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守護の愛 ~悠久録~  作者: 沙羅魚
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第四十六章 最後の決断

挿絵(By みてみん)




第四十六章 最後の決断



 水月が消え、思い残すことはないと冰龍は背を向け、梓紗達に向かってくる。



「さぁ、帰るか」

「はい……兄上、肩!」



 冰龍が肩から出血していることに気づいた琭葩が血相を変える。ハッと梓紗は顔面蒼白になり、手ぬぐいを破いて彼の肩を縛った。



「ご、ごめんなさい!私が」

「お前の所為せいじゃない」



 憑依ひょういされていたとはいえ、責任を感じ、泣きそうに顔を歪ませる梓紗に、冰龍は言った。



蟒之王おろちのおうにやられたんだ。それに、お前が少しでも精神が勝ってくれてたから、大事には至らなかった」

「だけど、傷が深いわ!」

「……たしかに支障がないとは言わんが、それでも下手をすれば、そのまま心臓あたりまでいってもおかしくはなかった」

「でも…」



 言い募る梓紗達を遮り、冰龍が歩みを進める。



「いいから。もう行くぞ。

 ぐずぐずしていると、この周りも魔物達がひしめき合う。その方が、余程厄介だ」



 冰龍はそう言って、二人を促し、彼らは神殿の出口へと急いだ。



「っ!」

「これは数が」

「凄い量だわ」



 神殿の前には、恐ろしい形相の魔物達が山のようにいた。体力を消費した今では逃げ切れるか不安を感じてしまう。



「とりあえず、行くしかない」

「そ、そうね」

「琭葩、しっかり秘宝を持ってろよ」

「はい」



 三人は意を決し、魔物達のうごめく中へとおどり出た。

 今の体力では、御神体に変化することは叶わないだろう。なれたとしても、長くは保てない。

 そこで、彼等は神力を解放し、刀を振るって道を切り開いていく。

 だが、魔物達も必死に自分達が滅びる道を阻むかのように、数を増やしてくる。まるで、秘宝に群がってきているかのようだ。



「…こいつらだって、必死だ」

「そうね」

「知能を持たない者達だからといって、死んで良いわけではないと………思ってしまう」

「村にいたときは考えもしなかったのに」



 刀で敵を切り倒しながら、彼らは言いようのない虚無感を感じていた。戦いに昂ぶりを覚えていた当初とは、打って変わって…

 自分達が守ったもの。斬り捨ててきたもの。その全てが、本当にまっとうなことだったのか、と疑問にさえ思えるのだ。

 自分達は、人間だ。

 人間本位の考え方でしか、生きてはいけない。だが、その裏に果てしない魔物達の悲しみと憎しみが在るのだということも、この旅の中ではっきりと学ばされた。



「やり方は汚い。

 だが、人間に迫害された魔物の憎しみと、魔物に襲われる恐怖から生まれた人間の恨みを断絶するために、俺達は秘宝を持ち帰らなければいけない」

「兄上」

「守りたいもの。お前達にもあるだろう?今は、そのことを考えろ」



 冰龍はひたと前を見据えて、道を開き続ける。それにならうように、琭葩も梓紗も刀を振るった。

 やがて、深い森へと入る。







~・~・~・~・~・~・~・~・~








 魔物達を斬り、数を減らす。

 村への道を逃げるようにして走り帰り、わずかな暇を見つけて、結界を張り、交代で隠れて眠る。

 そんな毎日が、続いた。

 そんな日々が五日もたった頃、三人は追ってを撒き、洞窟の中へ身を寄せていた。

 とはいえ、どんどんまた数が増え、自分達に向かってきていることも。明白だった。



「はぁ…はぁ」



 今では、あちこちに傷を負っている。

 なかでも、冰龍の肩の傷は、散々、身体を酷使こくしし、走り続けたことで、より深くなり、炎症を起こし始めているようだ。

 先程から、しばらく、沈黙が続いていた。

 琭葩も梓紗もうつむき、冰龍は外の様子を窺っている。やがて妖力の気配が強くなってきた。



「兄上、梓紗…そろそろ移動しましょう」

「そうね。逃げないと…」



 立ち上がろうとした二人に対し、冰龍が静かな声で告げた。



「ここは、俺が残って引き受ける。お前達は、秘宝を持って先に逃げろ」

「えぇっ!?」

「なっ!」



 冰龍の言葉に、梓紗と琭葩は耳を疑った。

 即座に、琭葩が必死にかぶりを振りながら、叫ぶ。



「そんな!兄上を置いてなんていけません!」

「そうよ!なんてことを言いだすの!」



 感情を高ぶらせる二人に、いたって冷静な居住まいで、冰龍は言葉を返した。



「俺の将来さきは短い。今、死のうが、後で死のうが、たいして変わらない」



 その科白せりふは、二人に対して残酷に響く。

 梓紗は言い表せぬ恐怖を覚え、縋りつくように冰龍の肩を握った。



「いやよ!行かない!あなたを置いてなんていかない!もう、あの時みたいに、自分を犠牲にしないで!」



 涙で頬を濡らしながら、梓紗は悲痛な声で冰龍に訴えた。

 失いたくない。置いて行きたくない。九年前の後悔が鮮明に胸によみがえってくる。



「そうですよ!兄上、考え直してください!」



 琭葩も必死に言い募る。

 しかし、冰龍の返事と、彼の決意は変わらなかった。



「離せ…逃避行に、怪我人はお荷物だ。

 お前等まで、ここに残って全滅すれば、元も子もないだろう」

「でも!」

「比較的無傷のお前達だけと、肩に炎症までに悪化した傷を負う俺を伴う。どちらが、確実に秘宝を持ち帰れる可能性がある?

 少しは、冷静に考えろ」

「しかし、兄上!」

「お前等二人になっても、それは一緒だ。

 時間を稼ぐために、体力の多い男の琭葩がおとりになり、その隙に足が速く、細くて身軽な、身を隠しやすい梓紗を逃がす」

「そんな…」



 梓紗は涙を止められなかった。

 理屈は分かる。でも、心は納得出来るわけがない。確実に、秘宝を持ち帰るには、仲間さえも見捨てなければならない現実が悔しかった。

 命よりも、大切な使命など存在するのか?



「っ!」



 梓紗は唇を噛みしめる。そんな彼女を見下ろしていた冰龍が軽く息を吐いた。



「はぁ…正直言って、俺は、使命なんてどうでもいい」

「え?」



 投げやりな口調の冰龍に、梓紗は顔をあげた。



「神だの秘宝だの、正直、特に思い入れはない。俺が、ここまでしようと思うのは、あそこに残してきたものがあるからだ。

 そして、あの村が、俺達の還る場所、お前達の生きていく場所だからだ」

「冰龍」

「今の俺には、もう失うものは殆どない。お前達以外にはもうないんだ。それに、俺は最期まで守るべきものを守り続けたい。

 だから、俺はここを引き受ける。俺よりも長く生きる可能性のあるお前達を逃がしたい。先へと繋げたいんだ。

 それが、俺の生きた証となる」

「っ!」

「兄上…」

「梔昏に託された分も、俺は、お前達を」



 冰龍が、微笑んだ。

 儚くも晴れやかにも見えるその微笑み。梓紗と琭葩は、一生忘れることは出来ないだろう。



「俺は、充分だ。すべきだと思ったことを、成し遂げられる……さぁ、行け!」



 冰龍は梓紗の肩を握って、自分から引き離した。

 それでも、どうしても、梓紗は離れることが出来ない。



「いや。私には無理!あなたを置いてなんていけない…行けないの!」



 梓紗は、冰龍を抱きすくめた。想いのたけが溢れる。



「梓紗…」

「あなたを愛してる!なのに、なのに置いて行けって言うの!?魔物に一人立ち向かわせろと言うの!?

 あなたは何もわかってない!それが、どれだけ私達を不幸にするか、分かってない!」



 しがみつく梓紗の背に、あたたかい冰龍の腕が回り、力強く抱きしめてくれた。



「……ああ。分かってない。俺は、お前達を生かしたいんだ」

「勝手よ」

「ああ。そうだな…でも、ごめんな。梓紗」



 そう言って、冰龍の片手がスッと動いたかと思うと、梓紗のうなじの少し上を、軽く、トンと叩いた。



「っ!」



 その途端、梓紗の視界が暗くなり、彼女は意識を失った。



「………」



 気絶した彼女を切なそうに見つめた冰龍は、迷いを振り切るように瞼を伏せると、そのまま、弟へと視線を向ける。



「梓紗を頼む。琭葩……分かるな?」

「……っ!」



 理解してはいるが承諾したくないと願う琭葩は、唇を噛みしめながらうつむいている。

 気絶した梓紗を寝かせると、冰龍は、唇を噛みしめ、涙目になる弟の前へと立ち、その肩を叱咤しったするように握った。



「しっかりしろ。琭葩」

「兄上!」



 十分理解し、その提案を、ついに受け入れた琭葩もまた、思いのたけを込めたかのように、冰龍の肩に手を回して抱擁ほうようする。

 冰龍も、肩を握っていない方の手を、弟の背中に回して、それに応えた。



「……梓紗こいつを守れよ?」

「…はい」

「無事に、村まで辿り着け」

「…っ、はい」

「幸せに、なるんだ」

「くっ!はい!」



 冰龍は一呼吸おいて、一段と穏やかで、且つ、断言するように弟の耳元に囁いた。



「お前は…自慢の弟だ。村を頼むぞ」



 琭葩は頷きながら、兄に告げる。



「っ!兄上も、俺の大事な…最高の兄上です!」

「ああ」



 そして、冰龍は解放の言葉を残した。



「先に行け!琭葩!」



 それは、九年前にも口にした、弟達を逃がす言葉だ。

 大切な者達に背を向けた冰龍は、一度だけ振り返って微笑むと、すぐさま青狼せいろうの姿へと変化し、洞窟を飛び出していった。



「兄上っ!」






『アオ――――ン!』






 冰龍が出て行った後。

 長い長い、万感を込めたかのような狼の遠吠えが、洞窟の中まで響いてきたのだった。




「っ、兄上―――っ!」





 それに応える琭葩の絶叫も、森へとこだました―――…






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