不羇の狼と桎梏の犬
イソップ寓話やラ・フォンテーヌ寓話に書かれた『狼と犬』の噺に、多数の考察を基に自分なりの解釈を加えたものです。
寓話では狼に焦点が当てられていますが、犬のほうにも別の意味を持たせました。
犬だって毎日頑張っていますよね。
今わたしは、友である小海と街の本屋にいた。
久々に外出許可が下りたので、イーリスとどこかへ遊びに行こうかなあなんて考えていたのだけれど、残念ながらイーリスは忙しいようで都合がつかなかった。
仕方ないので、ちょうど暇だった小海と街へ繰り出してきたわけだ。まだ出会ってから一年も経っていないのに、同い年ということもあってか小海とはなぜだか気が合う。
もっとも、今のわたしの外見は十歳程度なので、傍から見たら中学生と小学生の二人組としか思われないだろう――
「――って、今お前誰だよって言ったな! あーあー、二年ぶりに出たからってあんまりだー! 本編全然進めないで関係ない短編ばっかり書く奴のせいで僕の存在感はまるで燃え尽きた蝋燭の火のように消えゆ」
「うるさいな。あんた何言ってんの?」
本を手に取った小海が怪訝な顔つきで言った。
「はっ、今僕は何を」
「ねえ清火、何がいいかなあ、読書感想文の本。わたし小説って苦手なんだよねー。字が多いとだめ。無理。だいたい小説って全然『小』じゃないと思わない? 長いじゃん。大説だよ大説」
「確かに! 何万文字もあるのに『小』ってのはおかしい! さすが小海、今まで誰も気づかなかったことに気づくとは!」
「ふふ、騒ぐな清火。きっと最初に小説という言葉を考えた人も、わたしと同じように長い文章が苦手だったに違いない」
本棚に囲まれた通路で、小海は腕を組んで思慮深そうな表情をした。だが実際に何か深いことを考えているわけではない。
そこでわたしは提案した。
「よし、じゃあ小海も『大海』って名前に変えよう!」
「えっ」
「小海さんの器の大きさを考えれば、やっぱり小ってのはおかしい。おおうみ、もしくは、たいかい。千代大か――」
「やっぱり小説は小説のままでいいよね、うん。わたし、小説って響きが好きだし」
本の森を切り拓きながら、学校の課題で出された読書感想文の題材を探す小海。
そこでわたしは再度提案した。
「ねえ、何も長編小説じゃなくてもいいんじゃないの? 短い物語とかたくさんあるじゃないか。ほら、短編集とか童話とか、詩集とか」
「なるほど。何か適度な長さで深いこと突いてる話ってないかな?」
「そんな都合のいい本があってたまるか。――んと、これなんかは? 分厚いけどいろんな噺が集められてるんだってさ」
店の隅に追いやられた本棚、一番下の段の一番端。
掠れて筆者も読み取れない、古びたハードカバー。
星の数ほどある本の海から、わたしはその〈寓話集〉を拾い上げた――
『The Wolf and the Dog』
夜の森。
痩せこけて、骨と皮ばかりのオオカミが獲物を求め彷徨っていました。
残されたわずかな体力を振り絞り、生きるため、闇の中を這うように進むオオカミ。
するとそこに――大きなイヌが現れました。
肉付きがよく、毛並みも色艶もオオカミのそれとは比べものになりません。
勇ましく、今にも向かってきそうなイヌです。弱ったオオカミではとても勝てそうにありません。
そこでオオカミは、腰低くイヌに取り入り、見事な体躯だとお世辞を使いました。機嫌をよくしたイヌは自慢げに言います。
「おれのようになりたきゃ、おれについてきな。――いいか、森を出るんだ。ここじゃ君達、哀れなものさ。食うや食わずで、乞食と同じ、飢え死にしかねないじゃないか。決まった餌もなく、ただ飯にもありつけない……。――ついてきな、おれのところへ。少しはマシな暮らしをさせてやる」
「本当か。いったい何をすればいいんだ?」
「簡単なことさ。おれは昼間、人間が住んでいる屋敷で番犬をしているんだ。盗人や乞食が来たら追い払い、家の者には尻尾を振ってごまをする。それだけでうまい飯がたらふく食える――最高だろ?」
餓えたオオカミは、その言葉に涙を流し喜びました。幸せを感じながら、ふと、あることに気づき――イヌに尋ねます。
「君の首の毛は――どうして抜け落ち、擦り切れているんだい?」
「別に、なんでもないよ」
「なんでもないって?」
「つまらんものさ」
「くどいけれども、それはなんだい?」
「……いや、大したことじゃない。昼間は鎖で繋がれるから、首輪が擦れて毛が抜け落ちただけさ」
その答えに、オオカミは跳び上がりました。
しばしの沈黙のあと、強く、確かな意志を籠めて――イヌに対し言い放ちました。
「冗談じゃない。俺は『自由』でありたい。たとえ飢えて死ぬことになったとしても、俺は『自由』で在り続けたいんだ」
先ほどまでの態度が嘘のような言葉に、イヌはたじろぎ、そして――とても哀しい瞳をしました。
「……そうか、残念だ。君は『自由』のために死ぬというのかい。そんな生き方、おれにはできないな」
「できるさ。俺達は皆、生まれた刻から『自由』だ。それは誰にも奪えないはずだ」
オオカミが当たり前のように言ったのに対し、静かに首を横に振ったイヌは、背を向けて森の奥へと――夜の闇に消えていきました。
「清火ー、これに決めたよー」
会計を済ませ小海が持ってきたのは、一冊の文庫本。羽ばたく鳥の絵が表紙を飾っている。
「宮沢賢治、『よだかの星』! やっぱり日本人なら宮沢賢治でしょー!」
「へえ、よくわかんないけど、いいんじゃない? ちゃんと最後まで読むんだよ」
小海がレジの前に平積みにされた『学生諸君! 読書感想文にはこれ! すぐ読める短編特集!』とPOPが躍るコーナーから即決して購入したのをばっちり目撃したが、口にはしないでおく。まあ、きっかけなんて人それぞれだしね。
「よーし、用事も済ませたし、遊びに行くぞ清火ー」
「おー」
店を飛び出し、横を歩く小海に――ふと、わたしは尋ねた。
「ねえ、小海。――本当の『自由』ってなんだと思う?」
「えー? 何、急に。――そんなの、あの太陽の向こうにあるに決まってらァー! さあ行くぞー!」
「……あんたに訊いた僕がバカだった」
駈け出した小海を追いながら、さっき読んだ本の内容を思い廻らした。
狼と犬。
わたしたちはどちらの生き方をしているのだろう。
わたしたちはどういう死に方をしてゆくのだろう。
ニンゲンとイアカス。
人と神。
――きっと、狼は『自由』のために死ぬのだろう。
痩せた狼が『自由』のために死ぬのなら、肥えた犬は何のために生きるのか。
餓えた狼が『自由』のために戦うのなら、『自由』を失った犬もまた、何かのために戦っているのだろうか。
「太陽の向こう、か……。ま、行ってみなきゃ――生きてみなきゃわかんないよね、そんなの。でも、またあの喋る犬に会ったら、訊いてみよっと」
何のために生まれて、何のために生きてゆくのか。
一人の女性の姿を思い浮かべながら、わたしは太陽を追い越す勢いで小海のあとを追った。
君が不羇のために戦うなら、おれは桎梏の中で戦う。
君が『自由』を欲し生きるなら、おれは束縛を受け容れ生きる。
おれには食わせていかなきゃならない奴等がいる。だからそっちへは行けないのさ。
これがおれの戦いなんだ――
〈了〉
MBSアニメフェスで、Sound Horizon(というかLinked Horizon)が『紅蓮の弓矢』『よだかの星』『自由の翼』を披露したそうです。
進撃ファンなら宮沢賢治の『よだかの星』も読んで聴いてほしいです!