そいつは魔王だよ!
「あー、そうだっけ? お前もとからこんな顔だっけ? ああ、そっか。そうだったかもな」
どこか納得のいかない表情で、首をひねりながら川田が言う。
「そうだっけじゃないよ! もともとこうだろ! 知ってるだろ! 川田、お前、俺がオークになったって言ったよな。それって俺の顔を見て豚の化け物だと思ったってことだよな……。おい! ふざけんなよ!」
「いや、俺もいきなりこんな世界に来て混乱してたからさ、勘違いくらいするよ。あながち間違ってないんだし、しょうがないじゃん」
「あながち間違ってないってどういう意味だよ!」
「ああ、もう……悪かったよ。すまん、藤本」
川田が頭を下げる。
川田に悪気がないことは、最初からわかっていた。
悪気がないから、素直に頭を下げられる。
そして、一切反省はしない。
そういうやつなのだ。
――こいつにはなにを言っても無駄だ……。
藤本はため息をつくしかなかった。
「……もういいよ。ところでここって――」
藤本は部屋を見回した。
――さっきも思ったけど。
どう考えてもここは病院ではなかった。
――王宮……なわけないよな。
だが、そう考えてもおかしくはないほど、部屋の内装には高級感があふれていた。
ここがファンタジーの世界だというなら、あるいは本当にそういう場所なのかもしれなかった。
「なあ、俺がいるここは、どういうところなの?」
「ここは、さっきも言ったけど、俺たちが世話になってる人の家だよ。宮殿みたいなもんかな」
平然と川田が答える。
さきほど暴言をはいたことは、すっかり忘れてしまったような態度だった。
――気にしたらダメだ……。
藤本は自分に言い聞かせる。
「うわ、やっぱり金持ちの家なんだ? 貴族?」
「うん、貴族っていうか……とにかくすげえ金持ちだよ。この宮殿のなかを見て回ったらびっくりするぞ。めちゃめちゃ広いから。部屋もいっぱいあるし」
「へえー、どんなひとの家なの?」
「ああ、そうそう。いま俺らが世話になってる、この宮殿の主はダークデスロード様だ。ちゃんと覚えろよ。忘れんなよ」
「ダークデスロード? それ名前?」
「そう、名前だよ。変わってるけど、まあファンタジーの世界だからな。これで合ってるはず……」
川田はポケットから取り出した紙を見つめてうなずいた。
「うん。まお……ダークデスロード様だ。合ってるよ」
慌てた様子で紙を丸めてポケットに入れていた。
「見ず知らずの俺たちを拾って、住む部屋を用意してくれて、食事もちゃんとしたものを用意してくれて、すげえいいひとなんだよ」
「そういえば、俺、寝たきりだったんだよな」
「そう。その間の世話もしてくれてたんだよ。いいひとだろ?」
たしかに、と藤本はうなずいた。
もとの世界の日本でも、そこまで親切にしてくれるひとはなかなかいないだろう。
見ず知らずの少年二人、しかもひとりは意識がない。
――普通なら、関わりあいになりたくないって思うよな。
面倒だからとほうっておくこともできる。
なのに、ダークデスロードは助けてくれたのだ。
「一回ちゃんとあいさつしとかないと……」
「うん、まあお前は意識がなかったからな、それは仕方ない。これからあいさつすればいいよ。大丈夫、ちょっと強面だけど、いいひとだから」
なぜか川田は「いいひと」という言葉を連発していた。
――それだけ世話になったってことか。
藤本が寝ているあいだ、川田には川田なりの苦労があったのかもしれない。
何もしないで、こんな待遇を受けられるはずもない。
きっと助けてもらえるように頼んでくれたのだろう。
必死に頭を下げる川田の姿が浮かぶ。
迷惑をかけてしまったのかもしれなかった。
――とりあえず、ダークデスロード様にはお礼を言っておかないとな。それと、あとで川田にもお礼を言わないと……。
藤本がそんなことを考えていると、トントン、とドアを叩く音が聞こえた。
川田がドアを開き、頭を下げている。
「あっはい。さっき起きたところです。大丈夫です。すいません、わざわざ来ていただいてありがとうございます。はい、こちらです」
――うわ、ダークデスロード様だ……。もう来ちゃったよ。
ベッドに寝たままでいいのだろうかと思ったが、いまさら間に合いそうにない。
まだ体の調子も万全でないようだった。
無理に立とうとすれば立てるのだろうが、腰に力が入らない。
――意識が戻ったばっかりだし、これくらい大目に見てくれるか。
そう考えて、藤本はベッドから上半身を起こした状態で、ダークデスロードが部屋に入ってくるのを待つことにした。
ドアが、静かに開いていく。
それだけで、背筋を何かが這い回っているような、ゾクリという感触が駆けめぐっていた。
――なんだよ……これは……。
ドアをくぐって入ってきたのは異形の化け物だった。
背の高さは3メートルほど。
横に並ぶ川田はその肩にも届いていない。
革ジャンのようなものを着ているが、胸板が厚すぎてはちきれそうだ。
体のいたる部分がでこぼこに膨らみ、フジツボのようになっている。
すべて筋肉なのだろう。
足を踏み出すたびに、その重みで頑丈そうな床が音をたてている。
小さな肉食獣という印象だった。
そしてなにより目を引くのは――。
――顔が三つある……!?
ひとつの頭の左右と正面に、それぞれ違う表情をした顔が張り付いていた。
もしかすると後ろにも顔があるのかもしれない。
だが、藤本の位置からそれを確認することはできなかった。
三つの顔が、藤本を捕らえる。
表情は違えどすべて感情が宿らない、作り物のような顔。
その肌は青く、その目は真っ赤に染まっていた。
――おいおい……俺を、どうする気だよ……。
化け物が近づいてくる。
巨大なこぶしがゆっくりと藤本に向かう。
缶コーヒーほどの太さのある指が動き、藤本の胸をちょんとついた。
そして、三つの顔が軽くうなずいていた。
藤本はただ震えているだけだった。
一言も発することができなかった。
視線を合わせることなど、とてもできなかった。
圧倒的なプレッシャーを感じて、不用意に動くことすらできなかった。
気がつくと、もう顔合わせは終わっていた。
ダークデスロードはすでに去り、部屋には川田しか残っていない。
「……おい、川田」
「まだ本調子じゃないみたいだし、ゆっくりしていけってさ。なんならずっとここに住んでもいいってダークデスロード様が言ってたぞ。よかったな」
「よかったな、じゃねえよ! なあ、川田。ぜんぜん話が違うじゃねえかよ!」
「はあ? なにが?」
本当にわかっていない様子で川田が聞き返す。
「顔だよ、顔。あんなのが来るって聞いてないぞ」
「いや、だからちょっと強面だって言ったじゃん」
「強面どころじゃねえよ。あれは化け物だよ!」
「お前さあ……よくひとのこと言えるよな」
「俺の話はいいんだよ……俺は化け物じゃねえよ! それより川田、ダークデスロード様ってもしかして魔王じゃねえの?」
藤本は思わずそんなことを口走っていた。
見た目が怖いというだけではない。
ダークデスロードの立ち振る舞いから、風格やカリスマといったものを感じ取っていたのだ。
――あんなの、ゲームでいったらラスボスだろ……。
それで、出てきた言葉が「魔王」だった。
「はあ? なに言ってるんだよ、いきなり」
川田がおおげさにあきれた顔をする。
「藤本、お前寝ぼけてるのか?」
「いや、だってさ、顔が三つだよ? でかいし目も赤いし、めちゃめちゃ強そうだし」
「まあ強そうなのはたしかだけどさ」
「それに、体からなんか黒いオーラが出てただろ。俺には黒いモヤモヤがはっきりと見えたぞ?」
「うーん、ちょっとは出てた……かな」
「だろ? あんな化け物そうそういないよ。きっと魔王だよ。そもそもダークデスロードって、完全に悪いやつの名前だろ?」
「ファンタジーの世界なんだから、そりゃあ、たまには黒いオーラが出るひともいるよ。そういう体質なんだろ。あと、ひとの名前を悪く言うなよな。失礼だろ」
「いくらファンタジーの世界でも、黒いオーラが出る体質のひとなんていないよ! いるとしたら、そいつは魔王だよ! 絶対ヤバイって!」
「もう……そんなわけないじゃん。俺たちすげえ世話になってるんだよ?」
諭すように川田が言う。
だが、長い付き合いの藤本にはわかってしまった。
――川田の様子がおかしい。
藤本と目をあわせようとしない。
それになにかを隠しているような、歯切れの悪いしゃべり方だった。
「ちょっとお前、さっきの紙を見せてみろよ」
「あ、おい、やめろよ」
川田が身をかわそうとするが、間に合わない。
藤本はすばやく川田のポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃに丸められた紙を取り出した。
ダークデスロードの名前が書かれたアンチョコだ。
「うん、なになに……『魔王ダークデスロード様』って、思いっきり魔王って書いてあるじゃねえかよ! お前知ってたろ!」
「ちっ……」
「ちっ、じゃねえよ! なんで俺たちは魔王なんかのところにいるんだよ! すぐに逃げ出さないと殺されるかもしれないぞ! あいつめちゃくちゃ悪そうな顔してたからな。なにされるかわからないぞ!」
「……うるせえな。さっきから……」
川田の表情が変わる。
目が細くなり、藤本をにらんでいた。
そして、腕を伸ばして――。
「知ってたよ。魔王だったらなんなんだよ! 文句あんのかよおおお!」
藤本の胸倉をつかんで叫んだ。
体がベッドから浮いてしまっている。
「えええ? 川田、お前どうしちゃったんだよ……」
――なんで怒るんだよ……。
藤本には川田の言動がまったく理解できなかった。
心の中で、川田への不信感が広がっていった。