第五章 神々の憑代
第五章 神の憑代
彼らは各々、傍らにいた碌葩と梓紗の顔の前にそっと手をかざし、自らも静かに瞼を閉じる。
兄の顔を眺めていた梓紗だったが、急にドクンッと、大きく心臓が脈打った感覚に襲われた。
「っぅ!?」
体内を巡る血潮が暴れるように走り、体温が上がった。ゾクゾクと背中に興奮と快感にも似た昂ぶりが駆け上がる。
迫ってくる衝動と、増幅する力。それらの解放を心待ちにしているような切なさに身悶え、自然と呼吸も浅くなってきた
「っぁあ、な…にこれ?…変な…気分…」
頬を紅潮させ、眉を寄せる梓紗が不安に駆られて兄を見やる。
梔昏も同じような感覚に陥っているのか、少し呼吸の荒い兄の体から、焔のような赤い光が放たれていた。額にも紋様が刻まれていく
「ああぁっ!」
それに気付いた瞬間、梓紗の中で熱い何かが弾け、迸り、全身に広がった身体の体温が一定に収まり、暖かさだけ感じられる
「はぁはぁ…治まった…あったかい」
「お前も、感じるだろう?その身に」
瞼を開いた梔昏が語りかけてくる。梔昏の眸は、紅玉のように鮮やかな赤色に染まっていた
「兄様、眸の色…赤い…額も」
「お前も、だぞ」
「え?」
指摘を受け、我が身に意識を向けてみれば、確か額に熱を感じる。熱病のようなものではなく、一か所に集中しているような感じで……
「っ…」
傍らの冰龍と琭葩を見やると、冰龍の方からは青白い光が発され、琭葩の方からは薄緑の光が発されている。
二人の方も体温が上がっているのか、息が僅かに乱れ、琭葩の方は梓紗のように、恍惚にも似た表情を浮かべている。
力の降臨に慣れていない者の特徴なのだろうか……
「冰龍、碌葩も」
「そろそろ良いだろう」
梓紗にかざしていた手を引き、梔昏が離れていく。一呼吸遅れて、冰龍も弟の前から離れる。
梓紗の前に現れたのは、青い眸を仮面から覗かせる冰龍。緑に染まった眸と額に薄緑色に発光した紋様を戴いた琭葩。
そして、同じように赤い眸と赤く光る紋様の宿る梔昏。
「梓紗様」
広間の隅に控えていた女性が手鏡を持ってきてくれる。
「これっ…!」
目の前に鏡をかざすと、その中には、牡丹色にも似た紅に染まっている眸と、同じ色の光を発している紋様を額に抱く自分の姿。
先に降臨した神の力に気付いていた兄達は、すぐに、その力を身の内に封じ込め、気配を霧散させたようだ。
「お前達も早く、降臨を解け」
「でないと、器への負担が増えるだけた」
「え?」
「元々は神の力、人間の肉体には過ぎる代物だ。
呼び起こす際に、相当な気力体力を使う。だから慣れないうちは、倦怠感が伴うんだ。長く力を使えば、より、負担が酷くなる」
とはいえ、兄達に誘発されて目覚めた力。二人は、解き方など分からない。
「でも、どうすれば?」
「全身の力を抜けばよい」
「後ろに倒れ込むように力を抜け。自然に解ける」
言われたとおりにすると、身体に生まれていた得も言われぬ力の気配が消え、普段の感覚に戻る。
「っ!」
「はぁっ!…」
だが、力が消えた途端、どっと、疲れが押し寄せ、全身がひどく怠くて、重い。
「なんて力なの」
「これが四天王の力。四天王の祝部の証だ」
「力を使うことに慣れれば、疲れも感じなくなる」
「四天王の祝部、これが…」
それまで、なりゆきを上座から見守っていた彪牙が声を発した。
「冰龍が身に宿す翆嗚観尊。
梔昏が宿す篝誉璃尊。その二神に加えて、まだ、二神の神々がいるだろう」
「そうですね」
芙慈乃の頷きに、梓紗は顔を僅かにしかめた。
「わ、私、あまり神話得意じゃないわ」
姪の申し出に、彪牙が笑う。
「ははは。私も苦手であった。芙慈乃、引き続き、頼む。お前の方が説明が達者だ」
「心得ました」
彪牙に促され、芙慈乃はゆっくりと真耶に伝わる神話を語り始めるのだった。
「四天王は、天で高位に位置する四神。
その頂点に君臨するのが、天帝である、峰慈延寄之大神尊の御子達であらせられる存在にございます」
「へえ」
「四天王は、天帝の子だったのか」
「知らなかった」
興味津々に聞いている梓紗と琭葩に対し、冰龍と梔昏は、剣呑な表情を浮かべる。
「おい、お前達、族長一族の一員でありながら、我らの先祖の話を知らなかったのか?」
「え?先祖?」
「どういうこと?」
思わぬ指摘に、二人は兄達の方へ意識を向ける。
「どうも、こうも」
「…俺達、真耶族は、その四天王の子孫だ」
「ええ!?」
「嘘!」
驚嘆のあまりに、目を見開く二人に、冰龍が呆れたような声を出す。
「嘘をついて、どうするんだ」
「だって…」
「まったく…お前達は、まず手始めに歴史を習え。武術だけが出来ても、仕方ないだろう」
「芙慈乃、先を続けてくれ。
とりあえず、四天王のことを、こいつらが知らねば、話にならん」
冰龍と梔昏の促しに、芙慈乃は了解したと頷いて、再び話を切り出す。
「四天王は、それぞれの力で真耶族を守ってくださっております。
先ほど、彪牙様が申された通り。
翆嗚観之尊は水の守護神。
篝誉璃之尊は炎の守護神。
そして、木、草花、土を含む大地の守護神であられ、緑蛇の姿をお持ちになる、阿祇夜維之尊。
そして、兄弟神のなかで、唯一の女神。風と空の守護神、絢鴻の姿をお持ちになる、貴澄珠江媛之尊。
その二神がおられます」
「じゃあ、俺の力は阿祇夜維之尊。梓紗は…」
「貴澄珠江媛之尊?」
「そうでございます」
芙慈乃の言葉に、二人は茫然とする。
「その四神が、俺達の先祖なんだ」
「意味が分からないわ。だって…先祖だなんて」
「彼らは、天帝と天帝妃の御子であると同時に、父神の側近であり、直属の部下だ」
「長子の翆嗚䅏之尊。次子である篝誉璃之尊。三子である阿祇夜維之尊。末子の貴澄珠江媛之尊」
そこへ、冰龍と梔昏の声が入った。
「この世界の基盤を整えたのが、天帝と天帝妃。その子等である四神、通称四天王が、この地に最初に降り立ち、自らが司る、水、炎、大地、空と風を創造したと言われている」
「その兄弟神が分け合うように、妹神である、貴澄珠江媛之尊を娶り、産ませた子等が、真耶族の始祖だ」
「兄弟三人で妻を分け合ったの?しかも、それが妹?」
「まあ、神代の話だ。しかし、真耶族も歴史をたどれば、親子間、兄弟姉妹間の婚姻の話、そんなことは、ごまんとあるぞ」
「うわぁ」
「凄い……」
「まあ、それはさておき、だ。
長子で兄弟達を束ねる立場にいた、翆嗚䅏之尊の子が、我ら族長一族の始祖だ。
そして、従う弟達であった、篝誉璃之尊と阿祇夜維之尊の子等が、民達の始祖と伝えられている」
「へえ」
「そして、この真耶に不吉なことが起これば、その神々が子孫である、我らの…導く定めに生まれる長一門の内、誰かに降臨する」
「……」
不安そうな表情を浮かべる妹の肩に、やさしく手を置いた梔昏が、言い聞かせるように告げた。
「お前も琭葩も近いうちに、神から授かった力を、扱いこなせるようにならなくては、な」
「兄様…」
僅かに、表情をしかめながら、梔昏は芙慈乃を見やった。
「これから、我らには使命が下るのだろう?避けられぬ使命というものが」
「はい」
梔昏の問いに、芙慈乃が頷いた。
「基本、我らの領地の外には、四方に結界石を大地に埋めてあります。それは、我が霊気と天帝の御力を秘めた石。
村の外といっても、近づくのは魔物にとって、苦痛のはず。
しかし、それを破って、魔物がこの地に踏み込んできました」
「……それは」
「結界が弱まっているのではなく、魔物の力が強大になってきた、ということでございましょう」
芙慈乃の説明に、梓紗も琭葩も狼狽える。
「そんな、じゃあ、どうすれば?」
「梓紗、お前、聞いていなかったのか?」
「な、何よ」
「何の為に、俺達に、この力が降臨したのだと思っている?」
「あ…」
「俺達が秘宝を取りに行く。そういうことだろう?」
「は、はい」
芙慈乃が恐縮しながら、首を縦に振る。族長一族である、高貴な立場の彼らが死地とも言うべき、危険な場所へ向かえということなのだ。
他の一族や国との戦なら、歴史があるが、魔物との戦いなどということは経験がない。
未知の戦いに、梓紗は身を震わせる。
「怖い…」
「梓紗」
「恐怖を感じてどうする。いざとなれば、民を守るのが、軍団の幹部にいる、族長の一族としての務めだろう。
皆が作るもので、俺達は、生活をしているのだから」
「冰龍」
「…そう甘いことを言っていると、本当に生きて帰ってこれんぞ」
厳しい言葉を突き付ける冰龍に対し、琭葩が梓紗を庇うように兄に言葉を返す。
「兄上、梓紗は女性です。不安に思わせることは――」
しかし、琭葩の言葉は、冰龍の言葉によって制される。
「覚悟がないのなら来るな。それほど、甘い旅ではない」
「それは…」
項垂れそうになっている弟に、冰龍は軽く嘆息し、話題の方向性を変えた。
「鬨の神殿とやらは、魔物達の、うようよいるという場所だ」
「鬨の神殿?」
「秘宝が隠されている場所だ。四天王が、最初に降り立った場所とも言われている」
「でも、なぜ、そんな場所に」
「秘宝というのは、四天王の力の一部が宿したものだ。身に着けていたものとも、言われているな。
それを…鬨の神殿という場所へ、彼らが天界より降り立つときに、媒介として使用するものだったらしい」
なりゆきを見ていた梔昏が、歴史を教える教導師のように、梓紗と碌葩に説明を加える。
「しかし、地上の繁栄を見届けて、彼らは地上に降り立つ意味はなくなった。とはいえ、もしも、この世に闇が振りかかった時。
我ら人間に封ずる力を与えるため、そこに秘宝を置いていったのだそうだ」
「へえ……でも、どうして、その周りに魔物達が?」
梓紗の問いに、梔昏が頷く。
「聖なる神の力があれば、強大な力を保つことが出来ないのが、魔物達だ。勿論、彼等は、すぐさま秘宝を壊そうと、鬨の神殿を狙ったらしい。
しかし、その秘められた力で中には入れず、神の強大な力は、彼らの力で、破壊することも出来ない」
「ああ!それじゃあ」
「そうだ。魔物達は、鬨の神殿の近くに居座ることで、これ以上、自分達の動きを封じられることがないようにしたい」
「だから、神殿に行く為には、四天王の降臨を受けた俺達が行かなくてはならない」
「そういうことだ」
梓紗達が納得した横で、冰龍は難しそうに口元を歪めている。
「冰龍?」
「いや、それほどの四天王の力よりも、何故、魔物の力が強まったんだ、と思ってな」
考えこむ冰龍に、芙慈乃が答えた。
「それは、神の力が、あまりに永い間、眠り続けているからでございましょう。そして、より強い魔物の交配が進んだということでしょうか」
「なるほどな。今一度、神の力を目覚めさせねばならない指令というわけか。
子孫である我等に」
その説明で、冰龍は納得したようだったが、やはり、彼の口は一文字のままだ。
否、このところ、一文字以外あまり、見たことはないが。
「何が不服なんだ?冰龍」
「梔昏…いや、不服というわけではない。ただ、な」
「ただ?」
その場の全員の視線が、一斉に、冰龍に注がれる。しばらく、冰龍は考えこむように腕を組んでいた。
だが、やがて彪牙に向かって、頭を下げた。