第四十五章 呪の解放
第四十五章 呪の解放
四人が安堵した時、急に、冰龍の身体が光に包まれた。
「っ!?」
何かが、冰龍の身に起きたのかと、梓紗と琭葩冰龍のもとへ駆け寄ろうとした。
「冰龍っ!」
「兄上っ!」
『大丈夫です』
冰龍を案じる二人を、水月が片手を伸ばして行く手を遮り、案ずるなと頷いた。
やがて、彼を包み込んでいた光は、小さくなり、空気に溶けるようにして消えた。
「っ……」
光が収まると、冰龍の姿が現れる。彼は膝を床につけ、顔を伏せるような姿勢で座っていた。
「冰龍!冰龍っ!」
「兄上!」
梓紗は気怠さの残る身体を叱咤しながら、冰龍の元へと走り寄る。それに続くように、琭葩も水月も冰龍の傍らに集った。
「っ……何だったんだ?」
目を瞬かせながら、冰龍が顔を上げる。
「っ!」
「兄上っ!」
『……』
露わになった冰龍の顔を見て、梓紗と琭葩は驚愕し、水月は思った通りといった風に微笑んでいる。
「おい?一体、どうした?」
「あ、兄上!痣が、痣が消えています!!」
「跡形もないわ!」
「なに?」
そう。冰龍の痣は綺麗に消えていた。
顔は勿論、腕に広がっていた痣も。となれば、身体も消えているのだ。
痣があったときも大層な美形だったが、禍々(まがまが)しいそれが消えた今は、その時の美貌を遥かに凌駕するほどの美がある。
「呪いが、消えたの?」
今まで、黙って微笑んでいた水月が声を発した。
『呪いをかけられた者が、かけた者を倒せば、その呪いは中断されて、その証は消えます』
「水月」
彼の説明に、冰龍が納得したように頷いた。
「だから、あのとき俺に、蟒之王を斬れ、と言ったのか…」
『ええ』
水月は、肯定する。
『ですが、一つだけ忠告しておきます』
しかし、急に水月が笑顔を引っ込め、真面目な顔つきになった。三人は、一斉に表情を引き締める。
『確かに、呪いは中断されました。
よって、これ以上の進行はありません。しかし、あくまでも中断。これまで吸い取られた貴殿の寿命は、元には戻らない』
水月の忠告に、琭葩が青ざめて叫ぶ。
「なっ!ってことは?」
『呪いが続いていたままよりは、長寿でしょう。しかしそれでも、人と同じ程の寿命は、恐らく残ってはいません。
あの痣の濃さから見るに、七年前後、最高で十年というところです』
更なる説明を受け、梓紗も琭葩も衝撃を受ける。
冰龍の寿命は長くは無い。
呪いが消えれば、彼の時間は取り戻せると思っていたのに。それは、永遠に失われた時間になってしまったのだ。
それと同時に、呪いが進行していた場合を想像すると、さらにゾッとする。
「そ、そんな!」
「嘘……そんな……っ、それじゃあ…もし、呪いが進んでいたら」
『あと、二、三年といったところでしょうね。さもなくば、呪いによって青の君は命を吸い尽くされたでしょう』
「成程。随分と寿命が伸びたな」
納得したように、冰龍は頷いた。
「兄上」
『ですが、あなたの心配なさっていたご自身の不幸、それに周囲を巻き込むという連鎖の運命は、完全に消えました』
「そうか……俺はそれで、十分だ」
そう言って、微笑む冰龍に、水月は軽く目を見開いた。
『…お強いのですね。鬼結が心奪われた理由が、分かるような気がします』
「褒め言葉として受け取ろう」
軽く微笑んだ水月が、再び、表情を引き締めた。
『………蟒之王が死んで、統治者がいなくなった今、魔界は混乱しています』
「そうなのか?」
『ええ。これに乗じて人間界へ無暗やたらに出て、本能のまま人間へ報復、なわばりの拡大を目論む輩もいるでしょう。
俺は、今からすぐに、その粛清と統括へ向かわなくてはなりません』
「そうか…まぁ、そうだろうな」
『俺の仲間達と賢明な考えを持つ者達が、必死にそれを抑えようとしていますが、今も、この神殿の間近に大量の魔物達が出没しているでしょう』
「分かった」
「帰り道も、色々ありそうですね」
『ええ。お気を付け下さい。無責任ながら、俺は、ここで失礼します』
水月は礼儀正しく一礼し、顔を上げてやさしく笑った。
『どうかお元気で。
恐らくはもう、お会いすることは、余程のことがない限り、来ないでしょう』
「ああ。そっちも息災で」
「あんたも元気でな」
「さよなら。いろいろ、ありがとう」
『はい、では――…』
水月がなんとか、異空間へと繋がる闇を生み出した。これほど自分の害になる神気が溢れた場で、闇を出せるのだから。
彼の魔力、妖力は大したものだ。
「水月!」
ふいに、冰龍が水月を呼びとめた。背を向け、去ろうとしていた彼が、すぐさま振り返る。
「鬼龍は………俺の息子は、今どうしている?」
冰龍の問いに、水月が安心させるように笑顔を浮かべ、穏やかに答えた。
『俺の治める村にいます』
「お前の?」
「あなたが良いなら、俺が育てます。あの子は正直言って、どちらからも異端視されるのは否めません。
しかし、人間よりも圧倒的に、魔物の性が強い。人間界で生きるには、少々無理があるでしょう。
母の鬼結は、鬼族の長でしたが、もう、彼女の直系の家族はいないので……
だから、水鬼の村に』
「そうか……そうだな。人間は、異形を極端に厭う。あの子に、いらぬ傷を与えたくない。
水月、頼む!俺達の子を、どうか守ってくれ……一緒にいてやれない俺の代わりに…」
『無論、承知しました。きっと…立派にしてみせます』
冰龍を安心させるようにしっかりと頷き、水月は笑みをこぼしながら消えた。




