第七章 兄と妹
第七章 兄と妹
「さて、家に戻るか。梓紗」
「あ、うん」
「父上と母上に、報告をせねばな」
「そうだね。母様、号泣しそう」
「確かに…」
梓紗と梔昏の父の唯織は、彪牙の弟。母親の朱奈は、冰龍達兄弟の母で、飛世の縁戚である。
朱奈は息子と娘は勿論のこと、甥である、冰龍や琭葩のことも、溺愛している。
特に、冰龍が魔物に襲われて、二日ほど生死の境を彷徨っていたときは、飛世と共に、滝に打たれて、祈願するほど心配していた。
「母上のことだ。きっと、話を聞けば卒倒するか、共を大勢つけろと、伯父上に泣きつくだろう」
「うわぁ、想像出来る」
母の悲嘆にくれるその様を想像し、梔昏と梓紗は、多少なり、帰宅すること閉口してしまう。
「まあ、そう肩を落とすな。もしも、そのときは叔父上が、どうにか叔母上を宥めてくれるだろうよ」
とてつもない疲労感を、感じている二人に対し、冰龍が出来うる限りの、慰めの言葉をくれた。
「そう願いたい」
梔昏が苦笑気味に、冰龍に返した。
頷き返した冰龍も、その点については、同じだと語る。
「こちらも、似たようなものだぞ。母上は、父上の決定に殆ど、異は上げないが、極端な程、自分の意思にそぐわない場合の落ちこみは、叔母上と同じだ」
「確かに。母上なら、今回はそうなるやもしれませんね」
琭葩も、容易に母親の反応を想像出来たのだろうか、口元を押さえて、脱力めいた表情を示す。
「流石に、血は争えんな」
「互いの武運を祈るとするか」
「ああ」
そう言って、四人は、それぞれ家族に申告するため、各々の室と家へと戻って行ったのだった。
家へ戻る途中、梓紗は、ふと呟いた。
「冰龍、意外だったな」
「なに?」
前を歩いていた梔昏が、足を止めて、梓紗に振り返る。
「だって、いつもあんなに冷たいのに。さっき、琭葩を危険から遠ざけるような言い方したもの」
琭葩が、まだ安全な村に残って、ゆくゆくは族長になれるように…
先ほどの冰龍には、それしか見えていないかのように思えた。それは、自分が族長としての立場に相応しくないと、強く思う気持ちと共に、弟の立場を案じているかのような気遣いを感じる。
「すごく、琭葩を安全な場所に、置いておきたいみたいな……」
「そうだな」
梔昏も、それには頷いた。
「冰龍……」
もしかしたら、冰龍は、琭葩のことが嫌いというわけではないのかもしれない。あんなに冷たく接していたのには、何か理由があるのだろうか。
顔の痣のことで、自分や碌葩のことは恨んでいるため、普段はあんな対応になるのかもしれない。
だが、それでも先程、弟の身の安全を確保しようとしていた冰龍の懸命な姿が、梓紗の脳裏に浮かんでくる。
それを思い出すと、梓紗の心の中に、温かい灯のような炎が、ポッと灯ったような感じが広がる。
冰龍も、根本では、その本質は変わっていないのかもしれないという、希望が持てたから。
「私、冰龍は、琭葩や私を嫌っているのかと思っていた」
思わず、そんな言葉が漏れた。自然と、口にしてしまったと言う方が正しいだろう。
ハッとして、口を押さえる梓紗に対し、梔昏が、感情の読めない無表情で、妹を凝視していた。
そして、確信の持った強い声で言う。
「例え、素振りは冷たく、嫌っているのかと思えるほどでも、本心から、弟妹を可愛く思わない兄姉など在るわけがない」
真剣な顔で言う梔昏に、梓紗はハッとする。
「兄様」
「俺だって、お前は可愛いと思うぞ。どれほど気が強く、生意気で、慎ましい娘とは言えなくともな」
「兄様っ!」
あまりの言いように、梓紗は顔を真っ赤にして怒った。
その様が、よほど面白かったのか、普段はめったに声をあげて笑わない梔昏が、目一杯に笑った。
「ハハハ、怒るな。活きが良いのも、また一興だ」
「そんなの嬉しくない」
「それもそうだな。女性に対する、褒め言葉ではないか」
軽く溢れたのか、目元の涙を擦るようにした梔昏が、再び歩き出す。その後ろ姿を、梓紗も追った。
「でも、琭葩が嫌いじゃないなら、あんな風に突き放すんじゃなくて、もっと優しくすれば良いのに…
昔みたいに」
「……っ」
何気なく言った言葉だったが、梔昏はハッとし、微かに息を呑んだ。
兄の後姿しか、見ることの出来ない梓紗だったが、兄の様子が変わったのは、感じとれた。
「兄様?」
「あぁ、いや…そうだな」
「え?」
「あいつも、もっと、心のままに動けば、良いものを」
「?…そうだね。どう思っているのか、言葉にしてくれなきゃ、私達だって分からないもの。神様じゃあるまいし」
梔昏の言った意味は、よく理解出来なかったが、梓紗はとりあえず、梔昏の言葉に同意した。
彼の言葉に、深い意味が含まれていたことなど、気づかずに。