第三章 神々からの御告げ
第三章 神々からの御告げ
冰龍と喧嘩をしたように別れてから、ひと月後。
梓紗は、女戦士達の隊の訓練に出ていた。
「千夏!刀の動きが遅い!
芙蓉、周囲に気を配らないと、魔物は倒せないわよ!
朔夜、背筋がなっていないわ。そう、その姿勢で」
隊長として、周囲の女達の立ち回りを見ながら、梓紗は指示を出していく。
魔物の存在が、都でも増えた今では、自由に領地や帝都への移動が難しく、諸侯や帝一族に仕える忍びを派遣することも、殆ど出来なくなった。
しかし、本来、真耶族の先祖は、忍びや隠密を含む戦士の稼業をしていた。
その為、今でもその伝統を守るために、大半の民達は、子どもの頃から、武具の扱いや軽やかな身のこなしを学ぶ。
現在では、基本的に農業や狩猟、採集、時に交易を営んで、日々の生計を立てている。
とはいえ交易は、魔物を阻む結界の外へ出なくてはならない。
ゆえに、多くて年に二回程しか行わない。
魔物に襲われる危険性を配慮し、どの部族も、なかなか領地から外へ出ない傾向になってきたのだ。
ここ数十年の間に、魔物の勢力は、格段に大きくなったと言えるだろう。
流石に、村にまでは巫女の結界が強すぎて入ってこられない。
だが、狩猟や採取のために森へ出た民が襲われることが、各部族でかなり頻繁に起こったのだ。
そのため、多くの戦士団は、かかせない存在でもある。
狩人として狩に赴くこともあれば、採集を行う女性、子どもを守るために共についていく。
そして、現れた魔物を倒す。
それが戦士団の務めだ。
梓紗は族長の親族でもあるため、農業などには深くは携わらない。
加えて、武術の才があったがゆえに、彼女は女だけの戦士団の隊長を任じられていた。
「はい、ちょっと休憩」
梓紗の声と同時に、修練に没頭していたうら若い乙女達は、それぞれに休みをとりはじめた。
「梓紗」
「琭葩!」
聞きなれた声に振り返ると、武具を肩にかけている琭葩が立っていた。
「稽古はどうだ?」
「まずまずよ。そっちは?」
「ああ。今日は火縄銃の訓練だ。こいつらに教えないとな。今から稽古場に向かうところさ」
琭葩が示した先には、まだ十二歳ほどの少年達が火縄銃を持ちながら、歩いている。
先輩の戦士が、村の子ども達に自分達が学んだ知識を教えるのがこの村の慣わしでもある。必要なものを、全て習得し、学んだ後、真耶族の子ども達は、戦士、農夫、狩人、商人、職人……自分の生業を何とするか、自由に選択出来るのだ。
「そう。頑張っ――」
琭葩に声援を送ろうとした瞬間だった。
「きゃああああっ!」
「うわぁああ!」
「ひぃいぃ!」
「逃げろ―――っ!」
急に、民達の家々が連なる方で騒ぎが聞こえた。それも、叫び声の感じからして、ただ事ではない。
「何だ!?」
「行きましょう!」
梓紗達は、一目散に、家々の方へ走った。
~・~・~・~・~・~・~・~・~
「なっ!」
「嘘っ!なぜっ!?」
騒ぎとなっている場所に来てみれば、二人をはじめ、全員が目を疑った。
そこには牙を剝き、大きく、獰猛そうな魔物がいたからだ。放たれる妖気と雰囲気から、これは雑魚ではない。強力な力を持った魔物だ。
生身の人間では、その妖気すら、中てられそうだ。
「何故だ!結界は?」
「普通なら、入って来られない筈なのに…」
泣き叫ぶ声や、恐怖に満ちた声が周囲に溢れている。
二人は呆気にとられ、その魔物を見やった。
「何故、そこに留まっているっ!」
そのとき、凛とした、低くもよく通る声が、響いた。
二人が振り返ると、背後にはいつも神殿の中にいて、滅多に姿を見せない冰龍の姿がある。彼の傍らには、梔昏の姿も。
彼らは刀を手にし、臨戦の空気を醸し出していた。
「戦士団以外の男達は、女子ども、老人を連れて、神殿へ避難しろ!病人には、肩を貸せ!見捨てるんじゃないぞ!」
「戦士達は、さっさと刀を抜け!その、腰のものは、飾りであるまい!」
冰龍と梔昏は、命じるように声を張る。
二人の声によって、我に返ったのか、周囲の村人達は、言われた通り、家族や病人を連れて神殿の方へと、逃げていく。
梓紗と琭葩を始め、彼等が率いる隊の者達は、ハッとしたように、腰の刀や手にしていた武具を握る。
「周囲を固めろ!間合いを保ったまま、決して、攻め込むんじゃないぞ!」
「神殿へ逃げた者達を、守るだけでかまわん。俺達が切り込む!」
今も将を務める梔昏は然ることながら、冰龍も元は軍団を率いていた将らしく、即座の判断で陣の形体を指示すると、彼らは、先陣を切って飛び出していった。
「兄上、梔昏!」
「兄様、冰龍!待って!」
兄達を追って、梓紗と琭葩も飛び出していく。
しかし、激しい剣幕で、兄二人に叱責された。
「戻れ!」
「お前達は、下がっていろ」
「何故ですか!?兄上達だけを戦わせるなど!」
「そうよ!私達だって、戦えるわ!」
いっぱしに言い返す弟妹に、冰龍と梔昏は叫んだ。
「お前達は、まだ目覚めていない!怪我をするだけだ!」
「いいから、下がっていろ!」
「目覚めていない?」
「どういうこと?」
わけが分からずに戸惑っている間にも、魔物は襲いかかってきた。それを、ひらりひらりと、四人は避ける。
戦闘訓練には慣れているため、このように、獣のようなものを避けるのは、朝飯前だ。
しかし、魔物は、普通の獣達とは異なり、特殊な力を使う。
目が合った者を硬直させたり、思考や行動を操ったりする魔物だって、いるのだ。
やがて、その魔物の目が、妖しく光りはじめた。睨まれた梓紗が、まず、体の動きが効かなくなる。
「っ!う、嘘!身体が…」
「梓紗!」
咄嗟に梓紗と助けようと、琭葩が動いた。
「動くな!碌葩!」
「馬鹿!止まれ!」
冰龍と梔昏の二人が止めたにも関わらず、琭葩は梓紗の元へ、駆け寄ろうとした。
しかし、梓紗は駒のようなものだったようで、琭葩の方に、魔物は襲いかかってきたのだ。
「っ!」
『グワアァアアッ!』
見事に罠に嵌まった琭葩に、牙をむいた魔物が迫る。
「琭葩っ!」
素早く冰龍が動き、琭葩と魔物の前に飛び出すと、弟に襲いかかろうとした魔物に、素早く刀を下ろして、斬りつけた。
『ギャオオオオッ!』
しかし、傷をつけただけで、それは、致命傷には至らない。
「兄上!」
自分を庇った兄を心配した琭葩に、間髪入れずに冰龍が激しい形相で、恫喝する。
「愚か者!安易に敵に踊らされるな!」
「申し訳ありません」
「冰龍!」
弟を叱る冰龍に、構えの姿勢をとったまま、梔昏が呼んだ。
「……ああ」
声にハッと我に返ったのか、冰龍は梔昏の声に呼応し、視線を交し合った二人は軽く、頷き合う。
「兄上?」
「……致し方ない。碌葩、下がっていろ」
「は?」
冰龍がそう告げた瞬間、カッと青白い光が、彼の身から放たれた。それと同時に梔昏も、赤い光をその身から発する。
「うわっ!」
「何!?」
「何だ?」
周囲から、動揺の声が溢れる。
対する魔物も、何が起きているのか分からないのか、一歩二歩、後退した。
「冰龍様!」
「梔昏様!?」
「見ろ!梔昏様の額を!」
一人の声に、ハッと周りの注意は集結した。
仮面をしているために冰龍は見えないが、梔昏の額には、九年前に冰龍の額に現れた紋様が、光って現れる。
しかし、それは冰龍の青いそれとは違い、赤色だった。
そしてそのまま、彼らの身体が光に覆われる。同時に、身体が変形したのだ。
「っ!?」
「何だよ、あれ!」
そこには、冰龍と梔昏の姿はなく、代わりに、青い狼と赤い虎が出現していたのだった。
周囲にいた者達は、一様に目を疑う。
「兄上!?」
「兄様?」
梓紗と琭葩ですら、目の前で起きた事実を、信じきれないでいる。
青狼と赤虎は、真耶族神話に登場する四天王と呼ばれる、神々の化身だ。
その二神の化身の姿だと伝わる神獣が、目の前に存在しているのだから、当然だ。
「そんな」
「兄上達が、青狼と赤虎?」
そんな周囲をよそに、当の青狼と赤虎は、聖なる光を振りまきながら、目の前の魔物と対峙している。
やがて、青狼は大きな水柱を、口から迸らせ、赤虎は炎の渦を吐く。
それは、書物で描かれる神獣達の、成せる技だ。
青狼が生み出す水は聖水、魔を浄化する威力がある。
赤虎が生み出す炎は聖火、同じように魔を焼き払う作用があると、信じられている。
彼らは、その神力とも思われる技で、じりじりと、魔物を追い込んでいく。
そして、止めとも言える一撃を、青狼が加え、立ち上がれなくなった魔物を、赤虎の炎が包む。
一瞬のもとに、その魔物は、塵と化してしまった。
「……」
「……」
辺りを静寂が包んだ。
青狼と赤虎は労わるように互いの顔を見合うと、かすかに頷いて、身体を眩しく発光させた。
すると、また先ほどと同じように、身体の形が変形し、二頭は、元の人間の姿へと戻る。
光が止んだと同時に、周囲の視線の中にいたのは、紛れもなく、冰龍と梔昏の姿だった。
「雑魚ではなかったな」
「ああ。
だが、変化しなきゃ、倒せないとなると、なかなか、問題だぞ」
二人は人間の姿に戻ると、涼しい顔で、身体のどこも、異常がないかを確認するように、首や肩をまわしたりしている。
しかし、周囲の者達にとっては、まるで、理解出来ない状況だ。
「冰龍様!梔昏様!」
「どうして、御神体の姿に?」
「お二人は…」
「一体、どういうことなのですか!?」
「どうか、お教えください!」
騒然となる周囲に対し、梔昏が声を上げる。
「取り乱すな」
「……」
水を打ったように、辺りは、シンと静まり返る。その様を一瞥し、冰龍は、そのまま、立ち去ろうとした。
「兄上!」
「冰龍!」
「……」
琭葩と梓紗に呼ばれ、冰龍は振り返る。
「先程のは、一体?」
「そうよ。今のは、何なの?冰龍も、兄様も……神様の姿になって」
弟達の問いに、冰龍と梔昏は、顔を見合わせたが、すぐに言葉少なに返答した。
「……今宵、分かる」
「ああ」
「ええっ!?」
ちゃんと説明をせず、その一言で片づけられても、困る。
さっさと、巫女殿の方へ、戻ろうとしている兄達を、二人は追いかけた。
「兄上、梔昏、どうか説明を」
「お願い!気になるじゃないの」
「諄いぞ」
「梓紗、琭葩、そう答えを急くんじゃない」
尚も、食い下がる二人に、冰龍と梔昏は取りつく島もない。
正直、こんなところを見せられては、気にならない筈が無いというのに…
「今宵、だ」
有無を言わせない口調で、冰龍が告げる。
仮面の奥から覗く彼の眸には、強く燃えるような光が、宿っている。
「兄上」
「今宵、父上から、お話しがあろう」
「え?」
「俺も今回は、神殿から邸に戻る」
「邸へ戻られるのですか!」
嬉しそうに、琭葩の顔が輝く。
その様に、冰龍は沈黙しながら弟の顔を見つめると、その頬に、手を伸ばした。スッと、その頬を手の甲で撫でる。
「ど、どうしたのですか?」
「付いていた。魔物の血だ……毒の気がないとは言えない。一応、聖水で洗うことだ」
どうやら、冰龍が魔物に斬りかかった時、その返り血が、琭葩の頬に飛び散っていたらしい。
「あ、ありがとうございます。兄上」
「梔昏、行くぞ」
「ああ」
梓紗は、去っていく冰龍と兄の背中を、もやもやとした気分で、見送った。
先程の二人の、あの力は何なのだろう?どうして、御神体になることが出来たのだろうが?
とはいえ、それだけでは――…
「どう思う?琭葩」
「……」
傍らにいるはずの、琭葩からの応答はない。
「琭葩……ちょっと、琭葩、聞いてるの―――…って……琭葩…」
梓紗は横を向いて呼びかけたが、隣に立つ琭葩の表情を見て、何も言えなくなってしまう。
琭葩は、先程、冰龍に拭ってもらった頬に手を当て、兄の姿を見送りながら、頬を紅潮させている。
心底、嬉しいのだと、その表情から梓紗は汲みとった。とてもではないが、邪魔出来る雰囲気ではない。
「ん?梓紗、何か言ったか?」
やっと、こちらの視線に気づいた琭葩が、訊ねてくる。
「もう、いいわ…」
梓紗は、脱力を感じずにはいられない。この、万年兄馬鹿…と、心の中で梓紗は軽く、悪態をつくことにした。
しかし、その声が、当の琭葩に届くことは、この将来、きっと無いだろう。