こんなところにいられ……いや、ちょっと待って!
「さっきから聞いてりゃあ、言ってくれるじゃねえか。ああ、ダークデスロード様は魔王だよ? 魔王だったらなんだっていうんだよ!」
語気を荒げる川田に、藤本は突き飛ばされた。
川田の力は予想外に強かった。
容赦なく、藤本はベッドに叩きつけられる。
「いや、川田、落ち着こう……」
藤本が言っても川田は聞く耳を持たない。
右足のスリッパを脱いで藤本に投げつけ、それから左足のスリッパを藤本に投げつけていた。
「魔王だからってよお、悪い人とは限らないじゃん。俺らすげえ世話になってるんだよ? なのに悪いやつだって決め付けやがってよ! てめえはよ!」
こぶしを振り上げる川田に、藤本は身を縮めるだけだった。
「だって、ファンタジーの世界で、魔王だよ……? 悪いやつに決まってるじゃん……。顔もこわかったし……。だから落ち着こう……」
「そんなのわからねえって言ってんだろ!」
川田が近くにあったいすを蹴りあげる。
その目は据わっていた。
瞬きもせず、藤本をにらみつけていた。
――ああ、これだめだ……。
この状態では、なにを言っても聞いてもらえそうにない。
――もしかすると、洗脳されてるのかもしれないな……。
それほどに、川田の反応は異様だった。
「よし……わかった。川田はそう思うんだな。なら、お前はそれでいいよ」
「おお、そうだよ。やっとわかったか」
「でも、俺は違うからな」
「はあ?」
「俺はここを出ることにする。このままここにいたら、魔王の手下にされるかもしれないしな。殺されるかもしれないし」
「なに言ってるんだよ、お前」
ゆっくりと、見せ付けるようにして、藤本は荷物をまとめ始めた。
藤本の突然の行動に、川田は戸惑っているようだった。
――川田、これで考え直してくれ。
これは藤本の作戦だった。
出て行くと宣言することで、川田に冷静さを取り戻させる。
うまくいかないかもしれない。
場合によっては、このまま本当に出て行くことになってしまうかもしれない。
それならそれで仕方がないと藤本は考えていた。
――カバンは……あそこか。あと、靴と……。
ひとつずつ、自分の荷物を探す。
体がまだ思うように動かなくて、時間がかかってしまっていた。
それも作戦には都合がいい。
藤本の様子を、川田はじっと見つめている。
次第に張り詰めた空気が消えていった。
「なんでだよ……」
ポツリとつぶやいて、川田がいすに座った。
瞳は色を失っている。
力なくうなだれて、震える手をゆっくりと持ち上げている。
そして、頭を抱えてしまった。
川田の言葉には答えずに、藤本は淡々と荷物の準備を進めた。
「なんで……わかってくれねえんだよ……」
独り言のように、川田がつぶやく。
藤本は返事をしなかった。
――もうすこしだ。もうすこし冷静になれば、きっと川田も考え直すはずだ。
そう思いながら、自分の荷物を集めていた。
「だから言いたくなかったんだよ……。すげえいいひとなのに……。住むところも用意してくれたし、飯だって食わせてくれたし、あと……身の回りの世話をしてくれる女の子も紹介してくれたし」
ぴたりと藤本の手が止まった。
――女の子も紹介してくれたし!?
ベッドに座りなおし、川田と向かい合う。
――異世界の、女の子だと……!?
荷物をまとめている場合ではなかった。
「えっと、川田くん。もうすこし詳しく話を聞こうか」
「はあ?」
「いや、いま言ってたの、詳しく話してみてよ」
「……お前はもう出て行くんだろ。話しても意味ないだろ」
「いやいやいや」
と藤本は首を振る。
首のしたの贅肉がブルンブルンと揺れた。
「俺、まだ出て行くって決めてないからね。出て行こうかなーと思っただけで、ぜんぜん決めてないよ。どっちかに気持ちが傾いてるってわけでもないし、なんなら出て行かないほうが強いからね? 出て行こうっていうのは、ほとんど冗談みたいなもんだからね」
「……無理しなくていいよ」
「無理じゃない。川田くん、無理じゃないよ。だって俺ら親友じゃん。いま出て行ったら、親友と会えなくなるかもしれないんだよ? そんなこと簡単には決められないよ。川田くんからもう少し詳しい話を聞いてから決めるよ。もし俺の誤解だったとしたら、誤解したまま会えなくなるなんて寂しいじゃん。だから、ちゃんと話そう。話してよ」
「おお……? そうか……俺たち……親友か」
川田は藤本の言葉をたしかめるようにうなずいていた。
その目に輝きが戻る。
「よし、じゃあ、ダークデスロード様がいいひとだっていう話をしようか!」
「いや、ちょっと待って。さっきもう少し具体的な話を言いかけてたじゃんか。あれを聞かせてよ」
「え? 住む場所を用意してくれた話?」
「うん、それも言ってたけど、それじゃないね。ほかにあったよね?」
「ええ? 食事を用意してくれた話? そうそう、ここの食事がすごくてさ――」
「うん、それも後で聞くけど、それじゃないね。ほかにあったよね?」
「はあ? えーと……女の子を紹介してくれた話?」
「それだね! その話を聞かせてよ」
藤本が川田に詰め寄る。
「おお? まあいいけど」
川田は不思議そうな顔をする。
藤本は食い入るような目つきで、その口が開くのを待ち構えた。
「あのな、この宮殿すげえ広いじゃん。で、ここで働いてるひともすげえ多いの」
川田がぽつぽつと語りだした。
「働いてるひとのなかには女の子もいて、もちろん人間だけじゃなくて、エルフとか獣人の女の子もいるんだ。で、そのなかから6人くらい俺の身の回りの世話をしてくれる子を選んでいいよって言われたわけ」
「6人! そんなに選んでいいの!」
「まあな。そうは言っても、そういうのはどうかなーと思ったんだ。別に必要ないし。でもダークデスロード様がどうしてもって言うし、あんまり断るのも失礼だから、とりあえず見に行くことにしたわけ」
「うん、そりゃあ見に行くよね」
「ああ……で、地下の仕事場まで見に行って、女の子を探したわけ」
「えっ? 地下で働いてるの? メイドとかそういうのじゃないんだ」
「おお、そうだよ。メイドじゃないよ。なんか会社の方針で、みんな地下で働いてるんだよ。足に鎖とかつけて働いてるの」
「うん、それは奴隷だね……。会社じゃないでしょう……」
「いや、普通に働いてるだけだって。食事もちゃんと与えてるって言ってたし」
「もう、その言い方が奴隷なんだけど……。まあいいや、それで?」
「で、話を聞いたら、なんか会社の方針で、俺の世話をするのを断ったら殺されるらしいんだ」
「うん……完全に奴隷だね……。絶対会社じゃないよね……」
「うるせえな……。すこし黙って聞いてろよ。……それで、会社の方針とはいえ、殺すとか脅されてるひとに嫌々身の回りの世話されたくないじゃん」
「そりゃあ無理やりっていうのはねえ……。いやまあ正直それはそれでありですけれども、ええ嫌いじゃないですけれども、ひひ」
藤本が不気味な笑みを浮かべる。
川田は虫けらでも見るような目つきで藤本を見つめた。
「……だから、この話は断ろうとしたわけ。そしたら、女の子たちのほうはすげえ乗り気になってて、『いいの? 本当にいいの?』って何度も確認したんだけど、もう向こうは俺についてくるつもりでいるの。『ずっと一緒にいたい』とか言ってくるの。地下の職場環境があんまりよくないから配置替えしたいっていうのもあると思うんだけど、そういう反応されたら、悪い気はしないじゃん」
「そうだね! うんうん、それで?」
「……それで、ちゃんと相手の了承も得て、不公平にならないように各種族からひとりずつみたいな感じで6人選んだわけ」
「おーバラエティー重視だ。いいじゃんいいじゃん。ひゅうー! 盛り上がってきたねー! やっぱりねえ、せっかく6人選べるんだったらいろいろ選びたいよねー! 川田くんわかってるね! やるね、このっ!」
「お、おう……」
藤本のテンションに川田が引きつった表情になった。
藤本から離れるように、いすをずらしている。
「で、どうだったの?」
「うん、それで、いまは身の回りの世話をしてもらってる。それだけ」
川田がうなずきかける。
藤本は、口の周りをてかてかと光らせながら、大きく首を横に振った。
皮膚を流れ落ちる液体が、汗なのかよだれなのかの判別はつかない。
その両方かもしれない。
とにかく藤本の顔は光っていた。
「ちがうでしょう、川田くん。どうだったのよ?」
「は? どうって?」
「いやあー、じらすねえ。どうだったのよ! 教えてよ!」
「はあ? え、なに?」
「またまたあ、川田くん。しらばっくれちゃって、この!」
言いながら、藤本は身を乗り出して、川田の膝をさすった。
川田は眉をひそめて、自分の膝の藤本が触った部分を見つめていた。
軽く手ではらっている。
そんなことは気にせず、藤本はさらに身を乗り出して、川田に小声で尋ねる。
(で、どうなの? やったの? んん?)
(ああ……まあ、なんかそういうことになったっていうか……)
「はあー! やったのか、川田くんやっちゃったのかい!」
「……いや、うん……」
「いやー、いいねえ、大人の仲間入りかい。そうか、川田くんがねえ。そうかいそうかい」
「……」
「うらやましいねえ。俺が寝てるあいだにそんなことがあったのかい。6人も、うひっ、そこらへんの話をさ、もっと詳しく――」
「……あのー、もう話は終わったし、俺部屋に戻るわ……。なんか……また明日な……」
川田はすでに立ち上がっていた。
「いや、待って! 待ってよ!」
慌てて藤本が呼び止めた。
ベッドから転がり落ち、そのまま川田の足をつかむ。
「終わってないでしょうよ。一番大事な話がまだじゃん」
「なんだよ、しつこいな……。お前マジで気持ち悪いんだよ……」
「気持ち悪いって、そんな。それより俺は! 俺の! 俺の女は! 俺にも選ばせてくれるんだろ!」
汗とよだれで顔を光らせながら、自分を指差し、にやにやと不気味な笑みをうかべて、藤本は「俺の女! 俺の女!」と繰り返していた。