第二章 友がきの秘め事
第二章 友がきの秘め事
冰龍の部屋から出てきた二人は、そのまま神殿の中を歩く。
九年前から、冰龍はあんな風に変わってしまった。
以前は、あんな冷たい態度など、とらず、誰相手でも優しく、面倒見の良い性格だった。
「まったく、何なのよ!毎回、毎回、あの態度!人が、せっかく訪ねてきたのに」
「梓紗、そんなに怒るなよ」
「怒るわよ!なんで、琭葩はあんな風に言われて平気なのよ」
「兄上だからだ」
「何それ?」
梓紗は呆れたように、額を押さえた。
そんな彼女を諭すように、琭葩が続けてくる。
「……梓沙、お前は実際に見たわけじゃないから、分からないだろうが
兄上があんな傷を受けられ、尚且つ、こんな風に別離に暮らさなければ、ならなくなったのは、俺達を庇ってくださったからだ」
「っ!」
それを指摘されると、梓紗は何も言えない。
「……」
たしかに、琭葩の言う通りだ。
あの日、梓紗や碌葩が村の外に出ようと言いださなければ、冰龍は、こんな目には遭わなかった。
前のように面倒見が良くて、優しい笑顔を浮かべる冰龍のままでいたのかもしれない。
彼が、あんな風にそっけない態度になったのは、痣を受けた後のこと。
気絶から、目覚めてからだった。
「前は、あんなに…優しく笑っていたのに」
「兄上は、俺達を怨んでおられるのかも、しれないな」
肩を落としながら碌葩が言う。
そんな、悲しそうな顔をしてほしくないが、梓紗も、冰龍の傷を生じさせた、一端を握っているために返す言葉が見つからない。
「……」
「でも、どんなに兄上が変わられても、俺は兄上のことが好きだし、兄上のためなら何でもやる」
「…兄馬鹿」
「なんとでも言え」
二人が神殿の回廊を歩いていると、角から梔昏が現れた。どうやら、厨房に、冰龍の膳を返してきての帰りらしい。
「……」
「兄様」
「梔昏」
梔昏は、二人を交互に見やる。その顔は、何かを考えているように見えた。
「……まだ、熟す期ではないか」
やがて、彼は、意味深な言葉を呟く。
梔昏は、琭葩の肩を軽く叩き、梓紗の髪をクシャっと撫でたかと思うと、冰龍のいる奥の間の方へと向かっていった。
「おい、梔昏。どういう意味だよ」
「そうよ。何なの?熟す期って」
「お前達は、気づいていない…否、忘れている」
「?」
「何がだよ、梔昏」
「自力で思い出さない限り、意味はない」
それだけ言うと、梔昏はそのままスタスタと歩き去ってしまった。
梓紗と琭葩の二人は、わけが分からず、その場にしばらく、立ち尽くしていたのだった。
~・~・~・~・~・~・~・~
「……戻ったぞ」
「そうか」
冰龍は相も変わらず窓辺に腰を下ろし、ぼおっと外を見つめたまま、親友の帰りを迎えた。
梔昏が出て行く前と変わったのは、顔に仮面をつけていないことだ。
彼の透き通るような白い肌は、日の光を美しく弾く。
しかし、その肌の上には禍々(まがまが)しいほど大きな青黒い紋様を描いた痣が、刻まれている。
「……」
梔昏は慣れたもので、この痣を見ても、もう、顔色さえ変えない。彼は、そのまま、定位置である敷物の上に腰をおろしながら、冰龍を見上げてくる。
「いつまで、このままでいるつもりだ?」
「何のことだ?」
梔昏が言わんとしていることは、薄々分かっていたが、冰龍は冷静な声でとぼけてみせる。
「とぼけるな。あの二人と、いつまで、あんな風にいるつもりだ?」
「それの、どこに問題がある?」
その質問はうんざりだとばかりに、冰龍は、頭を掻きながら窓辺から立ち上がった。
「お前の気持ち、分からなくはないが、このままでは、徒にあいつらを傷つけているだけだぞ?」
「それなら、傷つけておけば良い。好都合だ」
「冰龍!」
語気を荒げて梔昏が立ち上がる。
しかし、次なる彼の言動を制するように、冰龍が言葉を繋ぐ。
「傷ついて、奴らが俺に見向きもしなくなれば良い。そうなるためだったら、憎まれ役でも、なんでもやってやるさ」
冰龍の肩を握りながら、梔昏は何か言いたげな表情を浮かべる。そんな親友の表情を目に映した冰龍は、うっすらと苦笑して言葉をかける。
「梔昏。お前には、今まで助けられた。
出て行けと何度も脅し、その喉に刃まで突き付けても逃げなかったのは、お前ぐらいだ」
以前、自分から存在全てを引き離すために、身近な者達全員に、辛く当たった時期があった。
しかし、どれほど暴言を吐いても、刀を突きつけて脅しても、梔昏だけが一歩も引き下がらなかったのだ。
怯えることなく、ヒタと自分を見据えていた。
この強い眼差しで。
以来、彼だけは例外で傍に来ることを許しているのだ。
梔昏も、あの頃のことを思い出したのか、淡く笑みを浮かべながら言う。
「お前が、本気で俺の喉を突くとは思えなかったからな」
「……」
「冰龍、いい加減に、虚勢を張るのはよせ」
虚勢、という言葉を受け、心外だとばかりに冰龍は抗議の眼差しを向けた。
「誰が虚勢を張っているって?」
しかし、梔昏は屈するどころか、ズバズバと本質を冰龍に伝えてくる。
「……たとえ、運命から逃れられなくても、お前の本心を知らせずにいることは、あいつらに酷い」
「知れば、もっと、酷な結果がもたらされるぞ?一生、あいつらは知らなくて良い」
「冰龍…」
困ったような顔をする友人に、冰龍は確認するように念押しを続ける。
「お前と俺が、口を割らずにいれば済むことだ。
俺が死んで、おまえも口を閉ざしておけば誰も知ることはない。知っているのは、俺達だけ…そうだろ?」
「お前ってやつは」
降参だ、と梔昏が両手を上げて示す。
「悪いな、梔昏」
冰龍の謝罪に対しても、苦しげに顔を歪ませる梔昏。彼は苦笑を浮かべながら肩に手を置いて、ポン、と叩いた。
「もう、決めたんだ」
「どうして……どうして、お前がこんな思いをしなければならない…」
「梔昏…ありがとう。
お前には背中を預けられる。お前の勧めには応えられないが、俺は感謝してる」
素直に心を吐露する冰龍に、梔昏は昂る感情を抑えようと、顔を右手で覆う。
そんな親友の肩に置く手に力を込め、冰龍は自分にも言い聞かせるように、声に言の葉を乗せた。
「梔昏。
お前のその気持ちだけで、俺は充分なんだ―――…」




