俺は、オークじゃねえし!
「俺には魔法が使えないって、どういうことだよ! ケチってないで教えろよ!」
「まあ、待て。焦るな。いいか、藤本」
川田が人差し指を立てながら、口を開く。
「お前にもわかるように、ひとつずつ説明するからな。よーく聞けよ」
藤本はうなずいた。
――ここはとりあえず素直に川田の話を聞くしかないか。
すでに川田はこの世界で三週間ほど過ごしているらしい。
さきほど意識が戻ったばかりの藤本よりも、はるかにこの世界のことに詳しいはずだ。
ならば、川田の話は聞いておく価値があるはずだった。
「ああ、聞かせてくれ」
「いい返事だ。いいか、まず、ここはファンタジーの世界だ」
「そう、そうだよな! ファンタジーの世界だ! だって魔法があるもんな!」
藤本は目を輝かせた。
川田の見せた魔法が、いまだに脳裏に焼きついて離れていなかった。
何もないところから、突如として生まれた、煉獄の炎。
藤本の前髪を焦がしたほどの灼熱。
それを川田は自在に操って見せたのだった。
――はやく魔法の使い方を教えてくれ!
藤本の胸のうちの叫びが聞こえたわけではないだろうが、川田が「落ち着け」というジェスチャーをする。
「この世界のことを、現地のひとたちは『アルフレシア』っていうんだ」
「ア……ルフ……」
「覚えられなかったら、またあとで教えるからな。お前にはちょっと難しいかもな」
優しい声で川田が藤本を馬鹿にする。
「それでだ、このアルフレシアの住人は、人間だけじゃない。いろいろな種族がいるんだ。わかるか?」
「ああ……えっと、エルフとか!」
「そう。エルフもいるし、ドーワーフも獣人もいる。俺はもう実際に会ったからな。この世界には人間以外の種族がいる。これは間違いない」
「本当にファンタジーなんだな! エルフってかわいいんだろうな! 会ってみたいな!」
川田の説明に、藤本のテンションは上がりっぱなしだった。
――魔法が使える世界か。
それは藤本が夢にまでみた、あこがれの世界だった。
――いったいどんな世界なのか、自分の目で確かめてみたい。
この世界での生活に、期待が膨らんでいく。
デブでブサイクで頭も悪く、友達もほとんどいなかった藤本にはもといた世界に対する未練などなかった。
あのまま生きていてもどうせ地獄だった。
だからこそ、新しい世界での生活に希望を抱いてしまう。
――いったいどんな冒険が待っているんだろう。そして、俺はどんな魔法が使えるんだろう。
藤本の妄想をよそに、川田は説明を続ける。
「うん、まあエルフはかわいいよ。それで……お前のことなんだけど……」
そう言うと、うつむいて頭をかきはじめた。
藤本はじっと川田がしゃべるのを待つが、なかなか言葉が続かない。
ひどく言いづらいことを言おうとしているようだった。
浮かない表情だ。
それはめったに見せることのない、川田の真剣な表情でもあった。
「どうした、川田。なんか変だぞ。お前らしくない。いいからなにがあったか教えてくれよ」
「うん……」
「俺に言いにくいことか? 気にしないから言ってくれよ。お前、いつも何も考えずに暴言をはいてるだろ。なんでいまさら気を使ってるんだよ」
それでも川田はためらっているようだった。
――川田がこんなに真剣になるっていうのはよほどのことなんだろうな。心の準備をしたほうがいいかもしれない。
そう思ったが、川田がなにを気にしているのかは藤本にはわからなかった。
「ああ、そうだよな……。いまさら気を使うなんて変だよな……」
川田は大きく深呼吸をすると、藤本の瞳をまっすぐ見つめた。
「あのな、お前は、この世界に来るときに、人間以外の種族になったんだよ」
「人間以外の種族?」
言われて、藤本は自分の体を観察した。
どこも変わったところはない。
見慣れた自分の体だった。
「俺は人間じゃなくなったってことか? エルフとか?」
「いや、エルフじゃないよ……」
「じゃあなんだよ?」
「お前は……オークだ。だから、魔法は使えないんだ」
「オーク?」
藤本はオークの姿を思い浮かべた。
――ゲームの中でしか見たことはないけど……。
まず、鼻がでかい。そしてつぶれている。
目は垂れ下がっている。肉厚のまぶたの隙間から見える瞳は、にごっている。
口元はだらしなく緩み、よだれを垂れ流している。
藤本の知るオークは、このようなイメージだった。
「なあ……オークって豚の化け物みたいなやつだよな?」
「ああ、そう! それだ! 豚の化け物って言うとわかりやすいな!」
うれしそうにうなずく川田とは対照的に、藤本の気持ちは沈んでいった。
――俺は、豚の化け物になったのか? だから、人間にしか魔法が使えないこの世界では、魔法が使えないっていうのか!?
手の指は、ちゃんと五本ある。
肌の色も前と変わらない。
だが、肝心の自分の顔を確認することができなかった。
川田が言う。
「鏡を……持ってきたんだ」
姿を見ることができないように、裏返しにしたままの鏡を、川田が差し出した。
「お前が嫌だったら、見なくてもいいと思う。……どうする?」
「鏡か……」
見たくないなら見なくていい。
藤本に選ばせるために、川田は鏡を裏返しで差し出したのだ。
その気遣いをうれしく思いながらも、藤本の気持ちはさらに沈んでいく。
本物の化け物になった自分の姿を見たいとは思わない。
ただのブサイクとはわけが違う。
――だけど、だからってこの先ずっと鏡を見ないで生きてくことは、できないんだろうな……。
そう考えて、鏡を受け取る。
「……なあ、川田」
「なんだよ?」
「いまから自分の顔を見るけどさ、お前、ここにいてくれよ。俺ひとりじゃあ、不安で鏡を見ることなんてできないよ……」
鏡をもつ手は震えてしまっていた。
気持ちを落ち着けるために何も考えないようにしているのに、豚の化け物の顔が浮かんでしまう。
豚の化け物でありながら、自分の面影が残っている。
そんなイメージを振り払うことができない。
鏡をのぞきこめば、すぐにその化け物と向き合うことになるのだ。
不安が膨れ上がっていく。
鏡のなかの化け物は、きっと情けない顔で見つめ返すのだろう。
川田は藤本に優しくうなずいた。
「もちろんここにいるよ。俺にはこんなことくらいしかできないけどさ。力になれるんなら、そばにいるよ。だって、俺たち親友だろ」
「川田……」
――ありがとう。
そう思いながら、藤本は鏡を表に向けた。
化け物になってしまった自分を見るのは恐ろしい。
――だけど、川田は変わらずに接してくれている。
勇気を奮い立たせて、藤本は鏡を覗き込んだ。
自分の顔を見つめる。
そして、口を開いた。
「これは――」
思わず声に力がこもる。
「これは、俺だよ! オークじゃねえよ! もともとこういう顔なんだよ! 知ってるだろおおお!」
藤本が見たもの――鏡に映っていたのは、見慣れた自分の姿だった。
オークじゃないのです……。