第三十九章 和解
第三十九章 和解
森奥で、梓紗は、やっと冰龍の姿を見つけた。
しかし、先程のこともあり、なかなか、声をかけるのが躊躇われた。
梓紗が、どうしようか、と、木の陰に隠れていると、冰龍の声が聞こえてきた。
「梔昏…」
彼は、梓紗に気づいていないのか、空に向かって、話しかけている。
「心配するな。お前の分も、あいつ等を守ってみせる……
だが、やはり、お前がいないと心許ない。それに、どうしようもなく……
こんな俺のために、夢に出てきてくれたんだよな。
ありがとう。
こんな弱音言っても、詮無いよな。でも…」
冰龍の声は、離れていても、分かるほど掠れていた。
「冰龍?」
気づいたら、梓紗は、木の陰から出て行ってしまっていた。
「……梓紗?」
振り返った冰龍の頬には、透明な涙が一滴伝っていた。鬼結を失ったときに泣いていた冰龍と、今の冰龍が、重なる…
「泣いて…いたの?目が赤い」
「……」
冰龍は、苦笑して前を向いてしまう。
「お前には、情けない様を見られてばかりだな」
「冰龍!」
堪らない気持ちになり、梓紗は、冰龍の背中に身を寄せた。
「……どうした?」
「ごめんなさい。さっきは、酷いことを言って……
取り返しのつかないことを言ってしまったのも分かっている。でも、私は、あんな風に思ってない。
それなのに、苦しさに負けて、私……あなたの所為に、冰龍の所為にしてしまった」
「梓紗」
「哀しいのは、皆、一緒なのに。
いいえ、冰龍が一番辛いのに、傷つけて…ごめんなさい。
兄様にも、酷いことを言ってしまった」
「…そんなの、気にしてないさ」
冰龍は、梓紗を安心させようとしてくれているのか、先程の琭葩と同じく、やわらかく、穏やかな声音で、心配ない、と言ってくれた。
その時の表情が、琭葩によく似ており、やはり、二人は兄弟なのだと、改めて感じる。
「お前の混乱も分かる。
以前、初陣で大事な奴らが魔物の牙に敗れて、死んでいくのを見たとき…俺だって、誰彼構わず、発狂しそうになった」
冰龍は、梓紗の聞いたことのない昔話をしてくれた。
「それにな。
俺も、琭葩がお前や梔昏を庇って死んだら、同じことを言わないという自信はない」
「冰龍」
「俺だって、そんなに大成した人間じゃないさ」
苦笑と自嘲を混ぜたような、乾いた笑いを、冰龍は漏らす。
「冰龍は、強いわね」
「どうかな…
俺が、今回、冷静に対処していたのは……
梔昏の死を、互いに命を預け合ったときから覚悟はしていたからだ。呪いを受けて以降も、あいつは、ずっと近くにいたしな。
だが、見ろよ」
冰龍は、くるりと身体の向きを変えて、梓紗の方へ手を差し出した。彼のその手は、小刻みに震えている。
「あいつの死を受け止めていても……
止まらないんだ……昨日から」
「……」
「実際は、欠片も冷静じゃない。今にも、崩れそうなのが本音だ」
この旅を始めてから、色々な冰龍の顔を見てきたと思う。
強さ、優しさ、孤独、苦しみ、弱さ……でも、どれをとっても、冰龍なのだ。
どうして、今まで知らなかったのだろう。
いや、本当は分かっている。冰龍が知らせようとしなかったのも、あるだろうが、その理由の多くは、自分が、踏み込まなかったからだ。
臆病だったから。
こんなに色々なことを、知ろうとしなかったことが、悔やまれる。
「だが」
今まで、自嘲するように笑っていた冰龍の表情が、引き締まる。
「俺が、崩れることを梔昏は望んでいない。
そうなっては、何の為に、あいつが命をかけてくれたのか……俺の命は、鬼結と梔昏、あいつ等が守ってくれた命でもある」
「そうね」
梓紗は、深く頷いた
命の大切さ、尊さ、儚さ、全てを…冰龍は、身を持って知っているのだろう。
「悪いな
こんなことを、話すつもりは無かったんだが…」
「ううん。言ってくれて良かった」
「え?」
「だって、冰龍のことを知れたもの」
梓紗は、僅かに微笑んだ。
「ねえ、私がここに来なかったら、あなたは、今言ったこと全部を仕舞っていたの?」
「ああ、そうかもしれないな」
梓紗の問いに、冰龍は頷いた。
「どうして?」
「どうしてって、別に。
皆が、前へ進むことが出来るのなら、問題無いだろ。時には、誰かに、激しい感情をぶつけなければ、人間、前には進めないものだ」
冰龍の言葉に、梓紗は胸が熱くなる。
どうして、彼は…兄は、琭葩は……こんなにも他を思えるのか。
そうか……これが、愛。
それぞれの形の愛情なのだ。
この旅を始めて、様々な存在の思いが交錯し、他のために動いた形を、多種多様な愛情の形を見てきた。
皆、誰かのために、その愛情を捧げていた。押し付けるのではなく、誰かのために……その愛で動いていた。
じゃあ、自分には、一体何が出来るのか……
「冰龍」
「俺に怒りをぶつけろ。そうすりゃ、おまえも早く立ち直れる」
「ずっと、そうしていくつもりだった?」
「ああ。何か、問題はあるか?」
この返しに、梓紗は、生前、兄が抱いていた気持ちが分かる気がした。
どれほど、兄が彼を案じていたのか。兄は、自分の命を懸けて、彼に開放の道を示そうとした。
だったら自分は、そのためにも彼にまっすぐに接する。
良いと言われた性根のまっすぐさ…
自分は、まだ、これしか見つからないから。それが自分のやり方なのだ。
「私は、あなたを憎まない」
きっぱりとした口調で、梓紗は言った。
「……」
「私が憎むのは、蟒之王だから…」
その返しに冰龍が瞠目した後、ははっと微笑んだ。
「梓紗…………まぁ、それが妥当だろうな。だが、あいつは、ある意味、遠い存在だ」
「それでも!」
「ん?」
「あなたを憎んだりなんかしない」
冰龍の眸をまっすぐに見て、梓紗はもう一度、同じ言葉を冰龍に伝えた。
「梓紗」
強い意志の宿った梓紗の眸を、冰龍が見つめてきた。
「さっきのだって、私の疾しさと後悔よ。
あの時、私が動かなかったら、兄様は、死なずに済んだんじゃないかって思ったら、苦しくて、逃げたい衝動に駆られた」
「それは、誰でも考えることだ。お前だけが悪いんじゃない」
伴う結果は、大抵……一人の所為ではないのかもしれない。無論、責任転嫁という意味では無くて。
取り巻く、様々なことが複雑に絡み合って、誰かの干渉が絡み合って起こる。
喜びでも、悲しみでも………それは、きっと同じ。
「……起こったことの真理なんて、きっと、誰も分からないのね」
「ああ、そうだ。
真理なんて、人それぞれ。だが、己の信じるものを信じていくしかない」
そう言った冰龍の眸には、かつてない青い輝きが燃えていた。その炎のような煌めきが、とても美しいと、梓紗は思わずにはいられなかった
この強さに、自分は惹かれていたのかもしれない。




