俺はどうなるんだよ?
藤本は山道を走っていた。
腰にはロープが巻かれ、その先には丸太が結び付けられている。
ロープは堅く結びつけられ、引きずって走るしかない状況だ。
走るとゴロゴロという音が追いかけてくる。
山道の傾斜が体力を奪う。
丸太の重みで足が止まりそうになる。
すると、肩に木刀が叩きつけられる。
丸太の上に乗っていた小柄なオークが振るったのだ。
追い立てられるようにして、藤本はまた走り始める。
――これはなんだ? 俺はなにをしているんだ……?
藤本は滝つぼに立っていた。
水が体に叩きつけられ、寒さと痛みで肌の感覚がなくなってくる。
息をするのも苦しいくらいだ。
不意に気配を感じて、藤本は飛びのいた。
次の瞬間、藤本のいた場所に丸太が落ちてきた。
川底にぶつかり、ふたつに割れてしまう。
かなりの勢いだったようだ。
見上げると、小柄なオークが顔を覗かせ、丸太を持ち上げている。
オークが手を離すと、丸太が水の流れに乗る。
そのまま勢いよく、さきほどと同じように、藤本に襲いかかる。
水の中でもがきながら、藤本はそれを必死に避ける。
なんとか避けることに成功しても、休む余裕はない。
すぐに次の丸太が準備されているのが見えた。
――なんなんだ。俺はなにをしているんだ……?
藤本は目隠しをされ、耳栓を付けられていた。
もう滝の中ではない。
地面の上に立っているはずだ。
だが、なにも見えない。
なにも聞こえない。
そんななか、突然体に衝撃を受ける。
丸太だ。
丸太が叩きつけられたのだ。
よろめいて、倒れそうになる。
なんとか足をふんばって、体勢を立て直す。
ふと、何かを感じて、藤本は一歩後ずさった。
頬を風が撫でていく。
おそらく丸太がものすごい勢いで通り過ぎたのだ。
避けていなかったら、直撃していたはずだ。
無事ではすまなかっただろう。
しかも、まだこれで終わりではないようだった。
どこからか藤本を狙う気配がしていた。
光も音もない暗闇のなかで藤本は思う。
――俺は、本当になにをしているんだ……?
そしていま、藤本は広場にいた。
外周をオークたちが囲み、広場のなかにひとりだけ、小柄なオークが座っている。
藤本はそのオークと向かい合うようにして立っていた。
これから儀式が行われるとでもいうような、緊迫感が漂っていた。
「……なあ、川田。俺はなにをやってるんだ?」
「なにってお前、いまからオーク剣術皆伝のための最後の試練を受けるんじゃねえか」
「うん、なんなの、それ……? なんかいろいろやらされてたんだけど? 状況が全然わかんないんだけど?」
「おお? いままでやってたのは修行だろ? お前に剣の才能があるっていうんで、オークたちが協力してくれたんだよ。本当なら、オーク剣術とか教えてもらえないんだぞ。秘伝だからな。感謝しろよ?」
「ゴフッ」
「ああ、そうなんだ……。俺、オークがなに言ってるかとかわからないからさ、よくわからないまま無理やり罰ゲームみたいなことやらされてたんだけど、修行だったわけね……。うん、そうか……」
「あの師匠を倒せば免許皆伝だからな。がんばれよ!」
「ゴフッ!」
「うん、ちよっといいかな……」
藤本は川田の隣に座るオークに声をかける。
「ずっと言おうと思ってたんだけどさ、お前当たり前のように『ゴフッ、ゴフッ』って言ってるけど、なんにも伝わってないからな。俺はオークじゃないからな。俺には『ゴフッ』としか聞こえてないぞ」
「ゴフッ……!?」
「藤本、そんなこと言うなよ……。お前のことこんなに応援してくれてるのに……」
「いや、そんなのわからないし。だいたい俺は魔法を使いたいんだよ。剣の修行とか違うんだよな」
「うるせえよ! いまさら泣きごと言うなよ! 余計なことは考えずにがんばれよ!」
オークも力強くうなずいて、親指を立てている。
「ゴフッ!」
「あの……うん……。もうわかったよ……。俺の話は聞いてくれないんだな……。魔法を使いたかったんだけどな……」
つふやきながら、藤本は小柄なオークのもとへ向かった。
自分が負けるなどということは、かけらも考えていなかった。
互いに木刀を構えて、藤本とオークが向かい合う。
ふと、バターのように切れた岩のことを思い出す。
――岩があんなになっちゃったからな。木刀とはいえ手加減しないと……。
そう思いながら、無造作に木刀を振り下ろす。
オークはたやすくそれを受け止めた。
――さすがに止めるか。じゃあ、これなら。
藤本は腰を落として木刀を横凪ぎに振るった。
縦の攻撃から一転して横の攻撃。
最初からこれを意図していたような、なめらかな動きだ。
普通なら、素人にこんな動きができるわけがない。
――やっぱり俺には剣の才能があるのか。
あらためてそんなことを思いながら木刀を振り抜く。
手応えはなかった。
目の前にオークはいない。
嫌な予感が、藤本の首筋をチリチリと刺激していた。
背後に気配を感じて木刀を振るうが、空を切るだけだ。
木刀がギリギリ届かない位置に、オークが構えもせずに涼しげな顔で立っていた。
手のひらを上に向けて、くいくいっと指で藤本を手招きしている。
簡単に倒せると思っていたが、そうはいかないようだった。
――くそっ。
今度は思いきり降りかぶる。
だが、藤本の攻撃は見切られていた。
オークが足を引く。
そのわずかな動きで避けられてしまう。
そして隙をつくように木刀が振るわれる。
これを避けるために藤本が大きく飛び退いて、オークとの距離が開く。
何度も、これが繰り返された。
修行のおかげか、以前よりも藤本の体力はついている。
だが、攻撃するときも避けるときも、オークは必要最低限の動きしかしていない。
対して藤本は全身で踏み込み、全身で回避している。
持久戦になれば、どちらが有利なのかは火を見るより明らかだった。
そして、藤本はいままで一度も有効打を与えられていない。
このままではじり貧だった。
――ギリギリで避けるしかない。すぐに攻撃に繋げられればチャンスはあるはず……。
神経を張り詰め、一歩足を引くだけで木刀をかわした藤本に、オークが目を細める。
すぐに藤本が突きを放つ。
だが、やはりこれも、なんなく止められてしまう。
――まだ足りない。
からだを捻り、オークの木刀を避ける。
藤本の姿勢が崩れる。
この不自然な体勢からでは、攻撃の選択肢は限られる。
それにも構わず、藤本は木刀を振るう。
これも止められる。
だが、相手に余裕は与えていない。
オークの反撃には、さきほどまでの鋭さはない。
だから、避けられる。
――もっとだ。
木刀の切っ先が藤本の前髪を揺らす。
それでもさらに踏み込む。
攻撃し続けることで、プレッシャーを与え、なんとか均衡を保っている。
下がるわけにはいかない。
――ここで下がったら、終わりだ。
藤本は本能的に、そう感じとっていた。
攻め続ける。
それだけを考えていた。
集中力が増していく。
見えないはずの攻撃が、見えるような気がする。
動けと思う前に、もう体が動いている。
戦いのなかで、藤本にはただひと振り、勝利への道筋が見えていた。
理屈ではない。
ただそれを感じる。
本能が命じるタイミングで、藤本は木刀を振るう。
心の中には何もない。
ただ体が動いている。
そして――。
オークの手から木刀が落ちた。
カラン。
音ともに、オークが崩れ落ちる。
「おおおー! やったなー!」
川田が叫ぶ。
遅れて、周りのオークたちも叫ぶ。
「ゴフッ!」
オークたちの瞳には、非難も嫉妬もない。
あるのは勝者への賞賛、そして尊敬の念だけだ。
「ゴフッ!」
何度も叫びながらオークたちが駆け寄ってくる。
「おお、勝った! 俺は勝ったぞ!」
「すごいな、藤本!」
「ゴフッ!」
どこにこれだけいたのかという数のオークたちが、藤本を称えるために群がってくる。
「ああ、ありがとう!」
「ゴフッ!」
オークたちが藤本の周囲を埋め尽くす。
見回しても、藤本にはオークしか見えない。
動くこともできない。
「なあ……わかったから、もういいだろ」
「ゴフッ!」
「ゴフッて言っても全然意味がわからないし、ちょっと多すぎるだろ! どこから湧いてきたんだよ!」
「ゴフッ!」
「わからないって言ってるだろ。だいたいこんなに集まったら危ないだろ! オークの師匠はどこだよ! さっきその辺で倒れてただろ!」
「ゴフッ……」
「おい、いま誰か踏んだだろ! 誰かが踏んで止めを刺した声がしたぞ! どこだよ!」
「……」
「いや、答えろよ!」
こうして、この日、藤本はオーク剣術を受け継ぐことになった。