生まれてはじめての、恋だったから
「なぁ、杉本。おまえ、オレのこと好きだろ?」
高校二年の初夏。
まだクラスメイトたちの姿がちらほら残る教室で、杉本響に明るく笑いながらそんなことを言ったのは、千葉英司。
響と同じ中学に通っていた、そして彼女がはじめての恋をした少年だ。
彼は後ろ向きに椅子をまたいだ格好で、響の机に頬杖を突きながら、いつも通りの楽しげな口調で言う。
「昨日、カノジョに振られちゃってさー。でも、高二の夏にぼっちは、やっぱイヤじゃん?」
だから、と彼女が大好きな笑顔で。
「杉本、オレと付き合ってよ。おまえ、結構胸でけーし!」
告げられた言葉の意味を理解した瞬間、響は思った。
なんで自分は、こんなデリカシー皆無のクズに、恋なんてしちゃったんだろう――と。
***
千葉英司という人間を端的に表すとするなら、『愛されるバカ』だと思う。
いつでもへらへらにこにこ笑っていて、いたずらや悪ふざけを全力で率先してやるタイプだ。
勉強はそこそこ、スポーツは大の得意。
ノリのよさが天下一品のため、同級生だけでなく上級生や下級生にも『お祭り要員』として可愛がられ、慕われている。
いつでも楽しそうな顔をして、知らない相手ともすぐに仲よくなれるというのは、たしかに彼の美点だと思う。
だが、高校二年生になってもいまだに落ち着きのかけらもなく、教室の中で堂々と「好みのタイプは、やっぱ可愛くて胸がでかくて、すぐにヤらせてくれそうな子だな!」と大声で言うのは、さすがにちょっといかがなものか。
周り中の女子から「うわ、サイテー」という目で見られていたけれど、男子からは「勇者よ……!」と背中を叩かれまくっていた。
バカにエロを足すと勇者になるなら、このクラスの男子は全員勇者ということか。
世界のひとつやふたつやみっつ、平気で救えるかもしれない。
それでも千葉は、黙っていればやんちゃ系の美少年という枠にギリギリ滑りこめる程度の見た目をしていたため、なんだかんだ言いながらも女子たちからは人気があった。
告白する少女もかなりいたようだが、彼と付き合いをはじめても長続きは滅多にしない。
響の知る限り、最短記録は一日半。
お付き合いをはじめた翌日、千葉が『彼女』となったばかりの少女と一緒に帰る約束を忘れ、友人たちとカラオケに行った時点で終了していた。
ほかの少女たちにしても、千葉に告白して付き合いをはじめたものの、彼がまったく彼女らを特別扱いしないことに呆れて終了する、というパターンばかりだったと思う。
たまに長続きすることがあっても、そうなると千葉のほうが「重い」と言い出して終わりになる。
そんなことまで、教室の中で堂々と語っているのだから、本当に彼はデリカシーがない。
――そりゃー、可愛い子に好きって言われるのは嬉しいし? 最初のうちは、一緒にいるだけで楽しいんだけどさー。女の子って付き合いが長くなると、カレシには自分を最優先にしてくんなきゃイヤッ! みたいなこと、絶対言うじゃん?
――オレ、あれすっげー苦手なんだよね。カノジョのことは、フツーに大事にしたいなーって思うよ? でも、オレにだって都合とか、やりたいこととかあるのにさぁ。いつでもどこでもカノジョ最優先なんて、それこそフツーにできるわけないじゃん。
――あと、あれ。黙って泣きそうな顔をしてれば、絶対オトコが謝ってくるって勘違ってる系が一番ヤダ。言いたいことがあるなら、口で言えっていっつも思う。泣き真似するくらいなら、ガチ泣きしながら殴りかかってこられたほうが、万倍マシ。そのほうが、全然本気っぽいし。
千葉のそんな言い分を聞いて、男子たちは至極納得した様子で「だよなー」だの「いや、拳でわかり合えるのは、少年漫画の中だけだからな!」だのと言っていた。
女子たちは、それぞれ複雑な顔をしていたと思う。
口では「カレシに自分最優先にしてもらいたいのなんて、当たり前じゃない」「まぁ、泣き真似は女子目線でも引く」「でもほんっと、千葉って乙女心がわかってないよね!」などと言っていても、彼が口にしているのが、紛れもない本音だとわかっていたからだろう。
千葉はバカだ。
彼は、自分が思った通りのことしか言わない。
だから、愛される。
彼は、嘘をつかないから。
だから、嫌われる。
彼は、人が言われたくないことを平気で言うから。
響は、そんな彼のことが好きだった。
理由なんて知らない。
きっかけなんて、覚えていない。
ただ、中学三年のときに同じクラスになって、それからの一年でいつの間にか好きになっていた。
初恋なんて、そんなものだと思う。
クラスで人気のある男子に憧れて、その憧れがいつの間にか恋心に変わっていた。
そんなありふれた――だけど、一生に一度の、はじめての恋。
好きになった相手だから、響は千葉のことをいつも見ていた。
もちろん、それほどあからさまにではなかったつもりだ。
けれど、好きな相手をつい目で追ってしまうのは、恋する乙女としては仕方がないことだろう。
だから、知っている。
千葉は思った通りのことしか言わないけれど、思ったことをすべて言っているわけではないこと。
言った相手が本当に芯から傷ついてしまうようなことを、彼は絶対に口にしない。
そんなところが、やっぱり好きだな、と思った。
千葉はたしかに、人が言われたくないことを平気で言うけれど、それはいつも、その相手が何かを間違えているときだ。
自分の過ちを正面から指摘されれば、人はイラつく。
だから、普通の人間はそんなことを口にしない。
相手にいやがられるのをわかっていて、それでも本当のことを言う彼を、やっぱりバカだと、そしてすごいな、と――好きだな、と思った。
それでも響は、彼に『好き』なんて言うつもりはなかった。
千葉のことは好きだけれど、自分が彼の特別になれるなんて、想像することもできなかったから。
彼が、響の気持ちに気づいているらしいことは知っていた。
時折目が合うと、気まずそうに逸らされることが何度かあったから。
響も、千葉も、まだまだ子どもで――大人たちみたいに、上手に気持ちを隠すことなんてできない。
元々、成就させるつもりのない恋。
だけどやっぱり好きだったから、『好き』という言葉の代わりに、一度だけ言った。
――千葉が、後輩だったらよかったのになー。
――は? なんだよ、それ。
――あんたの救いようのないバカさ加減も、年下だったらまだ許せただろうなってこと。
――うっせー、うっせー! ばかって言ったほうが、ばかなんですぅー!
響だってまだまだオコサマなのだけれど、彼に恋をしたぶん、少しだけ彼より大人になれた。
恋が必ず叶うものではないと知ったぶん、一歩だけ彼より先に進んだ。
響がもっと大人で、千葉がもっと子どもだったなら、もしかしたら彼が望むような『好き』をあげられたかもしれない。
けれど、どうしたって今の自分たちは、同い年の、ただのバカな子どもでしかなかった。
……だから。
「あのねぇ、千葉。そーゆーことは、好きな女の子に言いなさい」
あきれ返った気持ちを隠すのも面倒で、ため息まじりに響は言った。
千葉が、きょとんと目を丸くする。
「へ? だっておまえ、オレのこと好きだよな?」
「うん、好きだね。大変不本意ながら、中学の頃から大好きだね」
厳かに言うと、千葉が赤くなりながら顔をしかめるという器用なことをした。
「不本意って、なんだよそれ?」
「えー。だって、よりによって千葉だよ? 好みの女の子のタイプが、胸がでかくてすぐにヤらせてくれそうな子、の千葉だよ? こんなんが初恋の相手とか、わたしは自分で自分が可哀相すぎるわー」
さめざめと悲しげに言う響の言葉に、クラスメイトの誰かが噴き出す。
教室の空気が、少し軽くなった。
まったく、このデリカシー皆無のバカのせいで、響ばかりが大人にならなければならない。
不公平にもほどがある。
それでもやっぱり好きなのだから、本当に恋心とは厄介だ。
はぁ、とため息をついて響は言う。
「あのね、千葉。わたしは、たしかにあんたが好き。でも、絶対にあんたのカノジョにはなりたくない。なんでかわかる?」
「……わかんねーよ」
むっすりと顔をしかめる千葉の前に、響は軽く人差し指を立てて見せた。
「あんたがわたしを好きじゃないし、これから好きになることもないからだよ」
わかるかなー? と、首を傾げて響は言う。
「わたしは、自分のことを好きじゃない相手と付き合うほど、暇じゃない。ついでに言うなら、そんな奴に乙女のハジメテを捧げるとかねぇ。ナイわー。マジでナイわー」
千葉の目が、まん丸になる。
その驚きようが、少しおかしい。
思わず笑って、響は言う。
「あんたがなんで、こんなトチ狂ったことを言い出したのかは知らないけどさ。わたしは、わたしの初恋を大事にしたい。だから、あんたと付き合って、あんたの歴代カノジョさんたちみたいにポイ捨てされるのは、ちょーっとごめんこうむりたいのだよ。……そーゆーわけなんだけど、ご理解していただけましたかな? 千葉くん」
千葉が、ぐっと眉根を寄せる。
きっと彼は、響に自分の望みを断られるなんて、まったく考えていなかったのだろう。
こんなバカを、こんなに胸が痛むほど好きな自分も、やっぱりバカだ。彼以上の、大バカだ。
「ま、仕方ないね。初恋は、叶わないものだって言うし。――あとねぇ、千葉? 一応言っとくけど、これ『付き合ってください』のシチュとしては、マジで最悪だから。わたし今、クラスの晒し者状態で、めっちゃ恥ずかしいから」
立てていた人差し指に中指を並べ、響はごすっと千葉の額を突いた。
その勢いに押されて仰け反った彼が、即座に戻ってくるなりぎゃあとわめく。
「っにすんだよ!?」
「はい、ブーメランブーメラン。それ、こっちのセリフねー。教室で公開処刑とか、ほんっと何してくれてんでしょうねー?」
冷ややかに言うと、千葉は言葉を詰まらせて視線を逸らす。
そんな彼の顔をのぞき込み、響はにぃっと笑ってやった。
「ねーねー、千葉。今、どんな気持ち? ねぇ今、どんな気持ち?」
「……っあーもう、最悪だわ! おまえ、マジで性格悪すぎ!」
はいはい、と軽く手を振って、響は立ち上がる。
それから、ちゅっと投げキッス。
「そんじゃ、余興はここまでってことで。――大好きだったよ? 千葉」
本当に、大好きだった。
だからもう、終わりにしよう。
ぼろぼろに傷つけられてしまう前に、きれいなままで大切な思い出にするために。
生まれてはじめての、恋だったから。




