、悪い見本だ」
そういった瞬間、遠くから赤い塊が──魔獣のブレスが飛んで来る!
腕を一本飛ばされたぐらいではどうということないのか、その威力は計り知れない。
周りの木々や地形を消失させながら向かってくる豪速のブレス。
豪炎の塊は───
──しかしアイザックの一振りで、真っ二つに割れる。
大きなブレスが半分に分かれ、二人の両脇を通りすぎてゆく。
すると、アイザックさんが舌打ちする。
「チッ、逃げたか」
そしてブレスが過ぎ去り視界が開けると、もう魔獣の姿はどこにもなかった。
「逃げ足が早いとは、面倒なのが出てきたな」
愚痴りながら、アイザックさんは俺の方に向き直る。
あっという間の戦いに俺は唖然としていたが、やっと我に返る。
「あ、ありがとうございまし──」
「礼はいい。それよりも話せ」
途中で言葉を遮られる。
話せって、いったい何を?
と思ったけれど、すぐに思い当たった。
アイザックさんはそのまま続ける。
「俺は、俺のすべてを話した。このことを知るものは恐らくお前しかいない。だから……お前もすべてを話せ」
剣を鞘におさめてアイザックさんは言う。
そうだ。戦いながら過去の話をするなど普通はありえない。
確かにアイザックさんほど強ければそれも可能なのだろうが、だからと言って注意が散漫となる行為は慎むだろう。
それでも俺に明かした、誰にも知られていない過去。
それの意図は、腹を割って話そうということ以外考えられないだろう。
迷う。
話せとは、つまり俺の隠していること全部。
転生したことやチートスキルのことも含めて話せということだろうか。
唐突な魔獣の襲撃の直後、怪我もまだ治りきっていない状況で。
アイザックさんが助けてくれたとはいえ、急にこちらのすべてを明かせと言われても……。
俺が迷っていると、アイザックさんが落ち着いた口調でしゃべった。
「今すぐにという訳ではない。今後、その方がいいとお前が思った時でいい。その時まで待つ。まあ、できるだけ早いにこしたことはないが」
アイザックさんはすでにこちらの隠し事に気づいているのだ。
そのうえで、焦らずに俺の意思で喋るように促してくれている。
なんて寛大な人なんだ。
一目見ただけでこの人は何かすごいと思っていたが、今はそれ以上に驚きでいっぱいだ。
アイザックさんの器のなんと大きいことか。
苦しみの過去を背負い、後悔に打ちひしがれて生きてきた彼の心の強さは計り知れない。
俺は頭では分かっているのに、心のどこかで恐怖しているのか、口をうまく開けない。
彼の前で何かを言うことさえ、この状況でははばかられる。
と、ふと一つ疑問が浮かぶ。
「アイザックさんはなんで、すべてを教えてくれたんですか?」
すると、彼はさも当然といった感じに答える。
「俺のモットーは『初志貫徹』だ。頼るのも頼られるのも好きではない。ただ頼り合う事だけが唯一の光だと思っている」
頼り合うことだけが……。
すごい考え方だが、めちゃくちゃ心に響く。
「だから、まずはお前に信頼されるようにすべて話した。あとはお前次第ということだ。まあ、俺も全盛期ほどには動けない。受けた矢が後遺症として残っていてな。今はいいかもしれないが、いつかお前が俺を超えたとき、道を踏み外したお前を俺はどうにもできない。だから今のうちに手中に収めたいというところもある」
にやりとアイザックは笑う。
いつのまにか纏う雰囲気も落ち着き、いつもの優しいおっさんに戻っていた。
「今回の件は俺がすべて処理し、何もなかったことにしてやる。もちろんあの魔獣については、お前は一切関与していない。それがいいんだろう?」
俺は強くうなずく。
とても助かる処置だ。
無駄な騒ぎを起こさなくて済む。
「なぜそこまでしてくれるんですか?」
俺が問うと、アイザックさんはまたしても笑みを浮かべる。
「面倒ごとは大人の領分だ。若いものばかりに負担はかけられん」
そりゃ確かにそうかもしれない。
でも、俺だってやれることはあるはずだ。
そう反論しようとしたところで、アイザックさんは一言付け加えた。
「まだガキなんだから、ガキらしくしてろってことだ。もうちょっと他人を頼れ」
その一言がつらい。
俺は何も言えなくなってしまう。
じゃあな、待ってるぞ。
そう言い残してアイザックさんは俺に背を向け、森の中へと消えていった。
アイザックさんがいなくなった荒れ地で、俺は一人座り考えていた。
こんなに強い人がいたのか。
力だけじゃない。
心が強い。
もし最強の力を持っていたとしても、あの人に勝つ場面が想像できない。
そして、俺のことをどこまで知っているのか。
レべリングのことはもう見抜かれているのか。
もしくは使えるスキルのことも?
スキル偽装を使っているからどうやっても分からないはずだが、アイザックさんならあるいは……。
底知れない力とはこれほど怖い物なのか。
やがてベイルさんが木々を通り抜けてやってきた。
「アイザックから聞いたぞ!巻き込まれたって、大丈夫か!」
そう俺に声をかける。
ベイルさんは俺に治療をほどこしてくれている。
しかし、俺の頭の中からは、全てを話すか話さないかという葛藤が渦巻いて離れなかった。