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守護の愛 ~悠久録~  作者: 沙羅魚
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第四十七章 訪ね人

挿絵(By みてみん)




第四十七章 たずびと




 真耶まや族周辺の畦道あぜみちを、二つの人影が通っていた。

 髪の長い若い娘が歩き、その後ろを、短めの髪だが、襟足と横髪だけを長く伸ばして束にした、変わった髪型の青年が続く。

 娘は彩度の低い紅色の小袖こそでに、鴇色のを付けた出で立ちで、可憐で美しい容姿にとてもよく映える。

 青年の方は若草色の水干すいかんに、深緑色のはかまと落ちついた色合いの服装だ。

 二人とも、それなりの身分であることを象徴する、上等の素材の服装を身に着けていた。



「良い天気ね」



 少女が青く広がるあまを見上げる。



「そうだな……梓紗」

「ん?なに?琭葩」



 そう。彼らは梓紗と琭葩だ。

 二年前、彼らは、魔物に追われ、途中からあらん限りの神力を用い、御神体の力姿となって、行きの三分の一の時間で、村へと帰ってきた。

 その疲労から、二人は倒れてしまったが、村人や家族達の手厚い看護で、なんとか、元の体調に戻ることが出来た。

 二人の帰還直後、巫女殿みこでんの奥深くで儀式が行われ、世は平和に落ちついた。








~・~・~・~・~・~・~・~・~







 神力は、魔物達を消滅させるようなものではなかった。

 彼等の記憶から、人間への憎悪の記憶を失わせるというもので、人間達の中にも、以前のような潜在的な恐怖の心を薄れさせる作用をもたらした。

 以降、魔物達は現れるが、人間への憎しみがなくなったのか、無差別に襲ってくるようなことはなくなった。

 それにより森も通りやすくなり、真耶まや族達は、都への出仕しゅっしや忍び稼業などの先祖からの生業なりわいも増えてきた。

 そして、二年の月日があっという間にっていた。



「兄上を思い出したのか?」

「ええ。この青空、あの人の色だもの」

「そうだな」



 寂しそうに、琭葩も空を見上げる。

 二年の間で、すっかり大人びた印象を持つ彼だが、やはり、兄を思いだすときは、弟の顔に戻る。

 そんな琭葩の顔を見ると、梓紗も切なさを感じてしまう。



「ごめんな。梓紗」

「え?」



 唐突に謝ってきた従兄に、梓紗は驚いてしまう。

 首を傾げる梓紗に琭葩は遠くを見つめていた目を、彼女へと戻す。



「あのとき、兄上から引き離して、悪かった」

「そんなこと気にしてないわ。だから、謝らないで。それに、あれは琭葩が悪いんじゃない。むしろ、あなたは冰龍と私を助けてくれたんじゃない」



 二年前、冰龍に気絶させられ、気づいた時には琭葩に運ばれて随分と遠い位置にまで逃げてきた後だった。

 狂ったように泣きじゃくったが、碌葩も責めることも、冰龍を責めることもできず、ただ、迫る悲しみをやり過ごすことしか出来なかった。

 梓紗の、そんな姿を見てきた琭葩だ。きっと、申し訳ないと思ったのだろう。

 しかし、これこそ誰も責められない状況だった。

 結局、洞窟から出て行ったきり、冰龍は二人を追ってくることもなければ、村にも帰ってこなかった。

 よって、真耶まや族の村には、二つの新しい霊廟が立っている。

 梔昏のものと冰龍のもの。

 戦いの後。

 旅路の間に作った梔昏の墓から、彼の遺灰を袋に入れて葬った場所から、丁重ていちょうにこの村へと移され、霊廟の中に葬られた。

 今、兄は、故郷の土地に眠っている。

 しかし、冰龍の亡骸なきがらは、どこをどう探しても、見つからなかった。それゆえに、真耶まや族達は、魔物に喰われてしまったのだろうと結論付けるしか、彼を探すのを終わらせるすべがなかったのだ。

 その為に、形ばかりとはいえ、見事な霊廟が建てられている。勿論、中は空だ。



「見つけてあげられなくて、ごめんね」



 梓紗は再び天を見上げ、空の峰にいるだろう冰龍の魂へと呼びかけた。無論、返ってくる声はない。



「梓紗」

「……」

「行こうか」

「ああ」



 気を取り直して二人は連れたって歩き、やがて、領域のすぐ外を流れる川辺までたどり着いた。

 以前ならば、来ることは叶わなかった場所だ。

 静かな清流の音が耳に心地よい。いつも心を落ちつかせたくなる時は、一人で来たり、琭葩と共に訪れたりする。

 今日は、特に行こうと思っていたわけではないが、何かに導かれるように梓紗達は、この川に来ていた。

 いつものように、土手を降りようと足を踏み出した。

 すると、川のほとりに一人の男性が腰を下ろしているのが目に入る。



「……」

「…ん?」



 後ろからだから顔は見えないが、髪が長く、毛先は背中の中ほどまで届き、艶々と黒い。

 その後ろ姿に、梓紗と碌葩は既視感きしかんを覚えた。

 草擦くさずれの音を、敢えて、立たせながら彼に近づくと、川の流れを見つめていた男性が振り返る。



「っ!」

「あぁ!」



 懐かしい微笑みが彼らに向かって放たれた。



「…久しぶりだな。琭葩、梓紗」

「ひ、冰龍!」

「兄上!」



 梓紗と琭葩は驚愕に目を見開いた。

 二年前のあの日に、魔物達の群れに飛び込んでいった冰龍が今、生きて目の前にいる。



「どうして!」

「う、嘘だろ!?そんな、まさか!……兄上、生きていたんですか!?」



 梓紗と琭葩は、夢か現実うつつか、まるで区別のつかないまま、引き寄せられるように冰龍と思しき男性へと近づいた。



「ほ、本物?」

「幻にでも見えるか?」



 冰龍は苦笑しながら立ち上がると、ゆっくりと、手を差し出した。確かに、本物の手、幻などではない。

 でも、一体どうして?と、梓紗は冰龍の顔を見る。

 梓紗の言わんとしていることを察したのか、冰龍は説明する。



「水月に救われたんだ」

「え?」

「水月に?」



 思わぬ名前に、梓紗達は聞き返す。

 しかし、よく考えてみれば、冰龍が助かるには彼が助けに来てくれたという可能性が、たぶん、一番高い。



「今生の別れと思っていたんですが、違ったんですね」

「ああ。

 やはり、俺が一人残って戦うだろうと考え、思い直して戻ってきたらしい」

「それで兄上は助かったんですね――…」

「水月に、感謝しなくては…」

「ああ。いつか会ったら、言ってやれ」



 穏やかな表情で冰龍は頷いた。



「それにしても良かった。心配したのよ!もう、死んじゃったのかと」



 梓紗は冰龍の腕を両手で握り、涙を見せまいと顔を伏せた。その手は小刻みに震えていた。



「梓紗」

「兄上…良かった。本当に良かった!」



 琭葩も涙目になりながら、兄と梓紗を見て、嬉しそうに笑いながら頷いている。



「琭葩」



 涙を拭きながら、琭葩が訊ねた。



「兄上、戻ってこられたのですよね?」

「ああ。今から戻ろうとしていたが、随分と、この辺りが懐かしくてな。昔、森に入る前によくこの道を通った」

「そうだったんですか………では、兄上、早く行きましょう。父上や母上も喜ばれます」

「ああ。そうだな」



 三人は連れたって、村のある方角へと歩き出した。





~・~・~・~・~・~・~・~






 村へ帰った冰龍は、皆に歓迎された。

 殊の外、彪牙ひゅうが飛世ひよなど、両親達は大喜びし、その夜は、冰龍の帰還を祝って、大きな宴が開かれた。

 冰龍はその席で、自分がどうして助かったのかを語った。


 水月が現れた後。

 彼の助力を得て魔物と戦ったが、やはり、数は、どんどん増え、いかに二人でも、応戦することが難しくなった。

 やがて、崖の上まで追い立てられた。

 そこで水月は、背後に濁流が流れていることを知り、少しでも可能性を図ったのだろう。

 彼は、”生きろ”と叫ぶと、冰龍を押しやり、濁流の中に突き落とした。

 冰龍は荒れ狂う水の中、なんとか、重い武具を取り、ころもを脱いで、脚衣きゃくいだけという身軽な恰好になり、随分な距離を流された。

 だが、奇跡的に下流の浅瀬に辿り着き、気絶しているところを近くの村人に救われたのだ。

 それから一年間、村で手伝いをして恩返しをした後、この麻耶まやの村を目指し、旅をしてきたらしい。

 冰龍が語っている間、宴の席は、水を打ったように静かになった。

 彼が周囲を見渡し、皆に聞こえるように、声高々に告げる。



「皆に伝えたい。

 俺は、魔物に、この命を救われた。忌み嫌われ、恐れられていた、心を持たないとされていた魔物から救われたんだ」



 冰龍は、ふと、懐かしむような表情になった。



「俺がまだ、あざを負い、巫女殿みこでんに閉じこもっている頃のことだ。

 俺は孤独だった。

 呪いを皆に与えまいとしたが、命を吸い取られる呪いも背負っていた俺には、耐えがたい孤独があった」



 明かされた真実に、皆が息を呑んだ。

 父である彪牙ひゅうがも、驚きを隠せないでいる。

 よもや、あの九年もの間、息子の命がどんどん縮まっていたとは思わなかったのだろう。



「梔昏が付いていてくれた分、なんとか保っていられた。それに、魔物への憎悪のあまり森へ出て魔物を殺めたこともある。

 しかし、俺はそこで出会ったんだ」



 冰龍の目に熱が浮かぶ。



「俺の妻に」



 妻?妻だと?とざわめく声が沸き立つ。



「相手は魔物、鬼族の女だった」



 明かされたその真実に、一段とざわめきが大きくなる。



「禁忌だ。

 愛してはいけない女だと、俺は分かっていた。だが、そいつも魔物の力が芽生えず、一族の中で孤立していた。

 あの女の孤独な心、それに耐えようとする心を俺は愛した。そして、あいつのなかに自分と同じものを見出したんだ」



 そこで、冰龍は一度、言葉を区切った。



「皮肉と言えば、皮肉だ。

 魔物に呪いをかけられ、その呪いで生まれた孤独を癒してくれたのも、魔物だった。

 だが、俺は、それで良かった。あの女の存在が愛しかった」



 冰龍の声音は静かだったが、情感がさらに強くなり、彼の想いの強さがどれほどのものだったかが感じられる。



「あいつは、梔昏とは違った面で俺を支えてくれた。孤独にさいなまれる者同士、あの感情に抗えなかった。

 俺をさげすむなら、さげすむで良い。だが、俺はそれで、魔物達の歴史を知り、人間が彼らを追いつめたということも知った」

「冰龍」

「冰龍様」



 周囲から人々の、冰龍への熱い眼差しが注がれている。



「魔物と人の抗争は、報復をし合ったことから生まれたものだ。

 魔物達は、その昔、人から忌み嫌われ、追い立てられるように世の端で隠れ住むようになった。その恨みから人を襲っていた。

 だが、四天王の神力の解放で、魔物達のその記憶を抹消され、襲われることはなくなった。

 人間達の恐怖の記憶も、薄まったと聞く。



「この解決が良かったのかは、俺は、分からないが…」



 彼の澄んだ低い声音が、乾いた土にみ渡る水のように、その場の全員のなかに響き渡っていく。



「魔物を恐れる心は、薄くても、まだ、皆の中にあるかもしれない。しかし、俺は魔物にこの命を救われた。そういう心優しい魔物もいるんだ。

 そのことを、どうか、心に知っておいてほしい」



 そう言い終えた冰龍を一瞥した後、梓紗は集まった人々を見渡した。衝撃的な話ではあったが、彼らの中には、薄く涙を浮かべる者もいた。

 生きる気力を失いかけていた、冰龍の孤独を癒した妻である魔物、水月という魔物が冰龍の命を助けたということで、彼らのなかの魔物への価値観も変わりつつあるのかもしれない。



 それが終わって、しばらくすると、宴は元の盛大さを取り戻した。





挿絵(By みてみん)

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